お金がほしい

お金がほしい

2020年10月をもって更新をストップします。永らくのご愛読ありがとうございました。

洗い流せない過去

当ブログの記事を1つでも読んでいただいている方には周知の事実だが、僕は人類史上類を見ないほどに性格が悪い。

それはもう、例えば自分の出した屁が想像以上に臭かったとき、恰も自分は屁など出していないかのように周囲に振舞うほどの醜悪さ。
惨めです。卑劣です。下賤です。


まぁ人間誰しも某か罪の意識というものは抱えて生きているのだろうが、思い返せば僕もこれまでなかなかにヒドいことをしてきたように思う。

 


そう。
アレは小学校高学年のときだったか、クラス内で肩車が流行っていた頃のこと。

・・・っていや、なぜ肩車が流行っていたのかということを説明したほうがいいだろうか。

 

まず、肩車をするにはそれなりに筋力がいる。
もちろん上に乗る人と支える人との信頼関係もそうだが、それを支えるだけの頑強な肉体というのも最低限必要だ。

それに教室内で肩車をするとなると、ほぼ間違いなく担任教師は「危ないからやめなさい!」と怒ることだろう。


これだけでも10~12歳くらいの男子学生の興味を惹くには十分な材料だ。
要するに、社会的規範に逸脱したような行為を陰ながら実行することに喜びを見出すのが、このあたりの年齢層なのである。


そしてそういった時期。
僕が教室内で何か作業をしていると、いきなり後ろから誰かが飛びついてきた。

当然ながら、僕はその突然の出来事に驚いた。
だって何気なく過ごしているときにいきなり誰かに飛びつかれることなんて、サルとかゴリラの日常でしか見たことがないくらい稀なことだったからだ。

しかしその刹那「ハッ!」と思いついた僕は、当時の流行に便乗してそれが誰なのかをちゃんと確認しないまま肩車をすることにした。


するとたちまち、立ち上がった僕に向けられた視線から「おぉ!」という歓声が飛び交った。
すかさず僕はその声に応えるように、おぼつかない足を何とか動かしグルリと一回転して見せた。

歓声はより一層大きくなった。


肩車というのは上に乗っている人の足を固定するからして、つまり自分の首をも固定することになる。
だから肩車をしながら上に乗っている人の顔や表情を見ることは非常に困難を極める。


そのため僕は肩車をしながら一体誰を担ぎ上げているのか、それをいまだ知りえずにいたのであった。

 


しかし何というか、クラス中の賞賛の声というのは実に心地がいいものである。
別に僕はクラス内で浮いた存在であったわけではないのだが、しかし改めて褒められるのは気持ちがいい。

そう、僕はこれで調子に乗ってしまったのだ。

 

僕は担ぎ上げていたその「誰か」をロッカーの上に降ろすと、ふざけてその人の股間を触ってやった。

というのも、僕は常日頃から「おはよう」と言う代わりに男子の股間を触るのが習慣であったため、男子間ではもの珍しくも何ともない光景だった。
そう、そのはずだった。


しかし僕が冗談交じりに「誰か」の股間を触ったとき、即座に「イヤンッ♡」という声が聞こえたのだ。


「えっ」と思いその人が誰なのか見上げると、そこにいたのは紛れもなくクラスの女子生徒であった。

 


僕の黒歴史のページ数が、一気に増えた瞬間であった。