お金がほしい

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2020年10月をもって更新をストップします。永らくのご愛読ありがとうございました。

1年前の書き損じブログの処理方法

ふとパソコンを漁っていると、「あああああ.txt」という謎のテキストファイルを見つけた。開けてみるとこれまたびっくり。ブログ記事用に書き溜めていた文章が現れたのだ!

こ、これは神の啓示か・・・?などと思い内容を読むのだがとてもとてもとてもつまらない。なんだこれ。一ミリも面白くない。

いつ書いたものだろうとプロパティを覗くと、最終更新が2018年9月ということで、ちょうど1年前に書かれたらしいと判明した。

そう、何を隠そうわたくしその文章を自分で書いた記憶がまるでないのである。むしろつまらなすぎるため、他の人が書いたものであって欲しいと願っているレベル。

だが文体というか書き方の癖はごまかせないもので、「あ、これ自分の文章だな」というのは数行で理解できた。

 

なのでどうだろう。最近ネタもないことだし、この際思い切ってそれを公開してしまおうではないか。なに、1年前の自分の没記事が読者にどう捉えられようと、まったくダメージはないしむしろ微笑ましく見守れるレベル。

いっそこれをバネとして今後のブログ活動の反面教師に拵えれば、より良質な記事を書く手助けになるかもしれない。

という詭弁を脳内で完結させましたので、以下その文章を載せます。

長い割に面白くないです。もう一度言います。面白くないのにけっこう長いです。

 

 

―――――以下、本文―――――

「タイトル:嫌われるミュージシャンの特徴」

 

しばし「好き」の反対は「無関心」というが、対義語はどう考えても「嫌い」である。
けれども、この世に0か100かで語れることなど皆無に等しく、まして言葉尻を捕らえる現代においては殊更言うまでもないだろう。

だから「好き」は「嫌い」も包含しており、その強さやベクトルのちょっとした違いなんかでファンとアンチの対立構造が生まれるんじゃないか、なんて個人的には思うのです。

YouTubeのコメ欄を戦場としたアーティストへの賞賛と悪罵なんて後を絶たず、あまり感情的でない性格の僕からすれば、よくもまぁ皆さん躍起になってドンパチできますね。と素直に感心してしまうのだが、ファンがアンチコメをスルーできないのはそれだけ思いが強いからなのでしょう。
対象が何であっても、熱を傾けられる何かがあるというのは本当に羨ましい。というか妬ましい。

たとえば僕が音楽について記事を書き、できあがった文をいざ見てみると本当に淡白な仕上がりになっていて、多分50年後にはAIが僕よりよほど上手な文章を皆さんにお届けしているのでしょうね、と勝手に妄想して勝手に落ち込んでいる。
音楽ライターとか腕のあるブロガーの文章を見ると、こりゃ敵わないな、なんて思ってしまうのです。

何が違うかというと、もちろん音楽的素養とか専門用語の多さもあるんだけど、やはり熱量。
読んでいてすごく気持ちがいいのは「これを書いた人は本当にこのアーティストが好きなんだな」と思えるからで、そういうのは一朝一夕に養えるものではないし、文才ではなく感受性の問題。

だから本当はrockin'comの音楽文というサイトに寄稿してみようか、なんて一時考えたときもあったが、今のままでは無理でしょうね。


なので僕は今の僕らしく、アホ丸出しの駄文をひたすら書き殴っていこうと思う。

今回筆を執ったのは、眠れない夜にふと「嫌われるミュージシャンの特徴」って何だろうと気になったため。本当にただそれだけ。

というわけなので、金にも鉛にもならないがこのブログを通して上記の題について考察をしてゆこうと思う。

まずはじめに、嫌われるミュージシャンとはどういう系統なのか、それをあらってみる。
以下に書き記したのは個人の見解によるものであり、独断とか偏見とか恨みとか嫉みとか色々混入していますので悪しからずご了承願います。

 

  • 嫌われるミュージシャンの特徴
    • 量産型の同じような曲調ばかり
    • キャラクターが作りこまれている
    • 歌詞が浅い
    • ハイトーンを駆使しまくる
    • 歌が下手
    • ファンにミーハーが多い


はい。
・・・ついに言ってしまった。これまで何となくみんなが思っていたけれど口に出したら殺されるからあえて口を閉じていた事実に首を突っ込んでしまった。

けれどもここまできたら引き下がれないので、以上の6つを順に見ていくことにします。

 

  • 量産型の同じような曲調ばかり

これはね、アーティストやファン側に言い分があるのはわかる。要するに、「シングルだけじゃなくてアルバム曲も聴け」と言いたいんですよ。
シングルというのはタイアップした曲が多く選ばれるので、必然的にタイアップ先が求めている曲調=量産型みたいになってしまうんだよね。
だからファン以外の人からすれば「コイツらまた同じような曲出してるよ」となるんだけど、そうではないんだよと。全然違う曲調もできるんだよ、と言いたいけど、アンチはアルバム曲なんて聴かないので意味ないんだなこれが。

なのでこれについて争っても無意味な気がする。

 

  • キャラクターが作りこまれている

テレビで急にイキりはじめる奴。
某かの被り物をしている人。
インタビュー記事で痛すぎる言葉を熱く語りだす人。
独特のファッションセンスで浮世離れした雰囲気を出そうと頑張っている人。

人間というのは、否、日本人というのは島国としての収斂進化を遂げたので、ある枠から逸脱した存在というのは排除したいと思う人が多い国民性である。
関係ないように思うかもしれないが、女子の就活生はそのほとんどが画一的なスカートを穿いており、それは「大勢の中の一人でいたい」という同調心や安心感を求めての行動であると推察される。

