お金がほしい

お金がほしい

2020年10月をもって更新をストップします。永らくのご愛読ありがとうございました。

凪のあすから 第6話「巴日のむこう」感想

アニメ初鑑賞。原作コミック未読。
素人がテキトーなことを書いているので、訂正や批判等あったらぜひにコメントお願いします。

 

前回までに残った謎

・うろこ様の正体
・1話ラスト付近のまなかの発言「おうたの練習」とは
・5話冒頭のうろこ様の発言「地上と海との境を完全にするべし」の理由

 

↓前回の記事↓

ex-finprethe.hateblo.jp

以下ネタバレあり。

 

 

6話は慌てて水着に名札を縫い付けるまなかと、その様子に呆れるちさきからスタート。

これはもしかして、噂に名高い「水着回」というやつではないのか。
都市伝説だと思っていたが、まさか実在したとは。

 

直後、ちさきと光の会話。

ち「またあかりさん頼み?」
光「いいだろ、ついでなんだから」
ち「光は、ほんと変わらない」
光「あぁ? 進歩がないってか?」

ちさきの穏やかな表情たるや。
彼女はやはり、波路中学にいた頃のままでいたいのでしょう。だから「いつも通り」にとても安心する。

その一方で光は「いつも通り」であることを否定的に捉えてちさきに突っかかっている。
その後、表情が暗くなるちさき。そしてそんな彼女を心配そうに見つめるまなか。

 

OP明け、校内プール。
水温が低めだが、先生のテキトーさによりプール決行。水着回が決定した瞬間である。先生はできる男だった。ありがとう。

女子のいるうちから男子が着替え始めるというあるあるネタもいただいたところで、まなか達も女子更衣室に退避。
4話では、男子陣が互いにチェストして地上と海村の溝が緩和された描写があった。その分、女性陣はどうなのだろうと思っていたが、正義感の強そうな子から声をかけてもらえる程度には仲良くなっていたらしい。

 

f:id:qfbrj:20200531180100j:plain

ほう。

 

f:id:qfbrj:20200531180103j:plain

ほう。

 

f:id:qfbrj:20200531180106j:plain

ほうほう。

 

前回の記事で、アニメの良いところとして人物の心理描写がきちんと明示されていることを挙げたが、女子更衣室を合法的に覗くことができるという項目も追加しておこう。

紡「女子って、ああやって仲良くなるのか」
要「女子最強」

男子は海と陸の溝を埋めるためにあれほど苦労したのに、女子ときたら乳揉みで友達成立とは。
なるほど、僕も女子に生まれ変わった時のために覚えておこう。


・・・というか、中学で男女合同のプールってモラル的に良いの?良いならどうして我々は別々だったの?
チッ、これだから三次元は。

あと、先生のストライクゾーンはド高めという世界一いらない情報を知ってしまった。
しかしその直後の「屈伸からのうさぎ跳び」とは。怪しいぞ先生、怪しいぞ。

願わくば、僕も女子中学生に屈伸からのうさぎ跳びを強要できるような人生を歩みたかった。

 


そして物語は、光と紡くんの水泳競争へ。
どうやらまなかに良いところを見せようとして紡くんをけしかけたようだが、紡くんが一歩リードという想定外の展開に。

まなか曰く「なんか、こういう陸と水の中間だと変な感じっていうか。クロールとかってあんまり」

 

なるほど。
しかしこの設定は疑問点が多い。

ワンピースの悪魔の実にも通ずるところがあるが、たとえば海の魚を川に放流しても(逆もしかり)すぐに死んでしまうように、光たち海村の人々はプールでも呼吸できるのだろうか。
エナが水分を吸収するのであれば、塩素の混入したプール水を大量に取り込んでしまうのに体に害はないのか。
泳ごうと思えば海と同じように泳げるのか。

