お金がほしい

お金がほしい

先に謝っておきます。ごめんなさい。

なぜ吊り革を見ると持ちたくなるのか

みたび電車ネタ。

 

先日のこと。
人間の本質的な言語学習であるところの「耳で聞き、脳で捉え、口で発する」という一連の流れによって習得した言葉のひとつに「アフォーダンス」という言葉がある。

ちょっとでも英語をかじったことのある人ならまず間違いなく「afford」という単語に見覚えがあるだろうと推察されるが、「affordance」はこれを名詞形にしたもの。
残念ながら最新鋭の箪笥でもなければニューウェイブなダンスの名称でもない。アメリカの知覚心理学者ジェームズ・J・ギブソンの造語で、「環境が動物に与える意味」のことらしい。これまた残念ながら某楽器製作所の創始者でもない。


と言ってもなんのことかサッパリ分からないと思うので、ちょいと一例を。

たとえばこれ。
ご存知ダウンタウン松本人志監督映画「しんぼる」にて、動画内の0:25~をご覧いただきたいのだが、

www.youtube.com

松本さんは壁から生えたこのキノコを見て、おそらく論理的な思考を通さずに、ただなんとなくポチッと押してみた。
このキノコは後に映画内で「スイッチ」としての機能を果たすことになるわけだが、この突起した形状が松本さんの「押す」という動作を促した。

これが「アフォーダンス」である。


ちなみに前回の記事で僕はこう書いたが、

 

もうポニーテールの人を見かけても後ろから引っ張りません。

うしろがみひかれるおもい - お金がほしい

 

これはポニーテールという形状が、僕という動物の「掴みたい」という感情を誘発する(「掴む」という動作をアフォードする)ようなデザインになっているということ。すみません混乱を招くだけでした。

 

まぁ要は、蛇口見たら捻りたくなるでしょ?固定電話の受話器を見たら持ちたくなるでしょ?
そういう単純な物体の形状が、僕ら人間をはじめとした動物に意味づけるもののことを総じて「アフォーダンス」って言うらしいですよ。はじめからこれ書けよっていう話でしたね失礼しました。


それを踏まえて、僕は毎日電車に乗っているのだが、すると気付かぬうちに物の形状が僕の動作をアフォードしていたことをこのたびはじめて自覚した。

それが電車内の「吊り革」である。


吊り革を見ると、なぜだか掴みたくなってしまう。
ふと気がつくと、まだ電車が動かないうちから片手でずっと吊り革を掴んでいることもしばしば。


これはマズい。いつの間にか僕は吊り革を見ると掴んでしまう体に改造されていたらしい。
視覚情報として吊り革を検知した直後から、僕の片手は無自覚的にそれを掴まないと生きていけない体になってしまっていたのだ。


恐ろしい社会実験である。
周りを見渡しても、これが統制された国家の一市民という証だと言わんばかりに皆が片手を吊り革に預けている。
誰もが自分の行為を疑うことなく、むしろ吊り革を掴むことこそが正義なのであると無言のうちに同調圧力として訴えているような気さえ起こしてしまう。


だが僕はこの社会の闇に、たったひとりで気付いてしまった。
ならばそれに気付いた人が、この古の風習に染まった世の中を是正しなければならない。

それが僕の使命、いや、生まれてきた意味なのかもしれない。


そうか、お父さんお母さん。今までありがとう。
僕は自分の生まれてきた意味をずっと探し求めていたけれど、ついに発見したよ。

もしかしから、もう二度とこの家には帰れないかもしれない。
昨日録画しておいたバラエティ番組はもう見れないかもしれない。
パソコンでよく分からないエラーが出たという連絡をもらっても、すぐに対処できないかもしれない。


でも僕はやるよ。もう決めたのだ。
たとえ険しい道程だろうとも、絶対にやり遂げてみせる。

 

 

そう決意した僕はまず、地元の市立図書館に足を運び資料を漁った。
機関車の時代から遡って電車の成り立ちについての文献を眼光紙背に徹するまで読み耽り、所蔵されているVHSの資料映像にも目を通した。

だが有益な情報は何ひとつとして得られない。
それどころか、吊り革の歴史や導入された大まかな時期すらも収集できなかった。

ただ歴史を漁るだけではダメなのか。もっと人間の本質的な、根幹に携わる文献を探すほうが得策か。

そう思い、人間工学に関する研究資料や知覚心理学、さらにはバイオメカニズムに至るまで、ありとあらゆる可能性のある分野の書物をしらみつぶしに読み漁った。

けれどもやはり僕が望んでいるような記述や研究は、どうやら為されていないようであった。


ここで僕は手法を変え、専門的な知識を有する人物にコンタクトを取ろうと試みた。
吊り革の丸い形状、もしかしたらあの丸い形に秘密が隠されているのではないかと推測した僕は、学会誌にいくつもの論文が掲載された実績のある某大学准教授に一通のメールを認め、某氏の見解をお聞かせ願った。
しかしながら、後日返ってきたメールにはどういうわけか「ノーコメント」の文字が。

