お金がほしい

お金がほしい

真面目に読むと損をします。心と時間にゆとりのある状態でどうぞ。

凪のあすから 第5話「あのねウミウシ」感想

アニメ初鑑賞。原作コミック未読。
素人がテキトーなことを書いているので、訂正や批判等あったらぜひにコメントお願いします。


前回までに残った謎は以下のとおり。

・うろこ様の正体
・1話ラスト付近のまなかの発言「おうたの練習」とは

 

↓前回の記事↓

ex-finprethe.hateblo.jp

以下ネタバレあり。

 

冒頭、早起きして朝食を作るあかり。
親父さんとは暖簾と新聞という二重の壁がある描写から、まだ距離は詰められていない様子。

親父さんの「地上の男はやめておけ」というのは、我々に置き換えると「外国人はやめておけ」という意味合いになるのかしら。
あかりの「父さんもやっぱり海の人だね」という発言は、彼の息子である光が「あいつはやめておけ」と人柄で判断したことに対する皮肉かな(笑)

 

この直後、うろこ様の興味深い発言。

御霊火は海神の心。御霊火は教えてくれる。地上と海とはその境を完全にするべし。やがて地上は・・・。ぬくみ雪は全ての前兆。

この物言いだと、そう遠くない未来に地上では良くないこと(たとえば地震などの自然災害)が起きると思われる。
失踪した美海の捜索時にちさきが「このごろ夜冷えるから・・・」と発言していたことから察するに寒冷化かも。

 

あまり神様というものについて語るつもりはないが、仮にその存在が人々の思いの結晶であるとするならば、海神の心とはすなわち海村の人間の心である。
御霊火の揺れが激しくなったのは、親父さんの心の揺らぎと考えてもよいかもしれない。

いち視聴者としては、海村における立場にとらわれず、嬉々として娘の門出を祝ってほしいものではある。

 


OP終了後、場面はダークモードのちさきへ。

個人的な意見だが、ちさきと紡くんはかなり相性が良いと思う。紡くんも「海が好き」と言っていたことだし(笑)。

ちさきは自分の本心を押入れの奥底に仕舞ってしまうような性格だが、紡くんは良い意味で無神経なので、彼女の本質を正面切ってズバっと言い当ててしまう。

それはちさきにとってかなり酷なことだが、同時に救いでもある。

(この時点ではあかりの精神状態のほうが危ういが、)光への気持ちについてウミウシ(=自分の本心と向きあう場所)を求めていたちさきが、紡くんという解決策に出会う。だから自分の本当の気持ちを語ってしまう。

 

  • 踏切のメタファー

踏切というのは「分断」という意味で、アニメでは頻繁に用いられる手法の一つである。それこそ新海誠監督の「秒速5センチメートル」冒頭、貴樹と明里を踏切で分断させることにより「来年もまた桜一緒に見られるといいね」という死亡フラグを完成させている。
たしか「君の名は。」でも踏切が効果的に用いられていたはず。

とはいえ今回の踏切は分断とは少し違う。なぜなら、どちらかが電車の向こう側に行ってしまう演出ではないし、このシーンでは遮断機が上がるところまで描かれていない。

f:id:qfbrj:20200523184116j:plain

ちさきはまなかに対して「気にしないで!」ではなく「忘れて!」と無理な相談をする。遮断機が上がるところまで描かれていないのは、自分の気持ちを隠したままでいたいという気持ちと重なる。

また、電車が彼女らを追い越してゆくのも面白い。これはちさきの意図に反してまなかに自分の心中を知られてしまったことと、もしかしたらまなかが光に対する気持ちに気付く、という暗示でもあるかも。

5話後半で描かれる美海の独白シーンでも電車の描写があったことから、押し込めていた気持ちが伝達されることを示していると考えてよいでしょう。

 

 