など疑念は尽きない。
まぁそういった点は物語の本質と逸れるため深く追究しようとするのは野暮というものだろうが。

いずれにせよ、光の不甲斐ない姿に拍子抜けしている地上の女子に対し、即座に弁解するまなかは優しい。

 


直後、光がターンに失敗して足を負傷。
考えるよりも先に体が反応したまなか。動けなかったちさき。紡くんよりも遅かった要が光のトラブルに気付かずしれっと1位になっている姿(笑)
細かなカットに色々な人物像が集約されていてとても面白い。

保健室に連れていけと言われるシーンでは、ちさきと光の関係を心配しているまなかの気遣いが、逆にちさきを不快にさせてしまう。

 


そして場面はふたりきりの保健室へ。ちさきの泳ぎが見たかったのですが。
まなかファンのための(?)サービスカットがあるものの、個人的にはちさきの後だと物足りませんでした。どうでも良いですよね、すみません。


そんな姿にちょっとときめいてしまったドリコン光は、顔を隠すようにタオルで覆った。

 

光「マジで、速すぎだろ。アイツ・・・」

本話開始時には「プール回だぜ、ひゃっほい」とか思っていなかったのだが、光が陸と水の中間でもがき苦しむ現状を象徴するようなシーンであった。プールはこれを表現するための単なる舞台装置に過ぎない。
光はどんなに頑張っても紡くんに追いつけない。まなかに対し、自分が彼よりも上の存在であると顕示しようとするも失敗したうえ、その当事者であるまなかに慰められてしまう。そんなダサい自分。

 

 

場面変わり、ごみ捨てをする要。

f:id:qfbrj:20200531180110j:plain

なに、このフラグ的な

ジゴロな要を中心に、話題はおじょし様制作へと移る。着実に地上の人間と距離を詰める要。

にしても美海の性格変わりすぎじゃないの。
前回までの「どっかいけ美海」が終了したからといって、ただのかわいい小学生になっておる。どゆこと。
ほとんどの視聴者はこの豹変ぶりを素通りするだろうが、僕は騙されないぞ。

まぁ、前話でこれまで自らを覆っていた化けの皮をビリビリになるまで光に引き裂かれたので、本来の美海に戻ったといったところか。

 

f:id:qfbrj:20200531180113j:plain

光を見る美海がメスの目になってやがる。。。ナニコレ

光とチェストした男子2人組はサブキャラとして定着した模様。
今後は重い展開を緩和する存在として機能してくれることを望む。間違っても4人の仲をかき乱すような真似だけはしてくれるなよ(やりそう)。

 

直後、ちさきと光の関係を憂うまなかの発言に耐えかねたちさきがついぞ退散。
思わず追いかけるまなか。ここで追いかけられるのがまなかの良さでもあり悪さでもある。

けっきょく、まなかとちさきは仲たがいをしてしまい、それぞれ別々に帰路につく。
失敗してしょぼくれるまなかのもとには、偶然だろうか必然だろうか紡くんが登場。

空気を読んでじいさん退場。年老いてもあのくらい有能でありたいものである。

 

f:id:qfbrj:20200531180118j:plain

f:id:qfbrj:20200531180054j:plain

これらの描写からも分かるがやはり、まなかにとって紡くんは太陽のような位置づけなのでしょう。
(写真は太陽フレアだが)虹というのは雨があがった後に見える現象である。つまり、自身の心に降る雨=涙を晴らすことのできる存在。

 

そんな紡くんと太陽に背を向けながら、まなかが本話のサブタイトルにもる「巴日」の説明をしてくれた。

天気が良くて、ぬくみ雪がいっぱい降る日、冷たい潮流が流れ込んできたら、反射かなにかでお日さまが3つに見えるって・・・

 

なるほど、わからん。

とにかく「三つ巴」という言葉もあるように、太陽が3つに見える現象とな。
海村はカルテットなので数が合わない。何やら不穏。

 

f:id:qfbrj:20200531180057j:plain

「かっこ良かったよ、あのときの向井戸」


は?なにこれかっこよ。お前のほうがかっこいいわ。なんだよムカつくな。こんなんまなかじゃなくても惚れるじゃん。ちくしょう光の気持ちが痛いほどわかるぜ。

 