 

おかしい。僕は単純に彼の見解をご教示してもらいたかっただけなのだが、それすらできないほどこの問題が難儀なものであるのか。いや、それとも・・・

やはりあの形状、間違いなく何かある。
もしかしたら僕は社会の闇どころか、途轍もない国家権力の闇に足を踏み入れてしまったのかもしれない。

今ごろ同氏にメールを送信した要注意人物として僕の名前がリストアップされている可能性もある。いや、そうだと見ておよそ間違いないだろう。

しかしここまで来て、もう引き下がることなどできない。
僕はあの日たしかに誓ったのだ。必ずこの謎を解いて、世間を、社会を、世界を変えるんだって。


追っ手から遁れるべく、さしあたって僕は住処を変えることにした。
今ごろは僕のパソコンのIPアドレスを探知した公安警察がその経路を辿り、メールを送信したあのホテルの206号室にて任意調査という名目の捜査がおこなわれている頃だろう。

つまり僕の指紋もDNAもしっかりと警察サイドの懐に仕舞いこまれてしまっているわけである。


もちろん、危険を冒していることなど十二分に承知している。怖くないのかと訊かれれば、そりゃあもちろん怖い。
けれども疑問を持ったまま何もしないほうが、社会の有象無象の中に埋もれていくほうが、僕には一層怖いように思えたのだ。

 


メールを送信してから2日後、僕はロシアのカムチャツカ半島に亡命していた。
あのメールをタイプしたパソコンは太平洋の真ん中に投げ捨て、しかと証拠の隠滅を図った。


国としても、おそらくこの国民に対する刷り込みとも言える件に関しては一般公表するのが憚られるだろうから、僕の捜索はまだ秘密裏におこなわれているに違いない。
いずれ適当な罪をでっちあげて僕の顔が世間にばら撒かれるのだろうが、今僕がロシアに来ているという情報が国家に渡っていなければ、その足取りを掴む手段などない。


そうした僕の予想は大きく外れることなく、しばらくの間僕は日本と冷たい海を隔てたユーラシア大陸の東端で、比較的悠々自適な生活を送っていた。
そりゃはじめこそ言語の障壁が大きかったものの、しばらく定住すれば自然とある程度の言語習得など勝手にできてしまうものである。

近所のおじさんとも知り合いになった。
ダヴィドという名前のその男性は、大柄ながらとても愛嬌のある性格で、めちゃくちゃ美人な奥さんと可愛い10歳の一人娘のいる人物であった。


幸いなことに娘のエレーナちゃんは僕にとても懐いてくれて、奥さんが手料理で鍋を振舞ってくれたことも、3人で一緒に近所の公園で遊ぶこともあった。

そんな楽しげな生活を謳歌する中で、次第に自分の使命を見失いそうになる日が増えていった。

このまま彼らと生活できたらどんなに楽しいだろうか。
このまま日本を離れ、自分の使命から逃れられたらどれほど気楽だったかと。

 

そんな僕の苦悩は日を重ねるごとに大きく膨れ上がり、次第に僕は自分の存在意義が分からなくなってしまった。

「どうしたのよ? 思いつめたような顔をして」

そんな最中、声をかけてくれたのは奥さんだった。
ダヴィドさんをはじめ、この家族を巻き込みたくないという思いが強く、絶対に表情に出さないつもりでいたのだが、やはり女の人というのは鋭い。


「いえ、なんでもないですよ」
「なんでもなかったらそんな顔にならないでしょ?」

奥さんの声はいつもどおりとても優しく、不安なんてどこかに吹き飛んでしまいそうな笑顔は僕の荒れた心を落ち着かせた。

「ちょっと考えごとをしていただけなので、気にしなくても大丈夫です」

僕はいつもどおりの笑顔で答えた。
純粋無垢なエレーナちゃんに見せるような、アホ面丸出しの笑顔で。


すると奥さんは少しの間じぃと僕を見て、「本当に?」と聞き返す。

その言葉に大きく首を縦に振ったはずの僕は、だがどうしてだろう。涙が流れていた。
この感情がどこから湧き出てくるのか、そもそもこの感情は何なのか。自分でさえ分からないままに、ただひたすら涙だけが止め処なく流れ続けていた。


そんな僕を見て、奥さんは僕の体を抱きしめた。
そして囁く。

「辛いことがあったら、何でも話してくれていいのよ」


どこまでも優しいその声は僕の涙を加速させる。
ありがたいとか申し訳ないとか巻き込みたくないとか、そういったあらゆる感情が渦を巻いて、ただ一点、僕の目からそれがひたすら溢れ出していた。