場面はカフェ「トライアングル」へ。にしても意味深な名前。
あかりの回想シーンでは、これまでのイメージを払拭する勢いの溌溂とした美海な姿が確認できる。

あかりがカフェを出てサヤマートに行くと、そこには美海の姿が。
おそらくだが、美海はガム文字を取り去りに来たのだろう。それは光の「卑怯なやり方」という言葉が彼女の中で呪いになっているため。
しかしその文字を前にして、自分は何をしたかったのか。これからどうしたいのか、どう在りたいのか。そういうことを考えていたのだと思う。

そこにきてあかりが「ちゃんとどっか行くから」と発言したことで、自分のやり方が間違っていたことを知った美海。では、その次のアクションとはいかに。

 

 

場面変わり、先島家。

電話の呼び鈴を意に介さない父。分かる。絶対聞こえているはずなのに、頑として反応しない謎。基本家に電話がかかってくるときって父親宛が多いんだから、むしろ積極的に動いてほしいんですよね。

電話口の向こうでは、美海が行方不明になったと焦るあかり。

光「いくら大人ぶったってな、お前なんか俺の母ちゃんの代わりにはなれねぇんだよ!だからとっとの美海の母ちゃんの代わりになれ」

良いセリフですね。これは今回のことに限らず光が常々抱いてきた鬱憤にも聞こえる。親離れならぬ姉離れ。むしろあかりにとっては弟離れならぬ海離れ、か。

 

流れ星の描写については後述。

そして急にかっこよくなる親父。
親父さんには海村の立場上の問題とあかりに対する態度の問題がある手前、大っぴらには行動できない。だからこそ「行ってやれ」は自分ができる最大限のフォローである。
あと、今後はちゃんと電話を取りましょう。

 

捜索シーン。テレフォンカードを取り忘れるあかりやら、線路の上を歩いて美海を捜索する光やら。この子ら大丈夫かしら。
と思いきや美海のほうから顔を出す。

一方のあかりはまたもやカフェ「トライアングル」前にて至さんに心中を吐露するわけだが、ここまで来るとちょっとしたギャグというかスタッフの遊び心が過ぎるんじゃないかと(笑)
こんなこと言うと怒られてしまいそうだけど。

とはいえあかりの回想シーンから、このカフェにはみをりさん(至さんの元妻)存命時の思い出が詰まっているので、この場所以外に選択肢はないでしょう。

 


その後。話題はまなかと美海による「赤いウミウシ」について。

5話のサブタイトル「あのねウミウシ」に象徴されるように、今回は4人のウミウシ(=隠された心境)にスポットを当てた回であったように思う。

一人目はちさき。光との関係性に悩み、紡くんをウミウシにしようとした。
二人目はあかり。建前で造った武装笑顔が決壊し、けっきょく至さんに洗い浚い願いを吐き出している。
三人目は美海。本人の発言でもあるが、ガム文字をウミウシ代わりに使っていた。そして後半、光が美海にとってのウミウシ役を担う。
四人目はまなか。と言っても彼女は自分で自分の気持ちに気付いていない。「赤いの見つかったら、何を話すの?」という美海の問いに答えを見出せない。

 


美海「大好きにならなければ、あんなに苦しくならない」

おはずかしい話、これまで美海の行動理念がいまいち理解できていなかったのだが、この言葉でようやく納得。こうやってきちんと答えを提示してくれるところがアニメの良いところだったりする。

自分が好きなのは母親だけで、母親が好きなのは美海。だから自分はひとり、と。
とはいえ感情が屈折しすぎているというか、「どっかい」とガム文字を残すのは解決策が斜め上すぎるというか。女の子ってみんなそんな感じなのでしょうか。

まぁ美海が「好きにならなければ」と思った時点ですでにあかりを好きになってしまっていたので、はじめから自己矛盾が生じていたのだろう。生きるって難しいね。

f:id:qfbrj:20200523183605j:plain

美海の周りにはたくさんのクマノミが。

まなかが紡くん(の乗る舟)によって地上に引きあげられて憧れを抱いたように、海に飛び込んだ美海を光が引きあげる演出が良い。これはフラグか。

 