海に戻ったまなかは巴日を発見。ちさきを部屋から連れ去っていく。

・・・海村のセキュリティどうなってんの?1話では光もまなかの部屋に入り込んでたし。

 

ちさきの「変わりたくない」発言は後述。

 

ラストに光が発した「ビビりのくせに、まなかのくせに」は要審議。

光は1話でまなかを「ビビり」と評して「守ってやらなければならない存在」と捉えていた。
しかし5話までに様々なことがあって、その印象を大きく塗り替えたはず。それなのに彼はまたそこに引き返すのか?

 

 

  • ちさきという人間の矛盾

プールで光が怪我をしたとき、まなかはとっさに動いたのに対してちさきはそれを見ているしかできなかった。
そんなシーンを思い出し「なんで・・・もうやだ!」とみたび自己嫌悪に陥るちさき。

不変を望むちさきが、誰かを好きになった時点で自己矛盾が生じる。
特に彼女の場合は、光がまなかを好いていることを知っているため、まなか以上に光に近づくことができない。
だのに本当は光の一番でありたい。自身の気持ちに鈍感なまなかよりも、強く。

 

「おじょし様が、完成しなければいいのにな」
「私ね、変わりたくないと思ってたし、変わりたくないよ」

ちさきは今の(正確には波路中学在学時の)4人の関係がとても好きで、それを壊したくないので現状維持を望んでいる。そのためには、自分の気持ちを隠しておく必要があるが、すでにまなかに知られ賽は投げられている。

お姉さんキャラということもありなまじ頭が良い分、ちさきだけは未来を憂い過去に生きている。彼女だけが今を生きていない。

 

ちさき曰く「みんなで見なければ意味のない巴日」を、本話ラストでは光だけ見ていなかった。4人の関係性は、彼女の意に反して着実に変化している。。。

 

 

残った謎(前回と同じ)

・うろこ様の正体
・1話ラスト付近のまなかの発言「おうたの練習」とは
・5話冒頭のうろこ様の発言「地上と海との境を完全にするべし」の理由

 

 

おまけ

f:id:qfbrj:20200531185612j:plain

壁ドンする紡くん

・・・それでは、また。

 

ex-finprethe.hateblo.jp

凪のあすから 第5話「あのねウミウシ」感想

アニメ初鑑賞。原作コミック未読。
素人がテキトーなことを書いているので、訂正や批判等あったらぜひにコメントお願いします。


前回までに残った謎は以下のとおり。

・うろこ様の正体
・1話ラスト付近のまなかの発言「おうたの練習」とは

 

↓前回の記事↓

ex-finprethe.hateblo.jp

以下ネタバレあり。

 

冒頭、早起きして朝食を作るあかり。
親父さんとは暖簾と新聞という二重の壁がある描写から、まだ距離は詰められていない様子。

親父さんの「地上の男はやめておけ」というのは、我々に置き換えると「外国人はやめておけ」という意味合いになるのかしら。
あかりの「父さんもやっぱり海の人だね」という発言は、彼の息子である光が「あいつはやめておけ」と人柄で判断したことに対する皮肉かな(笑)

 

この直後、うろこ様の興味深い発言。

御霊火は海神の心。御霊火は教えてくれる。地上と海とはその境を完全にするべし。やがて地上は・・・。ぬくみ雪は全ての前兆。

この物言いだと、そう遠くない未来に地上では良くないこと(たとえば地震などの自然災害)が起きると思われる。
失踪した美海の捜索時にちさきが「このごろ夜冷えるから・・・」と発言していたことから察するに寒冷化かも。

 

