お金がほしい

お金がほしい

2020年10月をもって更新をストップします。永らくのご愛読ありがとうございました。

せっかくなので、TVアニメ「凪のあすから」を視聴することにした。

こういう世情である。
僕のように生来のひきこもりとて、息苦しさを感じてもなんら不思議はない。

そのため、ストレスの発散というわけじゃあないが、自部屋の軟禁生活をより豊かにするため、僕はアニメを見ることとする。

折角の機会である。
頃日ナラトロジーに興味をもちはじめた身として、時間だけが横溢する退屈な日々に、脳を働かせてみようじゃないかと思った。

そして「折角」を重ねるが、視聴後の考えを本ブログに綴っていこうじゃないかと。
何かを考えるのが好きなのである。可能性は低いが、今後コメント等を頂戴し、それらを軌道修正できるのであれば尚のこと素晴らしい。

あらかじめ告げておくが、アニメへの造詣はきわめて浅い。
今期のアニメが何をやっているのかさえ把握していない。

だから感想や考察といっても、ずいぶん的外れなことを述懐することもあろう。


そんな僕が、どうして2020年のこの時期に、2013年放映開始のアニメを選択したのか。

理由のひとつは、アマプラで視聴できること。とっても大事なことである。
見ようと思っても見られないんじゃ詮方ない。アマプラは僕が唯一加入しているVODなので、そこで見られる作品に限って選別している。

もうひとつは、青春群像劇であること。
物語が面白いのは、心の機微がデフォルメされているからだと僕は考えている。
そして青春群像劇では、それが如実に表現される。あからさまなほどに。

つまり、何かを考察するためのヒントが散りばめられているはずだ、という憶測。
腹蔵なく申すならば、文章としてブログに書きやすいから。これが本心。

ここにあえて付け加えるならば、割と評価が良かったからというのもあるが、それは一旦良しとして。


正直なところ、我が身におよそ青春と呼べる思い出が欠損しているため、中学生とか高校生が出てくる物語は好かんのである。悲しくなっちゃうから。
けれども、目を瞑っても差し支えない程度であれば、それは些々たる問題でしかない。

この退屈の渦中から抜け出す道があるならば、優先順位としてそちらに軍配があがる。


というわけで、明日から開始。ちなみに、明日から本気出すというフリではない。

皆々が憂鬱になるであろう、毎週日曜日の午後6時に1エピソードずつ投稿していくので、どうぞよろしくお願いいたします。

順調にいけば10月中旬に終わります。やばいな。


それから、先述のとおり素人意見しか書けないので、気兼ねなく訂正や批判等のコメントください。
コメント投稿に登録は不要です。アカウントもメアドも必要ありません。匿名をいいことに、好き勝手書いてくださればよいのです。

というわけで、あすからもどうぞよしなに。
もちろん、時間の許す限り通常のブログ更新も継続します。時間の許す限り。

人生楽しそうな人は、なぜか歯茎が出ていた

同級生の進路が気になる。
そういえば、高校で同じクラスだった彼は今何をしているのだろう。中学で同じ部活だったあいつは?
可愛くてみんなから告白されていたあの人は、上京して雑誌社か何かにスカウトでもされたりしたかな?

そういう心理は、誰にでも備わっているものだと思っていた。


けれどもそう考えているのは僕だけだった。
どうやら、周囲に対して劣等感を抱いているからにほかならないらしい。

あのバンドは、メンバーが何歳の時にデビューしたのだろうか。そしてそれが自分より年上だと、ちょっと安心する。
そういえば、漱石吾輩は猫であるを書いたのは40歳近くになってからじゃないか。だから自分はまだ大丈夫。

なにをもって大丈夫なのか。
とんと見当もつかぬわけだが、いずれにしても20年以上歳を重ね、いまだ何一つとして成し遂げていない僕はいったい何なのか。

こういう考えは彼女なしの童貞特有のものであることは重々承知しているが、同級生がキラキラした顔で夢を追いかけている姿を知ると、胸が苦しくなる。
同じ目線で話していた人が、いつの間にか見上げなければならない存在になるのが、どうしようもなくしんどい。

 

ひとり、旧友の話をする。

中学生時代、彼は僕と同じ部活に所属していた。
先輩が引退してからはキャプテンを務め、その部活の顧問でもありクラス担任でもあった男性にあこがれて、教師になる道を目指した。

中高一貫校のレールをはずれて名門高校に進学した彼は、有名国公立大学教育学部に合格。
小学校の先生を目指していたはずなのに、大学在学中はインドやケニヤ、フィリピンなどの発展途上国で事業に携わり、日本と海外を往復する日々。

