お金がほしい

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2020年10月をもって更新をストップします。永らくのご愛読ありがとうございました。

個人的に好きな歌詞5選

そういえばむかし、ブログをやっている知り合いが「ブログは処方箋である」的なことをのたまっておられた。
文章を書く行為とは、脳内にある知識や見解を理路整然と書き並べることである。そういったプロセスによって、自分を殺さずにいられるのだと話していた。

ブログは生きがいであり、証であり、万覚え帳である。
であるならば、今の自分が好きなことを書いておくのがよい。数年後に見返して頬を紅潮させるくらいが程よいのかもしれない。


とここで、随分前にこんな報せを目にしたことを思い出した。

staff.hatenablog.com

要するに、「ブログに歌詞書きまくっておくれ」というはてなブログからの啓示である。

従来は、やれ著作権だ、画像の無断転用は肖像権の侵害だ、いやいやパブリシティ権の侵害だ、なんて処々方々からクレームが飛んでくる恐れがあったわけだが、少なくとも歌詞を当ブログに載せたところでお咎めはない。
そんな素敵な案内であった。

僕は基本的に音楽の歌詞になんて目をくれぬ人間であるが、そんな僕が震えた歌詞のフレーズをここに留めておくこととする。
キリがいいので(たくさん書きたくないというのが本音)5つだけ。

 

ひとつめ。

私 本当は目撃したんです 昨日電車の駅 階段で
ころがり落ちた子供と つきとばした女のうす笑い
私 驚いてしまって 助けもせず叫びもしなかった
ただ恐くて逃げました 私の敵は 私です

 

この曲は面白い。
イントロではバスドラムとスネアだけの音がひたすら続き、まるでデモテープであるかのよう。
30秒近く経過してようやく蚊の鳴くような声で入る歌声は、裁判所で己が罪を独白するかのごとく淡々としていて、しかし物憂げである。

上に記した歌詞の恐ろしいところは、きっとこの曲を聴いた100人のうち100人が同じような風景を想起するだろう点。そしてなんだか無性に泣きたくなって、なにかに懺悔したくなる。
本人はインタビューで「音楽家よりも詩人の谷川俊太郎さんや脚本家の倉本聰さんが同業者だと感じる」と語っているが、こういったワンフレーズをとってもその才能の一端が垣間見えて面白い。
こんど彼女のツアーに足を運ぶので、時間があればレビュー記事を書きます。


ふたつめ。

バスの揺れ方で人生の意味が 解かった日曜日

草野マサムネさんは、いい加減世間も気づいているだろうが生粋の変態である。
知りもしないうちから「スピッツって優しい歌が多いよね」などと仰る御仁は、兎に角アルバム「ハヤブサ」を通しで聴いてみておくれ。

さて、本題に戻るがこの曲。
サビはけっこう有名なので、曲名とメロディが一致しない人も一聴すれば「あぁ、この曲か」となるかもしれない。というか、スピッツの場合この「あぁ、この曲か」が頻発すると思う。そのくらい日本人の五臓六腑に染み付いているはずだ。

そんなメロディーメイカーの草野さんは、変態的に天才的な歌詞を書くことでも知られている。
とはいえ、上の歌詞を見てもらえれば分かるように、常人が理解するにはあと500年ほど生きねばならない。

スピッツの歌詞は、意味不明なものが非常に多い。よく思い出してくれ。カラオケで何気なく歌っている『ロビンソン』の歌詞も分からんし、そもそも曲名からして意味分からん。
人間が死に対して恐怖を抱くのは、それが未知のものであるからだ。そしてスピッツの歌詞も未知のものである。だから怖い。

ただ面白いのは、常人でもごく稀に歌詞の意味が分かることがあるという点だ。
基本的に意味不明のまま、スピッツの歌詞は無数の点として脳内の記憶に存在している。しかしふとした瞬間、そうした点と点が一本の線になることがある。

そしてまるで悟りを開いたかのように「あぁ、この歌詞はそういうことだったのか」と、気持ち悪いくらいストンと腑に落ちて昇天。
意識が戻ったときには理解したはずの歌詞の意味をきれいさっぱり忘れている。アハ体験というよりは怪奇現象である。この現象に名前をつけてやるという方募集しています。

先日、ストロング缶を3本開けたときに上の歌詞についてふと閃いたのですが、案の定忘れてしまいました。


みっつめ

座る電車の座席の前に
手すりにもたるる老婆がひとり
ああ 恐ろしき世間の前に
俺は座席を立つものよ

他人に貸せないアルバムランキングで堂々の1位にランキングしているエレファントカシマシのアルバム『生活』から1曲。
最近の「ドーンと行け」「旅に出ようぜ」「なんでもいい」あたりのゴリ推しもいいが、火鉢をあいだにひたすら書物を漁っていた20代宮本の鬱屈した自我を表出させていた初期の衝動もまた至高。

ここまで著名なミュージシャンの比較的有名な曲をセレクトしてきたのに、一気にマニア度合いが増して申し訳ない。

同曲では、しょっぱなから「うらやましきはカラス共に 我が肉食えやと言いたる詩人よ」と嘆いているが、世間と自分との間に大きく開いた溝に対するコンプレックスとフラストレーションがすさまじい。
なにせ、彼はとっても怒っているのである。


よっつめ

  • チューリップ『夕陽を追いかけて』
都会に海が見えないから
他人は僕を笑いものにする
都会の星はとても遠いから
他人は僕を夢見る馬鹿と言う

歌詞だけを変えながら、同じメロディーをなぞるように進行していくのになんとドラマチックな曲だろうか。
こういう構造の曲は、邦楽ならTHE 虎舞竜の「ロード」、洋楽ならばEaglesの「The Last Resort」のように歌詞に比重を置いている場合によく用いられる。

ここで歌われているのは、田舎から都会に出た男の、なんともちっぽけで惨めに思われるかもしれない性である。

上の箇所は、地元に帰省した男の

でも海はまだ生きていた
いつも勇気をくれた海だった
空の星は昔のまま
指先に触れるほど近くに

という部分と対比構造になっており、田舎モンにとっては永遠のテーマソングなのかもしれない。
近年の明るい曲は、「明日を迎えに行こう」が主流ですね。


いつつめ。

  • 新沢としひこ『みちくさ』
他人の服はきれいに見える
自信を持っているように見える
あせらない あせらない 君の歩く 道は
石ころだらけで すてきじゃないか

最後に童謡。どういうことだよ。
いや、色々と迷った結果こうなりました。

新沢としひこといえば「世界中のこどもたちが」「ともだちになるために」といった、誰もが知っている童謡の作詞者として有名である。
この曲をどういった経緯で知ったのかはもう忘れてしまったけれど、歌詞がスッと染み入るような感覚があってとても好き。

俗諺に十人十色という言葉がある。金子みすゞは「みんなちがってみんないい」と言った。
これらは実は、僕の苦手な言葉である。こういう言葉を教育に持ち出すと、きまってあぶれ者が出る。平等という言葉は、差別を表出化させる。

だから周囲に問うのではなく、自分に問うべきだ。
そこに自己肯定感があれば、それでいい。そういった当たり前のことを教えてくれる歌詞だと思い、セレクトした。


というわけで、以上。
実はまだまだあるので第2弾があるかもしれないが、まぁそれは追々。

こうして自分の琴線に響く歌詞を並べてみると、僕という人間がコンプレックスの塊であるということがよく分かる。
就職活動の自己分析じゃあないが、新たな自分の一面に気づくことができるかもしれないので、皆さんもぜひおためしあれ。