あまり神様というものについて語るつもりはないが、仮にその存在が人々の思いの結晶であるとするならば、海神の心とはすなわち海村の人間の心である。
御霊火の揺れが激しくなったのは、親父さんの心の揺らぎと考えてもよいかもしれない。

いち視聴者としては、海村における立場にとらわれず、嬉々として娘の門出を祝ってほしいものではある。

 


OP終了後、場面はダークモードのちさきへ。

個人的な意見だが、ちさきと紡くんはかなり相性が良いと思う。紡くんも「海が好き」と言っていたことだし(笑)。

ちさきは自分の本心を押入れの奥底に仕舞ってしまうような性格だが、紡くんは良い意味で無神経なので、彼女の本質を正面切ってズバっと言い当ててしまう。

それはちさきにとってかなり酷なことだが、同時に救いでもある。

(この時点ではあかりの精神状態のほうが危ういが、)光への気持ちについてウミウシ(=自分の本心と向きあう場所)を求めていたちさきが、紡くんという解決策に出会う。だから自分の本当の気持ちを語ってしまう。

 

  • 踏切のメタファー

踏切というのは「分断」という意味で、アニメでは頻繁に用いられる手法の一つである。それこそ新海誠監督の「秒速5センチメートル」冒頭、貴樹と明里を踏切で分断させることにより「来年もまた桜一緒に見られるといいね」という死亡フラグを完成させている。
たしか「君の名は。」でも踏切が効果的に用いられていたはず。

とはいえ今回の踏切は分断とは少し違う。なぜなら、どちらかが電車の向こう側に行ってしまう演出ではないし、このシーンでは遮断機が上がるところまで描かれていない。

f:id:qfbrj:20200523184116j:plain

ちさきはまなかに対して「気にしないで!」ではなく「忘れて!」と無理な相談をする。遮断機が上がるところまで描かれていないのは、自分の気持ちを隠したままでいたいという気持ちと重なる。

また、電車が彼女らを追い越してゆくのも面白い。これはちさきの意図に反してまなかに自分の心中を知られてしまったことと、もしかしたらまなかが光に対する気持ちに気付く、という暗示でもあるかも。

5話後半で描かれる美海の独白シーンでも電車の描写があったことから、押し込めていた気持ちが伝達されることを示していると考えてよいでしょう。

 

 

場面はカフェ「トライアングル」へ。にしても意味深な名前。
あかりの回想シーンでは、これまでのイメージを払拭する勢いの溌溂とした美海が確認できる。

あかりがカフェを出てサヤマートに行くと、そこには美海の姿が。
おそらくだが、美海はガム文字を取り去りに来たのだろう。それは光の「卑怯なやり方」という言葉が彼女の中で呪いになっているため。
しかしその文字を前にして、自分は何をしたかったのか。これからどうしたいのか、どう在りたいのか。そういうことを考えていたのだと思う。

そこにきてあかりが「ちゃんとどっか行くから」と発言したことで、自分のやり方が間違っていたことを知った美海。では、その次のアクションとはいかに。

 

 

場面変わり、先島家。

電話の呼び鈴を意に介さない父。分かる。絶対聞こえているはずなのに、頑として反応しない謎。基本家に電話がかかってくるときって父親宛が多いんだから、むしろ積極的に動いてほしいんですよね。

電話口の向こうでは、美海が行方不明になったと焦るあかり。

光「いくら大人ぶったってな、お前なんか俺の母ちゃんの代わりにはなれねぇんだよ!だからとっとの美海の母ちゃんの代わりになれ」

良いセリフですね。これは今回のことに限らず光が常々抱いてきた鬱憤にも聞こえる。親離れならぬ姉離れ。むしろあかりにとっては弟離れならぬ海離れ、か。

 

流れ星の描写については後述。

そして急にかっこよくなる親父。
親父さんには海村の立場上の問題とあかりに対する態度の問題がある手前、大っぴらには行動できない。だからこそ「行ってやれ」は自分ができる最大限のフォローである。
あと、今後はちゃんと電話を取りましょう。