  • 三日月と流れ星

流れ星はめったにないという意味と、超自然的な不可思議さから「願い」と「不吉さ」の印象が強い。
ハウルの動く城」ではカルシファー誕生のとき、ハウルが流れ星を捕まえ、食べたシーンが描かれていた。
カルシファーがソフィーの髪の毛(人間の一部=思い)を食べて元気になったように、流れ星は誰かの思いそのものである。
あかりは光に願いを託し、美海は光に自分の心中を吐露した。

上弦の月は、満月に向かって進んでいくという成長を表している。

 


ガム文字の完成によって、美海の本当の気持ちに気付いたあかり。
美海の母親としてではなく、あかりとして。あかりは娘としてではなく、美海として。いいですよね、こういう関係。僕もバツイチ子持ちと結婚するときはこう思うようにしよう。

「美海ね、海が大好き」
母が好きなものは子供が好きなものである。美海は母親が好きだった海が大好きで、海のようなあかりも大好きと。感動。お見事。

 

  • 太陽の役割

話は少しそれるが、本話は特に太陽の出番が多かったように感じる。

もちろん海と大地の物語なので太陽の出演頻度が他アニメより高くなるのは必然であるが、本話ではその傾向が顕著であった。

・ちさきがまなかに「忘れて!お願い!」と懇願した直後(ちさきの気持ちがまなかに露呈したシーンでは、光芒が描かれている)
・あかりと至さんが美海に自分たちの関係を打ち明けようと決心したとき
・あかりが美海の本心に気付き「隣にいさせてほしい」と告げたとき(朝日が昇り、どっかい「かないで」に光が当たる演出は感動的)

 

OPのラストでもまなかが太陽を見つめ、そちらに向かって走り始めるかのような描写がある。

実は1話を見返して気付いたのだが、紡くんとまなかが運命的な出会いをした瞬間、紡くんは太陽をバックに描写されていた。つまり、太陽は憧れの象徴でもあるのかなと。

f:id:qfbrj:20200523183601j:plain

1話冒頭シーンより

いずれにしても気になる。

 

 

というわけで今回はここまで。

本話のハイライトはあかりだったが、ひとえに「あかり回」といえども様々な人間関係が複雑に絡み合い、そのうちのひとつがようやくひと段落ついた、という位置づけかと。

次回は小休憩としてギャグ回でも構わないのだが、次回予告を見る限りそうではなさそうですね。

 

前回までの謎は依然として不明。増えた謎は、冒頭うろこ様が発していた「ぬくみ雪が兆しとなっている、とある変化」について。これはストーリーを追うごとに明らかになり、今後の展開にも大きくかかわってくるところだと思うので注目したい。

 

残った謎

・うろこ様の正体
・1話ラスト付近のまなかの発言「おうたの練習」とは
・5話冒頭のうろこ様の発言「地上と海との境を完全にするべし」の理由

 

それでは、また。

塾講師時代は、教育のことを考えていた。

 

「勉強なんてどうせ社会に出ても一切役に立たないし!」

周知の事実であろうが、これは勉強が苦手な中高生の逃げ口上である。
社会に出たこともないくせに偉そうなことを。と思う方もいらっしゃるだろうが、この言葉は親をはじめとした我々社会人の口癖でもある。

たしかに社会人になった今、微積分や漢文やらの知識が自分を助けてくれているかと問われれば、大半の方の答えは否だろう。
中学生のころ、テスト前に徹夜して覚えた山脈の名前も元素記号の名前も、そのほとんどが忘却の彼方である。

であれば、勉学の知識や知恵はどこに生かされたのか。その答えは言うまでもないが、大学受験である。


少し話は逸れるが、新卒採用の面接に臨んでいたとき「あなたのキャリアプランを教えてください」と問われたことがあった。
入社前から具体的なイメージを求める会社はいかがなものか、という愚見はさておき、訊ねられているのは自身の目標や目的である。

一般的に、ポテンシャル重視の新卒採用では、志望動機は次のような順序で話すと良いとされている。

端的な志望理由 → 将来の自分がどのようにありたいか[理想] → 今の自分がどのような状態・考え方か[現状] → 再度志望理由を述べる[ギャップを埋めるための実現法]