なので、特殊なキャラクター性を有するバンドとかいきなり出てきたら何となく嫌いになるでしょ。そんな感じですよ。
もしかしてビリーアイリッシュがいまいち日本でウケないのはそういう理由?違うか、違います。

しかし、だからといって受け手側(リスナー)に非があるなんてことはなく、おそらくアーティスト側もアンチが増えることに対して理解はあると思う。
そういった覚悟がある人以外は自らに変な属性を付加するべきでないし、それでいて「批判するな」と言うほうがさらさらおかしい気もするのです。

 

  • 歌詞が浅い

まぁこれはアレだ、恋愛系でしょうね。
歌というのはたぶん言葉にできないものとか文字にし難いものを表現する媒体のひとつだと思っていて、そういう面で恋愛というのは音楽と非常に強い親和性を有しているのではないか。

つまり、恋愛とは日常において感情が最も揺れ動くシチュエーションのひとつなのではないかと。
まぁ僕は実体験が伴わないので知らないんだけど。


とはいえ、「なんかよくわからないけどモヤモヤした気持ち」とか「脳みそが溶けそうなほど幸せな気持ち」とかって言葉にするのが難しく、結局先人たちが用いたフレーズに頼らざるを得ない。
例をあげると殺されてしまうのであえて伏せるが、なんとなくお分かりいただけるでしょうか。

 

  • ハイトーンを駆使しまくる

「最近の若いバンドはキノコで女みたいなナヨナヨした金切り声ばかりだな」とよく言われている。僕が言っているわけじゃない。勘違いするな。よせ、ナイフをこちらに向けるな。
まぁ、でもたしかにボーカルが高い声のバンドは多い。高い声が出る=歌がうまいという方程式は成り立たないが、まぁ音域は広いほうが歌える曲の幅の広がるし、そう悪いことばかりではないでしょう。

ではなぜ嫌われるのか。理由のひとつは、嫉妬であると思う。
誰だって歌がうまくなりたい。この場合の「歌」というのはみんながよく聴く歌、つまり流行歌なので、必然的に若手バンドの曲を指すことが多い。

そんな「王道」が全部ハイトーンばかりだったらイヤになるのも当然。カラオケ行っても歌えないんだよ!
ヤバTが「流行りのバンドのボーカルの男みんな声高い」って歌っている声もそれなりに高いんだよ!

するとそんな思いがだんだんと「とりあえずサビでハイトーン出しておけみたいな安直さが嫌い」とか「ただ張り上げているだけだろ」みたいな愚痴に変わってゆく。

それ以外は単純に趣味嗜好の問題で、「高いだけで声が細いから嫌い」とか「耳がキンキンしてうるさい」という、もうこれは合う合わないの話ですね。

 

  • 歌が下手

「歌手なんだったら歌がうまくあれよ」という言い分はわかるが、やや的外れなことを言っている気もする。
そもそも巧拙とは個々の主観に委ねられるものであり、書籍「嫌われる勇気」の内容を曲解すれば、そんなん個人の力ではどうすることもできひんやんというお話。

音程が合っているからうまいというわけではなく、外れることが多いから下手だと思うのもまた、どうしようもなく個人差でしかない。残念ながら。

よってこの議論は不毛。さようなら。


お気づきだろうか。だんだんと書くのが面倒臭くなって、各項の文章量が徐々に減っていることに。
まぁいいや。ラスト。

 

  • ファンにミーハーが多い

これはねぇ。僕みたいに何の取り柄もにくせにプライドだけは一丁前な男に多い気がするのだが、もういまさら公然とback numberが好きなんて言えないのよ。
「RAD好きなんだ、今マジで流行ってるもんねー」なんて返されたらおそらくそのまま清水寺までダッシュして舞台から飛び降りた帰り道すがらタイに行って性転換手術します。

きっと屈曲したアイデンティティというか、もうちょっと生意気な表現をするとアウトロー精神というか、そういうものが邪魔をして物事の正しい評価ができなくなってしまう。
そういう人は、きちんと吟味せずに「タピオカなんて何がいいの?」とか「出たよインスタ映え」などとその他大勢を嘲笑うことで自我を保っている。

けっきょくのところ、頭ごなしに否定する人というのは、それらを深く知らないという意味でミーハーと何ら本質が変わらない。
そのため同族嫌悪という表現でもあながち間違いではないかもしれないが、月と太陽みたいなもので、基本的には背中合わせなのである。

まぁ要するに、陰キャ陽キャの関係性みたいなもので、陰キャたちが見つけた原石を陽キャが拡散させることで世の中が回る。
お互いに矜持があって意地があるから決して交わることはないのだが、そういうつながりはある。

だからその中間くらいが最も平和で、逆にそれ以外は売れようが売れまいが批判する人がいるということ。


それぞれのスタンスのファンがあってこそのミュージシャンだとは思うのだが。

 

 ―――――以上、終わり―――――

 

というね。
いやぁ、もうすげぇよ。すげぇとしか言いようのない。

すげぇ、どうしようもない。なぜこれを書こうと思ったのか分からないし、なぜ謎のフォルダに保存したのかも分からん。

しかし公開しなかった理由は分かる。つまらないと判断したのだろう。おそらくつまらないけどたくさん書いたから捨てるのが勿体なく思えてきて、とりあえず保存しておこうとでも考えたのかねぇ。

 

とはいえ自分の文章を客観視する機会というのはあまりなかったので、そういう意味で貴重な体験になった。あとタピオカが去年の今頃からすでにブームになっていたのは新たな発見だった。
もう二度としません。