お金がほしい

お金がほしい

2020年10月をもって更新をストップします。永らくのご愛読ありがとうございました。

人生楽しそうな人は、なぜか歯茎が出ていた

同級生の進路が気になる。
そういえば、高校で同じクラスだった彼は今何をしているのだろう。中学で同じ部活だったあいつは?
可愛くてみんなから告白されていたあの人は、上京して雑誌社か何かにスカウトでもされたりしたかな?

そういう心理は、誰にでも備わっているものだと思っていた。


けれどもそう考えているのは僕だけだった。
どうやら、周囲に対して劣等感を抱いているからにほかならないらしい。

あのバンドは、メンバーが何歳の時にデビューしたのだろうか。そしてそれが自分より年上だと、ちょっと安心する。
そういえば、漱石吾輩は猫であるを書いたのは40歳近くになってからじゃないか。だから自分はまだ大丈夫。

なにをもって大丈夫なのか。
とんと見当もつかぬわけだが、いずれにしても20年以上歳を重ね、いまだ何一つとして成し遂げていない僕はいったい何なのか。

こういう考えは彼女なしの童貞特有のものであることは重々承知しているが、同級生がキラキラした顔で夢を追いかけている姿を知ると、胸が苦しくなる。
同じ目線で話していた人が、いつの間にか見上げなければならない存在になるのが、どうしようもなくしんどい。

 

ひとり、旧友の話をする。

中学生時代、彼は僕と同じ部活に所属していた。
先輩が引退してからはキャプテンを務め、その部活の顧問でもありクラス担任でもあった男性にあこがれて、教師になる道を目指した。

中高一貫校のレールをはずれて名門高校に進学した彼は、有名国公立大学教育学部に合格。
小学校の先生を目指していたはずなのに、大学在学中はインドやケニヤ、フィリピンなどの発展途上国で事業に携わり、日本と海外を往復する日々。

そして彼は今、およそ教育とは無縁のような企業に入社している。


そんな彼の近況を偶然知るきっかけが最近あったのだが、写真で見た彼の目は本当にキラキラしていて、自分の選択に後悔なんて1ミリもしていない様子であった。

僕はその写真を見るまで、彼には就職に対する葛藤があったのではないのかと。
教師になりたいという夢をもって地元を飛び出していったのに、民間企業に就職した後ろめたさを感じているのではないかと、勝手に思っていた。

しかしその写真が僕の疑念をあざやかに笑い飛ばす。

合点がいったのは、その民間企業がいわゆるBOPビジネスを手掛けているところであったから。途上国で製品の製造をおこない、現地の雇用を創出する。
彼が大学生のときにおこなってきた事業が、経験が、たしかにつながっていた。

そして気づいた。
あぁ、彼は教師になりたかったのではなくて、子供たちに夢を見せてやりたかったのだと。

あくまで推測だが、教師という職業は子供に夢を与えることができると身をもって知った。だから教師を志したのではないだろうか。
そして彼は休学までしながら大学在学中にもがき自分の夢を見つめなおし、教師になる道がすべてではないと気づいたのだろう。

つまり、彼は夢をかなえたのである。そして今も変わらずに夢を追い続けている。

たぶん彼は走っている。一度も振り返ることなく。

僕は石橋を叩いて渡る。渡りきったあとに振り返って、まだその橋が崩落していないか、まだ引き返せるかを確認しながら少しずつ進んでいる。
彼は命綱なしの綱渡りを楽しみ、そして渡り切ったと思ったらその綱をあえて引きちぎり、スキップして前進するのでしょう。


彼には人を惹きつける何かがある。
間違いなく、偶然どこかで会ったら「久しぶり!」と声をかけてくれるはずだ。それも、明るくて気前が良くて屈託のない笑顔で。

その笑顔を思い浮かべながら、僕はあることに気付く。
どの写真を見ても彼は笑っている。歯茎を出して。

錦織圭バラク・オバマがそうであるように、歯茎を出して笑う姿はとても気持ちがいい。
そういえば東大に行った僕の友達も、いつも歯茎を出して笑っているような人だった。不安や不満なんて無縁のような顔で。


たとえ一時期だけだったとしても、そんな彼と同じ時間を共有できたことを誇らしく思う。人生に幸あれ。