つまり「何か目的があり、現状自分がどのステージにいて、そのギャップを埋めるために入社したい」という筋書きだ。


話を戻すが、大学や専門学校への入学は目標達成のための第一歩である。

例えば、医者を志望する学生は大学入試で医学部に入らなければならない。教師になりたい人は一般的に教育学部に入学するだろう。
もちろん、目的達成のための道は別にもある。険しいかもしれないが、不可能ということもない。世のシステム大半には救済措置が備わっている。

だが、夢を実現するための一番手っ取り早い道筋は大学に進学し、必要ならば大学院に進むこと。
「敷かれたレール」と呼ぶと聞こえは悪かろうが、自己実現方法が明確に示されているというのは大変にありがたいことなのである。


要するに何が言いたいかというと、自己実現のために大学があり、大学入試のために中学高校の勉強がある。
何を当たり前のことを、と思われることだろう。当たり前のことだが、見失ってはいけないポイントだ。

 

海外ではほとんどが別の形態を採っている。

シンガポールは中学進学時から学力レベルによって学校が区分され、以降も徹底された実力主義の進学しか許されない。下剋上はほとんど不可能な状態である。
インドでは学力レベルによって受講できる科目に制限がある。成績が芳しくない生徒も優秀な成績を収めた生徒も皆一様に、テストスコアによって受講科目が決定される。

 

他方日本はずいぶんと融通が利くうえ、将来の官僚候補と万年赤点の生徒が同じ中学出身なんてケースも珍しくはないだろう。
どちらかというと、日本の教育は天才を育てることよりも全体の知能レベルを平準化することに重きを置いている。

だから取り返しがついてしまう。『学年ビリのギャルが1年で偏差値を40上げて慶應大学に現役合格した話』は日本の教育システムあってこそとも言える。
そうやって様々な自己実現を可能にしているのが、日本の教育であると思う。

 

ただし、何の疑いもなくこのレールに従った人の大半は「自分は何がやりたいのか」という問いの答えを見つけられなくなる。
何にでもなれる可能性を残した教育方針をとったことで、何になりたいのか分からない生徒が増えるという矛盾が生じる。

それもそのはず。右を向けと言われたら右を向く教育をされてきた人が、突然「あなたは今後何をしたいの?」と聞かれても答えに窮するだろう。
手つなぎゴールを是としてきた先で「他の人にはないあなただけの魅力は?」と問われても「数学が得意」「英語が苦手」という回答では不正解だ。

日本の教育は救済措置が充実している優しい方針だと思う。日本の大学受験制度ほど平等なものはない。
けれどもその弊害は大きい。


「勉強なんてどうせ社会に出ても一切役に立たないし!」

あらためてこの言葉。ごもっともである。ここ数年で√12を2√3にした覚えはない。

 

だから、個人的な意見を言うと誰もが勉強する必要はないと思っている。

たとえば家業を継ぐことが決まっている人。卓越した芸術センスがあり、食扶持に困らない人。
そういったすでに武器を持っている方々は皆に合わせて無理に勉強するより、その武器に磨きをかけることを優先すべきだと思う。

また、天賦の才とまではいかなくとも弁が立つ人や誰かを笑顔にすることに長けている人。いわゆる世渡り上手は、勉強せずとも成功をつかみ取ることもあろう。

 

しかし世にギフテッドは多くない。武器の作り方も使い方も、学校では教わらないからだ。
では、何も持たない凡人はどうすれば良いのか。そこで満を持して登場するのが勉強だ。勉強は武器にはならないが、盾にはなる。

 

勉強をして大学に入れば、進路の可能性が広がる。夢の可能性が広がる。

アルバイト経験しかない人間が教師になるのは大変だが、教師がアルバイトになるのは比較的容易。槍や銛などにある逆刺のようなイメージが近い。獲物を刺すにはスルリだが、獲物が逃げるのは困難。

