お金がほしい

お金がほしい

真面目に読むと損をします。心と時間にゆとりのある状態でどうぞ。

塾講師時代は、教育のことを考えていた。

 

「勉強なんてどうせ社会に出ても一切役に立たないし!」

周知の事実であろうが、これは勉強が苦手な中高生の逃げ口上である。
社会に出たこともないくせに偉そうなことを。と思う方もいらっしゃるだろうが、この言葉は親をはじめとした我々社会人の口癖でもある。

たしかに社会人になった今、微積分や漢文やらの知識が自分を助けてくれているかと問われれば、大半の方の答えは否だろう。
中学生のころ、テスト前に徹夜して覚えた山脈の名前も元素記号の名前も、そのほとんどが忘却の彼方である。

であれば、勉学の知識や知恵はどこに生かされたのか。その答えは言うまでもないが、大学受験である。


少し話は逸れるが、新卒採用の面接に臨んでいたとき「あなたのキャリアプランを教えてください」と問われたことがあった。
入社前から具体的なイメージを求める会社はいかがなものか、という愚見はさておき、訊ねられているのは自身の目標や目的である。

一般的に、ポテンシャル重視の新卒採用では、志望動機は次のような順序で話すと良いとされている。

端的な志望理由 → 将来の自分がどのようにありたいか[理想] → 今の自分がどのような状態・考え方か[現状] → 再度志望理由を述べる[ギャップを埋めるための実現法]

つまり「何か目的があり、現状自分がどのステージにいて、そのギャップを埋めるために入社したい」という筋書きだ。


話を戻すが、大学や専門学校への入学は目標達成のための第一歩である。

例えば、医者を志望する学生は大学入試で医学部に入らなければならない。教師になりたい人は一般的に教育学部に入学するだろう。
もちろん、目的達成のための道は別にもある。険しいかもしれないが、不可能ということもない。世のシステム大半には救済措置が備わっている。

だが、夢を実現するための一番手っ取り早い道筋は大学に進学し、必要ならば大学院に進むこと。
「敷かれたレール」と呼ぶと聞こえは悪かろうが、自己実現方法が明確に示されているというのは大変にありがたいことなのである。


要するに何が言いたいかというと、自己実現のために大学があり、大学入試のために中学高校の勉強がある。
何を当たり前のことを、と思われることだろう。当たり前のことだが、見失ってはいけないポイントだ。

 

海外ではほとんどが別の形態を採っている。

シンガポールは中学進学時から学力レベルによって学校が区分され、以降も徹底された実力主義の進学しか許されない。下剋上はほとんど不可能な状態である。
インドでは学力レベルによって受講できる科目に制限がある。成績が芳しくない生徒も優秀な成績を収めた生徒も皆一様に、テストスコアによって受講科目が決定される。

 

他方日本はずいぶんと融通が利くうえ、将来の官僚候補と万年赤点の生徒が同じ中学出身なんてケースも珍しくはないだろう。
どちらかというと、日本の教育は天才を育てることよりも全体の知能レベルを平準化することに重きを置いている。

だから取り返しがついてしまう。『学年ビリのギャルが1年で偏差値を40上げて慶應大学に現役合格した話』は日本の教育システムあってこそとも言える。
そうやって様々な自己実現を可能にしているのが、日本の教育であると思う。

 

ただし、何の疑いもなくこのレールに従った人の大半は「自分は何がやりたいのか」という問いの答えを見つけられなくなる。
何にでもなれる可能性を残した教育方針をとったことで、何になりたいのか分からない生徒が増えるという矛盾が生じる。

それもそのはず。右を向けと言われたら右を向く教育をされてきた人が、突然「あなたは今後何をしたいの?」と聞かれても答えに窮するだろう。
手つなぎゴールを是としてきた先で「他の人にはないあなただけの魅力は?」と問われても「数学が得意」「英語が苦手」という回答では不正解だ。

日本の教育は救済措置が充実している優しい方針だと思う。日本の大学受験制度ほど平等なものはない。
けれどもその弊害は大きい。


「勉強なんてどうせ社会に出ても一切役に立たないし!」

あらためてこの言葉。ごもっともである。ここ数年で√12を2√3にした覚えはない。

 

だから、個人的な意見を言うと誰もが勉強する必要はないと思っている。

たとえば家業を継ぐことが決まっている人。卓越した芸術センスがあり、食扶持に困らない人。
そういったすでに武器を持っている方々は皆に合わせて無理に勉強するより、その武器に磨きをかけることを優先すべきだと思う。

また、天賦の才とまではいかなくとも弁が立つ人や誰かを笑顔にすることに長けている人。いわゆる世渡り上手は、勉強せずとも成功をつかみ取ることもあろう。

 

しかし世にギフテッドは多くない。武器の作り方も使い方も、学校では教わらないからだ。
では、何も持たない凡人はどうすれば良いのか。そこで満を持して登場するのが勉強だ。勉強は武器にはならないが、盾にはなる。

 

勉強をして大学に入れば、進路の可能性が広がる。夢の可能性が広がる。

アルバイト経験しかない人間が教師になるのは大変だが、教師がアルバイトになるのは比較的容易。槍や銛などにある逆刺のようなイメージが近い。獲物を刺すにはスルリだが、獲物が逃げるのは困難。

だから、「何をしたいわけでもないから勉強しなくてもいいや」というのは真逆で、むしろ「やりたいことが見つかった時のために勉強しておこう」が正しい判断だと思う。
やりたいことが見つかったとき、その準備が万全の状態にしておくことは悪いことじゃないはずだ。

何事も遅すぎることはないが、高卒のパートタイマーが30歳になってから医者を目指すのはかなり困難で効率が悪い。

 

親が勉強をしろというのは、子に幸せになってもらいたいからである。
僕は個別指導塾でアルバイトとして勤務していたので、親が毎月およそ3~5万円かけて子供の将来を守ろうとしていたことを知っている。

講師にはそのくらい責任があって、僕はそれに耐えかねて辞めたわけだけれども。


勉強が嫌いな中学生や高校生はこんなクソブログ読んでいないかもしれない。勉強は社会に出ても役に立たないが、その先で得た経験や学歴は血となり肉となる。
中高の6年間頑張るか、大人になってから50年近く泥水を啜るか、しっかりと考えて生きていってほしい。

と塾講師時代、そんなことばかりを考えていた。

 


最後に。生徒役の芋演技が気になるが、ドラゴン桜より。

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