「でも、あなたたちを...みんなを僕の運命に巻き込むわけにはいかないんです。きっとエレーナちゃんにも迷惑がかかってしまうから」

ようやくひねり出した言葉は、紛うことなく僕の本心であった。
こんな温かい家庭を壊したくない。彼らの和やかな日常を奪いたくない。僕が心から望んだことである。


しかし、それと同時に僕は心のどこかで願ってしまっていたのだ。
彼らに自分の素性を晒したい。自分の使命を明かしたい。彼らに自分のことを分かってほしい、と。


絶対に抱いてはいけないはずの願望がいつしか自分でも抱えきれないほどに大きくなってしまい、抑制が利かなくなっている。
そんな心の溝を埋めるように包み込んだ奥さんの温かい手が、僕の頬を撫でる。


「心配しなくても大丈夫。うちの旦那はね、ああ見えて大物芸能人のSPをしていた経験もあるのよ。いざとなったらどうにかしてくれるって、私はいつもそう信じてる。だからあなたももっと楽になりなさい」


それからしばらくの間については、僕にはあまり記憶が残っていない。
わずかに覚えてるのは、その後疲れて寝てしまったことと、奥さんが家まで送ってくれたことくらいなのものである。

けれどもこれだけは言える。僕は結局のところ、最後まで彼ら家族に自分の素性を明かさなかった。奥さんの心遣いは嬉しかったが、つい口をついて出そうになったが、やっぱりあんな幸せそうな家族を巻き込みたくないというのも、どうしようもなく僕の願いだったからだ。


ただその日を境にして、僕はこれまでのどっちつかずだった自分に別れを告げ、己の使命と真正面から向き合うことに決めた。
もう迷わない。もう逃げたりしない。

奥さんがあの日かけてくれた言葉を無駄にしないよう、僕は再び情報収集へと乗り出した。
他国に在住しようとも今はインターネットがある。国境を越えるインターネットはまさに情報の宝庫だ。

 


初手として「5ちゃんねる」とかいう日本のコミュニティーを発見した僕は、とりあえず例に倣って「ロシアに亡命して電車の吊り革について調べてるけど質問ある?」というタイトルをつけたスレを立てることにした。
するとこれまで僕の人生に関与することのなかった人間が、様々な質問を投げかけてくるではないか。

「ロシアってやっぱ寒いんか?」
「どうやって生計立ててるの?」
「亡命した経緯kwsk

 

どうやら5ちゃんねるには関西人が多いらしい。

しかし孤独な詮索作業に慣れてしまっていた僕にとってこれは画期的なシステムであり、つい調子に乗ってしまった僕は寄せられた質問に対して洗い浚い何もかも吐いてしまっていた。
だから気付いたときにはもう時すでに遅し。150を越えたあたりから特定厨とやらが僕の名前を当てるゲームへと変わってしまい、結局身バレするという最悪な結末を迎えることになったのであった。


おそらくこの時点で僕がロシアに来ていることが日本政府に露呈してしまったに違いない。
そう遠くない未来に、追っ手が僕の元に忍び寄るのはまさに時間の問題であった。


けれどもスレを立てて得られたのは、決して悪いものばかりではなかった。

「あの丸い形状に何か秘密が隠されていると睨んでいるんだ」という僕の書きこみに投げられたのは、「いやそれは違うだろ。イッチは電車にドーナッツがぶら下がっていたら掴みたいと思うんか?」という想定外のレス。


僕はそのとき、雷に打たれたかのような衝撃を覚えた。

電車にドーナッツがぶら下がっていたら?
いやだ。絶対に掴みたくない。なんかベタベタしていそう。近寄りたくもない。


仮に吊り革の取っ手部分がドーナッツにすり替わったとしたら、おそらく僕は絶対に触らないだろう。
ほかの誰が触ったとも分からないドーナッツに触れるなんて想像するだけでゴメンだ。もはや人間の所業じゃない。


しかしこのレスに同意してしまうということは、つまり僕の目論見がご破算になることを意味している。
これまで僕が積み上げてきた努力が一瞬のうちに水泡に帰することと同義である。


けれども、僕はとうの昔に前だけを見つめることに決めたのだ。
ここでまた足踏みをしているようでは、いつまで経っても目的地にたどり着けない迷子の子供のようになってしまう。

 

僕はまた、新しい旅の支度を始めた。
身元を晒してしまった僕はダヴィドさん一家の皆に別れを告げ、次なる国を目指した。

別れは悲しいけれど、いつかきっとまた会えるのだと信じている。

 

いつの日か目的地に到達する、その日まで。