だから、「何をしたいわけでもないから勉強しなくてもいいや」というのは真逆で、むしろ「やりたいことが見つかった時のために勉強しておこう」が正しい判断だと思う。
やりたいことが見つかったとき、その準備が万全の状態にしておくことは悪いことじゃないはずだ。

何事も遅すぎることはないが、高卒のパートタイマーが30歳になってから医者を目指すのはかなり困難で効率が悪い。

 

親が勉強をしろというのは、子に幸せになってもらいたいからである。
僕は個別指導塾でアルバイトとして勤務していたので、親が毎月およそ3~5万円かけて子供の将来を守ろうとしていたことを知っている。

講師にはそのくらい責任があって、僕はそれに耐えかねて辞めたわけだけれども。


勉強が嫌いな中学生や高校生はこんなクソブログ読んでいないかもしれない。勉強は社会に出ても役に立たないが、その先で得た経験や学歴は血となり肉となる。
中高の6年間頑張るか、大人になってから50年近く泥水を啜るか、しっかりと考えて生きていってほしい。

と塾講師時代、そんなことばかりを考えていた。

 


最後に。生徒役の芋演技が気になるが、ドラゴン桜より。

www.youtube.com

凪のあすから 第4話「友達なんだから」感想

アニメ初鑑賞。原作コミック未読。
素人がテキトーなことを書いているので、訂正や批判等あったらぜひにコメントお願いします。


前回までに残った謎は以下のとおり。

・ガム文字を残した少女2人組の正体
・うろこ様の正体
・1話ラスト付近のまなかの発言「おうたの練習」とは
・あかりのお相手の正体(あかりとの馴れ初め・妻の存在)

 

↓前回の記事↓

ex-finprethe.hateblo.jp

以下ネタバレあり

 

もう3年ほど前(!)にもなるが、新海誠監督の「秒速5センチメートル」についての所感を述べたとき、女性の髪形が性格や心境を象徴的に示していることに気が付いた。

 

たとえば三つ編みが幼く見える理由の解釈の一つとして、誰かの庇護下にあるという印象を受けるから、と考える。

三つ編みにしたくって母や姉に手伝ってもらう少女の姿。それは誰かに保護され、所有されているようなイメージと重なる。そもそも髪を結う≒縛るという行為自体、不自由さの比喩であるようにも感じられる。

 

それを踏まえ、まなか。まなかは子供っぽい描かれ方(光たちに守られる役割)をしているのに、髪をいっさい結わず、常にシュシュを腕に巻いている。

そういうところから、まなかという人物像の変化が窺える。というか、これまで守られてばかりだった存在が、その殻を脱ぎ捨てて進んでゆくという、まさしくまなかの成長を描くアニメ。あれ、主人公誰だっけ。

1話でうろこ様はまなかをして「発情期じゃ」と言った。
光は地上(やそこに住む紡くん)に憧れるまなかにつっけんどんな態度をとってしまった。

つまり、光たちの気持ちが追い付かないうちから、まなかの心は地上に傾いていた。
2話における要の発言。「意外だったな、まなかがこの場所からの一歩を最初に踏み出すなんてね」

同じく2話にて、うろこ様。「お前は今まで、いっつも誰かに守られてきた。光やちさきや要や、お前はその後ろをちょんちょろちょんちょろ付いていれば良かったじゃろ?それが、皆に守られないところに行こうとしている。自分を守るためにはな、多少の嘘も必要になってくる」

まなかは海村カルテットの誰よりも先に地上にあこがれを抱き、そして近づこうとしている。もはや誰かの後ろをくっついて歩くだけの、か弱い女の子ではない。

 


にしてもこの発言。飄々としているうろこ様らしさ全開というか、実に思わせぶりである。
本話にて、うろこ様はあかりに向かって「呪い、かけてやってもいいんじゃぞ?」と発言している。

これはかなり好意的に捉えているかもしれないが、うろこ様のバックボーンというか行動指針として、海村の人々の幸せを第一に考えていると思う。
「幸せ」というのはずいぶんと定義があいまいで、可変的かつ即物的に捉えられる点において微妙な表現だが、彼の言動をたどってゆくと、たぶん「幸せ」に行き着くと思う。