そして彼は今、およそ教育とは無縁のような企業に入社している。


そんな彼の近況を偶然知るきっかけが最近あったのだが、写真で見た彼の目は本当にキラキラしていて、自分の選択に後悔なんて1ミリもしていない様子であった。

僕はその写真を見るまで、彼には就職に対する葛藤があったのではないのかと。
教師になりたいという夢をもって地元を飛び出していったのに、民間企業に就職した後ろめたさを感じているのではないかと、勝手に思っていた。

しかしその写真が僕の疑念をあざやかに笑い飛ばす。

合点がいったのは、その民間企業がいわゆるBOPビジネスを手掛けているところであったから。途上国で製品の製造をおこない、現地の雇用を創出する。
彼が大学生のときにおこなってきた事業が、経験が、たしかにつながっていた。

そして気づいた。
あぁ、彼は教師になりたかったのではなくて、子供たちに夢を見せてやりたかったのだと。

あくまで推測だが、教師という職業は子供に夢を与えることができると身をもって知った。だから教師を志したのではないだろうか。
そして彼は休学までしながら大学在学中にもがき自分の夢を見つめなおし、教師になる道がすべてではないと気づいたのだろう。

つまり、彼は夢をかなえたのである。そして今も変わらずに夢を追い続けている。

たぶん彼は走っている。一度も振り返ることなく。

僕は石橋を叩いて渡る。渡りきったあとに振り返って、まだその橋が崩落していないか、まだ引き返せるかを確認しながら少しずつ進んでいる。
彼は命綱なしの綱渡りを楽しみ、そして渡り切ったと思ったらその綱をあえて引きちぎり、スキップして前進するのでしょう。


彼には人を惹きつける何かがある。
間違いなく、偶然どこかで会ったら「久しぶり!」と声をかけてくれるはずだ。それも、明るくて気前が良くて屈託のない笑顔で。

その笑顔を思い浮かべながら、僕はあることに気付く。
どの写真を見ても彼は笑っている。歯茎を出して。

錦織圭バラク・オバマがそうであるように、歯茎を出して笑う姿はとても気持ちがいい。
そういえば東大に行った僕の友達も、いつも歯茎を出して笑っているような人だった。不安や不満なんて無縁のような顔で。


たとえ一時期だけだったとしても、そんな彼と同じ時間を共有できたことを誇らしく思う。人生に幸あれ。

踵を返して前進するのみ。

明け六つ暮れ六つとは昔からよく言うが、そんなウホウホ喚いてた旧石器時代の旧態依然とした時刻法でもって俺を縛りつけるんじゃない!とて昼近くまで惰眠をむさぼる今日の僕。
そんな落伍者も残念ながら人間だもの。目覚めと同時に腹の虫が騒ぎ出し、まだ3月なのだからもう少し冬眠してくれても、と思うのだが、おっと残念今年は暖冬でしたね。

PayPayが10-14時限定で5%還元のキャンペーンなんてやってくれちゃっているものだから、買い物するなら昼間っしょ!てんでやって参りましたスーパーマーケット。
我が生活リズムはPayPayに管理されております。いつもありがとう。礼はPayPayで。それってちゃんと還元されます?

ベッドに横臥しているうちに終わっていた正月と、貸した金や恩は返ってこない。略して金正恩 doesn't come back.
ちなみに就活サイトに投稿したエピソードの礼金もいまだ受け取っていない。それどころか就活サイトと音信不通。晒すぞこら。
けれどもPayPayで支払うと5%だけは返ってくるのだ。なんと素晴らしいことだろう。神はまだ私を見捨てていなかった!


買い物の目的はいたってシンプル。野菜と肉を目算で購入するだけ。名作テレビジョン「はじめてのおつかい」で放送された場合、日本中の小学生が鼻で笑う低レベルのクエスト。
ちなみに、特に購入を策するはエリンギである。

平生から利用している八百屋のエリンギは、なぜか我が父君の仕事着の香りを漂わせている。
おっさんのフレグランス、なんて言ったら失礼だけど、ともかくあの香気では食うに食えない。

そんな僕のSOSに呼応するようにPayPayの還元祭が開始された。人生で祭りを好きになったのは初めてである。

還元祭対象のスーパーは単価がちょいと割高だが、背に腹は代えられぬというより、おじさん'sフレグランスはもう辛抱ならん。


野菜コーナーの一角で、いつもと違うパッケージのエリンギに邂逅。
ほっと胸を撫でおろすも束の間、しかしだからといって、いつもと違う匂いがしないとも限らないではないかと懊悩。まじでオーノーなんつって。