 

捜索シーン。テレフォンカードを取り忘れるあかりやら、線路の上を歩いて美海を捜索する光やら。この子ら大丈夫かしら。
と思いきや美海のほうから顔を出す。

一方のあかりはまたもやカフェ「トライアングル」前にて至さんに心中を吐露するわけだが、ここまで来るとちょっとしたギャグというかスタッフの遊び心が過ぎるんじゃないかと(笑)
こんなこと言うと怒られてしまいそうだけど。

とはいえあかりの回想シーンから、このカフェにはみをりさん(至さんの元妻)存命時の思い出が詰まっているので、この場所以外に選択肢はないでしょう。

 


その後。話題はまなかと美海による「赤いウミウシ」について。

5話のサブタイトル「あのねウミウシ」に象徴されるように、今回は4人のウミウシ(=隠された心境)にスポットを当てた回であったように思う。

一人目はちさき。光との関係性に悩み、紡くんをウミウシにしようとした。
二人目はあかり。建前で造った武装笑顔が決壊し、けっきょく至さんに洗い浚い願いを吐き出している。
三人目は美海。本人の発言でもあるが、ガム文字をウミウシ代わりに使っていた。そして後半、光が美海にとってのウミウシ役を担う。
四人目はまなか。と言っても彼女は自分で自分の気持ちに気付いていない。「赤いの見つかったら、何を話すの?」という美海の問いに答えを見出せない。

 


美海「大好きにならなければ、あんなに苦しくならない」

おはずかしい話、これまで美海の行動理念がいまいち理解できていなかったのだが、この言葉でようやく納得。こうやってきちんと答えを提示してくれるところがアニメの良いところだったりする。

自分が好きなのは母親だけで、母親が好きなのは美海。だから自分はひとり、と。
とはいえ感情が屈折しすぎているというか、「どっかい」とガム文字を残すのは解決策が斜め上すぎるというか。女の子ってみんなそんな感じなのでしょうか。

まぁ美海が「好きにならなければ」と思った時点ですでにあかりを好きになってしまっていたので、はじめから自己矛盾が生じていたのだろう。生きるって難しいね。

f:id:qfbrj:20200523183605j:plain

美海の周りにはたくさんのクマノミが。

まなかが紡くん(の乗る舟)によって地上に引きあげられて憧れを抱いたように、海に飛び込んだ美海を光が引きあげる演出が良い。これはフラグか。

 

  • 三日月と流れ星

流れ星はめったにないという意味と、超自然的な不可思議さから「願い」と「不吉さ」の印象が強い。
ハウルの動く城」ではカルシファー誕生のとき、ハウルが流れ星を捕まえ、食べたシーンが描かれていた。
カルシファーがソフィーの髪の毛(人間の一部=思い)を食べて元気になったように、流れ星は誰かの思いそのものである。
あかりは光に願いを託し、美海は光に自分の心中を吐露した。

上弦の月は、満月に向かって進んでいくという成長を表している。

 


ガム文字の完成によって、美海の本当の気持ちに気付いたあかり。
美海の母親としてではなく、あかりとして。あかりは娘としてではなく、美海として。いいですよね、こういう関係。僕もバツイチ子持ちと結婚するときはこう思うようにしよう。

「美海ね、海が大好き」
母が好きなものは子供が好きなものである。美海は母親が好きだった海が大好きで、海のようなあかりも大好きと。感動。お見事。

 

  • 太陽の役割

話は少しそれるが、本話は特に太陽の出番が多かったように感じる。

もちろん海と大地の物語なので太陽の出演頻度が他アニメより高くなるのは必然であるが、本話ではその傾向が顕著であった。

・ちさきがまなかに「忘れて!お願い!」と懇願した直後(ちさきの気持ちがまなかに露呈したシーンでは、光芒が描かれている)
・あかりと至さんが美海に自分たちの関係を打ち明けようと決心したとき
・あかりが美海の本心に気付き「隣にいさせてほしい」と告げたとき(朝日が昇り、どっかい「かないで」に光が当たる演出は感動的)