まなかは1話でぎょめんそうの呪いをかけられたが、それが奏功して紡くん(地上)と近づくことができた。
その後、まなかは再度呪ってほしいと懇願するも、あえなく却下。それはまなかのためにならないどころか、本人の成長を阻害する行為である。
なにより、うろこ様が2話で上の発言をしているとき、妙にうれしそうな表情をしていたのが印象深い。

 

一方のあかり。現状、彼女が幸せになるルートは2つ。
①地上の男(「至さん」と言うらしい)をきれいさっぱり忘れて、海村で暮らす。
②誰にも後ろ指をさされることなく、認められ祝福されながら至さんと地上で暮らす。

彼には神の使という役目があるから「承知いたしておりますよ、海神様。海の人間を、今地上にやってはならない」というセリフに象徴されるように、表向きあかりが地上に出ていく行為を認めるわけにはいかない。

 

ただ、うろこ様は海村の人間の味方であると思う。いまだ正体不明のうろこ様に全幅の信頼を置いてもよいのかは疑問だが。
おそらく彼はあかりが拒否することを分かったうえで上の提案をしたと思うが、それはつまりあかりが至さんとくっつく未来しか残されていないということ。

よって、物語としてはあかりが地上に出る方向に進むのであろうが、正直なところ展開の予測が全くできない。
あかりの地上進出を、海神様の使いであるうろこ様が許可し、海村の人間が祝福している未来。そんなあかりと視聴者にとって都合の良い未来は来るのでしょうか。

 

4話時点で一つ言えることとしては、上のセリフ「承知いたして~」の「今」がいつまでを示しているのか。こういった曖昧な部分が伏線として敷かれていることで、物語が思わぬ展開に動く可能性を秘めていることくらいだろうか。

 


ここからやっと本編へ。
といっても前置きで疲れたので今回はだいぶ端折りますが。

 

冒頭。負けん気の強いさゆと光の会話で、印象的なシーンがある。

 

光「俺もお前のおやじのこと気に食わねぇ。子供がいるのに若い女に手ぇ出すなんて、あかりに、姉貴にふさわしいとは思えねぇよ」
さ「お前んちのお姉さんがたぶらかしたんだろうが!」

f:id:qfbrj:20200516235300j:plain

少し見づらいが、さゆが上のセリフを言ったとき、美海はさゆの前に腕を出している。

 

4話中盤以降に分かることだが、美海とあかりは元々仲が良かった。本心では今でもあかりのことが好きなのだろう。

だから他人にあかりの悪口を言われたくない。自身の母になろうとしていることは気に入らないが、人格否定となると話は別というところか。僕も自分が住んでいた田舎の悪口は散々言うが、余所者がわが故郷をコケにした日には末代まで呪いたくなるので彼女の気持ちはよく分かる。違うか。

 

光「お前、美海みたいな卑怯なやり口は、俺嫌いだ」

 

美海は、あかりから月島家の(母が他界しているという)事情を聞いていたのかもしれない。だから光は自分と同じような境遇にあって、唯一協力してもらえる≒自分の行動を肯定してくれると確信していたはず。

たぶん美海は本来めっさ良い子で、わがままを言うことも少なかったのだろう。
そんな彼女が幼くして母を亡くし、お姉さんと思っていた人が、その後釜に入ろうとしている。そんな現実を拒絶しないほうがおかしい。

けれども拒絶の仕方がわからない彼女は、友達であるさゆの方式に従った。
さゆは年の割に小難しい言葉をよく用いるが、それは弱い自分を隠すための盾であり、また自分の言葉ではうまく語れないことも示している。口よりも先に手が出るタイプとでも言おうか。

真正面から「いやだ」と言えない美海にとって、さゆの陰湿で直接的でない攻撃はずいぶんと手軽で気軽なものだったろう。
しかしそんな行為を光に一刀両断されてしまった。しかも自分に向かって直接「嫌いだ」と。

 