そんなことを言っている場合ではない。
僕は乳首と匂いと花粉に敏感なので、これはきわめて至要たる問題なのだ。

とはいえその場で匂いを証する術はない。
店員さんに「ちょっとエリンギの匂いを嗅がせてもらってもいいですか?」なんて訊ねようものならば、「やだこの人、エリンギに鼻を擦り付けた挙句言葉攻めにして終いにはアナルにぶち込まれる姿を妄想して欲情する変態に違いないわ!」とあらぬ誤解を受けて町内に僕の性癖が伝播してしまう。

ち、違うんです!僕は変態だけど擬人化ものに萌える性癖はないんです...!
これで5%還元では到底割に合わない。


しぶしぶパンドラのエリンギをカゴに入れて早々に立ち去る決意を固めた僕に、「1パック80円 2パックで150円」という文字の羅列が飛び込んできた。

「ふっ、神とは気まぐれなものよ」
なんてクサいセリフは吐いちゃいないけれど、遺憾ながらレジに向かう僕の買い物カゴにはいつの間にかエリンギが2パック入っていた。


あとはテキトーに肉と野菜を選別していると、にんじん、玉ねぎ、ほうれん草がカゴにログイン。これではレジ打ちのおばさんに「この男は今日カレーを作るんだわ」と詮索の余地を与えてしまうではないか。
悔しいのでじゃが芋は別の機会としよう。さようなら。

ざっと見積もって1000円。つまり実質950円。ちょっと得した気分。
1円でも安いガソリンスタンドを見つけようと躍起になる母の執念をこんなところで理解してしまうとは、僕の人生意外と浅いのかもしれない。

レジはそれなりに混雑している。まさかこやつら全員5%還元を狙っているのではあるまいな!?なんて考えているうち列はスムーズに回転。

あと2人で自分の番が巡ってくるというとき、不意に目についたのはレジ前の棚にあったチップスター
赫々と輝く蛍光色に彩られた「広告の品 68円」というPOPがあれば、誰の目にも映るだろう。

それにしても68円?なんと安いではないか。税抜きにしたって安い。というかぶっちゃけ欲しい。
そう考えるが先か、もう僕の舌はチップスターコンソメ味歓迎パーティーの準備をはじめてしまう。
ここで購入を渋るのは、松崎しげるのディナーショーで「愛のメモリー」が歌われないことくらいの事件である。

だが僕は知っている。これは罠であると。
5%還元により50円ほど得をした僕が、68円のチップスターに惹かれるのは自明の理。差し引き18円で手に入れられる仕合せならば、いったい何に躊躇うことがあろうか。

そう。その心理と思考を先読みしたマーケターの術中にはまるのは切歯扼腕。大学で経営学をかじった身としては、レジ前のPOPに釣られるなんぞ容認しかねる行為である。
おまけに今の僕は肉と野菜のみを買い物カゴに宿した優等生である。そこにチップスターが紛れるのは、腐ったミカンである。

レジのおばさんは思うだろう。

あら、この子お肉と野菜を買って偉いわ~。きっとおうちに帰って自炊でもす・・・おや?チップスターが入っているじゃない。
本当は広告に掲載されていたチップスターが目当てで、肉と野菜はフェイク?だとしたら私の目はごまかせないわよ。この優等生と股間に皮をかぶった蛆虫め。

そうなれば僕のイメージはボロボロ。おまけにこの情勢である。内定先の企業からキャンセルの連絡が届くのは時間の問題。


さりとて僕はここに来るまでの間、ひとつ大きな過ちを犯している。

そう、迂闊にも野菜コーナーでじゃがいもを放擲してしまったことである。
なんたる愚昧。粗忽惣兵衛とは呼んで私か。

これはキャッチアンドリリースアンドキャッチである。自然界の法則を逸脱している。もはや魔法。

いや違う。そうか、これは神の思し召し。
「お主はじゃがいもを買うべきじゃった」と神が落胆し、譴責している証。

同時に蜘蛛の糸であった。そうだ、何を迷う必要がある。
劣等生が優等生の真似事をしようとするからボロが出るのだ。凡人は凡人らしく、庸劣な人生を歩んでゆこうぞ。


こうして僕はチップスターをカゴに入れ、元来た道を引き返していく。
人生は一方通行だが、この道は何度も辿っている気がしてならない。