 

OPのラストでもまなかが太陽を見つめ、そちらに向かって走り始めるかのような描写がある。

実は1話を見返して気付いたのだが、紡くんとまなかが運命的な出会いをした瞬間、紡くんは太陽をバックに描写されていた。つまり、太陽は憧れの象徴でもあるのかなと。

f:id:qfbrj:20200523183601j:plain

1話冒頭シーンより

いずれにしても気になる。

 

 

というわけで今回はここまで。

本話のハイライトはあかりだったが、ひとえに「あかり回」といえども様々な人間関係が複雑に絡み合い、そのうちのひとつがようやくひと段落ついた、という位置づけかと。

次回は小休憩としてギャグ回でも構わないのだが、次回予告を見る限りそうではなさそうですね。

 

前回までの謎は依然として不明。増えた謎は、冒頭うろこ様が発していた「ぬくみ雪が兆しとなっている、とある変化」について。これはストーリーを追うごとに明らかになり、今後の展開にも大きくかかわってくるところだと思うので注目したい。

 

残った謎

・うろこ様の正体
・1話ラスト付近のまなかの発言「おうたの練習」とは
・5話冒頭のうろこ様の発言「地上と海との境を完全にするべし」の理由

 

それでは、また。

 

ex-finprethe.hateblo.jp

塾講師時代は、教育のことを考えていた。

 

「勉強なんてどうせ社会に出ても一切役に立たないし!」

周知の事実であろうが、これは勉強が苦手な中高生の逃げ口上である。
社会に出たこともないくせに偉そうなことを。と思う方もいらっしゃるだろうが、この言葉は親をはじめとした我々社会人の口癖でもある。

たしかに社会人になった今、微積分や漢文やらの知識が自分を助けてくれているかと問われれば、大半の方の答えは否だろう。
中学生のころ、テスト前に徹夜して覚えた山脈の名前も元素記号の名前も、そのほとんどが忘却の彼方である。

であれば、勉学の知識や知恵はどこに生かされたのか。その答えは言うまでもないが、大学受験である。


少し話は逸れるが、新卒採用の面接に臨んでいたとき「あなたのキャリアプランを教えてください」と問われたことがあった。
入社前から具体的なイメージを求める会社はいかがなものか、という愚見はさておき、訊ねられているのは自身の目標や目的である。

一般的に、ポテンシャル重視の新卒採用では、志望動機は次のような順序で話すと良いとされている。

端的な志望理由 → 将来の自分がどのようにありたいか[理想] → 今の自分がどのような状態・考え方か[現状] → 再度志望理由を述べる[ギャップを埋めるための実現法]

つまり「何か目的があり、現状自分がどのステージにいて、そのギャップを埋めるために入社したい」という筋書きだ。


話を戻すが、大学や専門学校への入学は目標達成のための第一歩である。

例えば、医者を志望する学生は大学入試で医学部に入らなければならない。教師になりたい人は一般的に教育学部に入学するだろう。
もちろん、目的達成のための道は別にもある。険しいかもしれないが、不可能ということもない。世のシステム大半には救済措置が備わっている。

だが、夢を実現するための一番手っ取り早い道筋は大学に進学し、必要ならば大学院に進むこと。
「敷かれたレール」と呼ぶと聞こえは悪かろうが、自己実現方法が明確に示されているというのは大変にありがたいことなのである。


要するに何が言いたいかというと、自己実現のために大学があり、大学入試のために中学高校の勉強がある。
何を当たり前のことを、と思われることだろう。当たり前のことだが、見失ってはいけないポイントだ。

 

海外ではほとんどが別の形態を採っている。

シンガポールは中学進学時から学力レベルによって学校が区分され、以降も徹底された実力主義の進学しか許されない。下剋上はほとんど不可能な状態である。
インドでは学力レベルによって受講できる科目に制限がある。成績が芳しくない生徒も優秀な成績を収めた生徒も皆一様に、テストスコアによって受講科目が決定される。