ここから卑怯な手をやめた美海。おじょし様破壊の件を光に伝えたのも、当事者である光に直接伝えるべきだという心境の変化か。
にしても、おじょし様を破壊したさゆに向かって美海が吐いたセリフ「そういう卑怯なやり口は、私大嫌いだ!」は、まんま光の受け売りですよね。笑

 

本当に光は名前のごとく、誰かの進むべき方向を示す灯台のような立ち位置になっている気がする。

f:id:qfbrj:20200516235304j:plain

光と、背景に映る灯台

 

このシーンの後、光はまなかの頭をなでようとして手を伸ばすが、思いとどまる。

もはや目の前にいるのは自分が守るべき対象ではない。

 

ヒーローがピンチに陥った時、誰がそのヒーローを助けるのか。みたいな問いがあるが、まなかにとっての光がそうであるように、光にとってのまなかも自分の道を示す存在になっていた。
それに気づいた光は、自分と対等の立場にいる(むしろ自分よりも先を進む)彼女に向かい「ありがとな」と告げている。

 


翌日。光は地上のクラスメイトに謝罪し、心の壁を(物理的に)取っ払うことに成功。

f:id:qfbrj:20200516235256j:plain

黒板に書かれた三目並べの形跡が細かい。どちらもおあいこなのだ。

 

さて。地上の連中と和解し、要に諭されたさゆが謝罪して大団円のハッピーエンド!・・・というわけにもいかないのがこのアニメ。ラストのちさきがダークサイドに堕ちそう。

 

ち「光をかばいたかった...だけど」

 

だけど、その必要はなかった。光は光のやり方で、誠心誠意正面から謝罪して、クラスメイトとのわだかまりを解消した。
自分がやろうとしたことは間違いだったのだろうか。波路中学ではなくなり、みんな少しずつ変わっていって、自分だけが過去にとらわれているような、そんな居たたまれなさを感じ始めている。

 

地上のクラスメイトにちらし寿司をわざとこぼされ、大好きなまなかがひどい目にあった直後でさえ「ねぇ、もうちょっと仲良くしたほうがいいんじゃない?」と言えるのがちさきだった。
ちさきの「仲良くする」というのは光の考える仲良しとは多分違って「波風立てず、うまくやっていこうよ」ということ。

 

ちさきが事実を隠匿しようとした行為は、光の言う卑怯で嫌いなやり方だろう。そんなこと、ちさきが一番分かっているはずである。

じわりじわりとちさきの心が荒んでゆく。。。がんばれ。

 


にしても、ちさきがはじめて感情を露わにした直後の紡くんのセリフ「俺、海が好きだ。シシオのヤツも」がとてもかっこ良い。
海は荒れることもあれば凪ぐこともある。そういう様々な側面を許容するのが「海が好き」という一言。

紡くん自身、おそらく今後も感情を爆発させることはないと思うが、だからこそ複数の顔を持つ(=感情的な)海村の人間にあこがれを抱いているのかもしれない。

 

というわけで今回は以上。

次回に進むにあたり、ちさきの精神状態が不安でならないが、どう対処していくのか。

 

また、前回までに残った謎として挙げていた

  • ガム文字を残した少女2人組の正体

は解消されたと言って良いでしょう。

全貌は明らかになっていないものの、美海は(あかりが思いを寄せる)至さんの娘で、さゆはその友達。
彼女らの過去エピソードも簡単に紹介されたことで、十分に自己紹介は済んだと判断します。

 

さらに

  • あかりのお相手の正体(あかりとの馴れ初め・妻の存在)

こちらもある程度は把握できたので次回以降は除外。みおりさんという海村出身の女性と親交のあったあかりが、その家族である潮留家の人たちと知り合うのは自然な流れである。

 


そして以下が、いまだ明らかになっていない謎

・うろこ様の正体
・1話ラスト付近のまなかの発言「おうたの練習」とは

謎はだいぶすっきりしたが、心のモヤモヤは蓄積していくような。そんな人間臭さがこの作品の魅力かと。4話で作品を語るな、って感じですよね。

それではまた次週。

 

 

ex-finprethe.hateblo.jp