お金がほしい

お金がほしい

2020年10月をもって更新をストップします。永らくのご愛読ありがとうございました。

はじめて20歳になってしまった男

これは友達の友達の話である。

 

 

時刻は午前0時を過ぎ、昼間聞こえた騒がしいほどの笑い声が嘘のように、あたりはシンと静まり返っていた。

電気もつけず、カーテンを開けてぼんやりと物思いにふける男がひとり。
僕...じゃなくて男はしばらくリビングから窓の外を眺めていたが、ふと思い出したようにキッチンの棚へと足を向けた。
片方の戸を開けるや埃が宙に舞い、差し込んだ街灯に照らされてキラキラと光る。

踵を上げ、手を伸ばしてようやく手の届くほど奥に仕舞っていたものは、瓶に入ったお酒であった。

 

「ハッピーバースデー、俺」

 

オレンジジュースを飲みなれたコップに濁りのない清酒をトクトクと酌みいれ、男はひとり、そうつぶやいた。

コップに注がれたその無色透明な液体は、ゆっくりと唇を濡らし舌にピリッとした刺激を与え、焼けるような熱さとなって喉を通り抜けてゆく。

 

「これがお酒か...」

 

20歳の誕生日を迎えて初めて口にしたその飲み物は、甘いようで苦く刺激的で、ちょっぴり大人の味がした。


大人の味。そう表現している時点で、まだ子供なのかもしれない。
19歳から20歳になったからといって、何かが急激に変わるわけでもない。ただ、酒を飲んでもタバコを吸っても怒られなくなるだけのこと。

そうやって、外部から与えられた権利だけが基準となり、男は大人になってしまった。
大人になるとは責任と義務を背負い込むことであり、同時に自由を得ることでもある。

何をしても自由。どこに行っても自由。これまで繋がれていた鎖は解かれ、代わりに自己責任という名の落とし穴が広がっている。

ひっきょう、人間は死ぬまで不自由なのかもしれない。
20歳になったら雲の切れ間から光が見えるものと信じ込んでいたが、そのはるか上空に分厚い雲が覆われている事実を突きつけられただけであった。

では、どうすれば大人になれるのだろう。
男は考える。子供時代には手が出せなかった領域が、まだどこかにあるはずだ。

 


20分後。
気づいた時には、男はスマートフォンを片手にエロサイトを検索していた。

 

「あなたは20歳以上ですか?」

 

指が震えている。心音がうるさい。

もしも「あなたは大人ですか?」と書かれていたら、もっとスムーズに事が運んだかもしれない。

だが、男はその権利を得てしまった。
今の俺はこれまでとは違う。もうあの頃のように迷う必要なんてない。モザイクの向こう側を、俺はこの目で確かめるのだ。

そうか、これが「酒の力」というものかっ!


恐る恐る押下した「はい」に反応して、グルグルとURLが読み込まれる。

 

https://image.itmedia.co.jp/mobile/articles/1603/07/l_ki_20160307R25.jpg


男はゆっくりとスマートフォンを机に戻す。

 

「そうか、これが大人になるということか...」

 

男は、一歩踏み出した先にこのような世界が広がっていることを知らなかった。
「はい」の向こう側では、どんな景色が見えるのか知らなかった。

ここが、ようやくスタート地点である。

 

 


「大人じゃないと支払えないくらい高額だから、未成年者は訪問禁止だったのか!」

 たしかに15歳の僕は、この金額をすぐには用意できなかっただろう。探求心と資本が反比例する生命体、それが未成年男子である。

 

だが男は違う。彼はもう立派な20歳。大人万歳。

親戚は最近お年玉をくれなくなった。けれどもなぜか日本政府から定額給付金という名のプレゼントがあり、元手を得てしまった男はついに念願だった大人の仲間入りを果たしたのだった。

 

男は知らなかった。動画の再生ボタンを押したら、アプリのダウンロードページに飛ばされることを。
男は知らなかった。ウェブ広告は、あそこまで薄くなれることを。

どうして広告が上から降ってくるのか。考えてはいけない。大人になるとはそれを受け入れることなのだ。
リンクを4つぐらい経由して、目的の動画を見失ってしまうこともあった。男は己の記憶力の浅さを恥じた。大人になるまで気付かなかった自身の短所であった。
ファミレスに行くと真っ先にメニューを決められていた男も、数多の動画の前では目移りばかりするようになってしまった。

「んだよ、わざと画質粗くしよって。夕陽を使ってボディラインを細く見せようと頑張っているようだが、そんな小賢しい真似をして俺の目を欺けるとでも?」

穏やかだった男の性格は、サムネの映りが良かっただけの動画に即低評価をつけるほど起伏が激しくなった。

エロサイトを訪問すると、よくセキュリティ通知が届く。端末がウイルスに感染していることを教えてくれるのでとてもありがたい。
男は大人になり、エロサイトが端末の情報を管理してくれることを知った。

 


そう、男はついに悟った。

大人になるとはつまり、絶え間なく降ってくる広告と広告の隙間に見える×ボタンを押すことなのだと。

 


人生は何をしてきたかが重要なのではない。何を学び、何を糧としてきたのか。
それこそが何物にも代えられない自分だけの価値となり、血肉となる。

 


男は大人になる。
そしてちょっとだけスマートフォンの動作が遅くなった。