 

他方日本はずいぶんと融通が利くうえ、将来の官僚候補と万年赤点の生徒が同じ中学出身なんてケースも珍しくはないだろう。
どちらかというと、日本の教育は天才を育てることよりも全体の知能レベルを平準化することに重きを置いている。

だから取り返しがついてしまう。『学年ビリのギャルが1年で偏差値を40上げて慶應大学に現役合格した話』は日本の教育システムあってこそとも言える。
そうやって様々な自己実現を可能にしているのが、日本の教育であると思う。

 

ただし、何の疑いもなくこのレールに従った人の大半は「自分は何がやりたいのか」という問いの答えを見つけられなくなる。
何にでもなれる可能性を残した教育方針をとったことで、何になりたいのか分からない生徒が増えるという矛盾が生じる。

それもそのはず。右を向けと言われたら右を向く教育をされてきた人が、突然「あなたは今後何をしたいの?」と聞かれても答えに窮するだろう。
手つなぎゴールを是としてきた先で「他の人にはないあなただけの魅力は?」と問われても「数学が得意」「英語が苦手」という回答では不正解だ。

日本の教育は救済措置が充実している優しい方針だと思う。日本の大学受験制度ほど平等なものはない。
けれどもその弊害は大きい。


「勉強なんてどうせ社会に出ても一切役に立たないし!」

あらためてこの言葉。ごもっともである。ここ数年で√12を2√3にした覚えはない。

 

だから、個人的な意見を言うと誰もが勉強する必要はないと思っている。

たとえば家業を継ぐことが決まっている人。卓越した芸術センスがあり、食扶持に困らない人。
そういったすでに武器を持っている方々は皆に合わせて無理に勉強するより、その武器に磨きをかけることを優先すべきだと思う。

また、天賦の才とまではいかなくとも弁が立つ人や誰かを笑顔にすることに長けている人。いわゆる世渡り上手は、勉強せずとも成功をつかみ取ることもあろう。

 

しかし世にギフテッドは多くない。武器の作り方も使い方も、学校では教わらないからだ。
では、何も持たない凡人はどうすれば良いのか。そこで満を持して登場するのが勉強だ。勉強は武器にはならないが、盾にはなる。

 

勉強をして大学に入れば、進路の可能性が広がる。夢の可能性が広がる。

アルバイト経験しかない人間が教師になるのは大変だが、教師がアルバイトになるのは比較的容易。槍や銛などにある逆刺のようなイメージが近い。獲物を刺すにはスルリだが、獲物が逃げるのは困難。

だから、「何をしたいわけでもないから勉強しなくてもいいや」というのは真逆で、むしろ「やりたいことが見つかった時のために勉強しておこう」が正しい判断だと思う。
やりたいことが見つかったとき、その準備が万全の状態にしておくことは悪いことじゃないはずだ。

何事も遅すぎることはないが、高卒のパートタイマーが30歳になってから医者を目指すのはかなり困難で効率が悪い。

 

親が勉強をしろというのは、子に幸せになってもらいたいからである。
僕は個別指導塾でアルバイトとして勤務していたので、親が毎月およそ3~5万円かけて子供の将来を守ろうとしていたことを知っている。

講師にはそのくらい責任があって、僕はそれに耐えかねて辞めたわけだけれども。


勉強が嫌いな中学生や高校生はこんなクソブログ読んでいないかもしれない。勉強は社会に出ても役に立たないが、その先で得た経験や学歴は血となり肉となる。
中高の6年間頑張るか、大人になってから50年近く泥水を啜るか、しっかりと考えて生きていってほしい。

と塾講師時代、そんなことばかりを考えていた。

 


最後に。生徒役の芋演技が気になるが、ドラゴン桜より。

www.youtube.com