お金がほしい

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2020年10月をもって更新をストップします。永らくのご愛読ありがとうございました。

L'Arc-en-Ciel 2020年1月19日(日) セトリと感想(※ネタバレあり)

※ARENA TOUR MMXXのセットリストを含むネタバレあり。

 


なお、テキトーなことばかり言っていますが備忘録メインなのでお気になさらず。

 

 

 

 

1.Honey

大阪公演同様、会場の中央に円形のステージ。360度どこからでも見渡せる設計。
hydeは最も高さのある円の中心に立ち、ギターを弾きながらの歌唱。
前日の公演ではかなり声が辛そうだったとのことだったので心配していたが、サビはやはりキツそう。とはいえ裏声はさすがの綺麗さ。

前の席のおばちゃんたちが「可哀想だよねぇ」と会話している。

 

2.Round and Round

ステージが回る設計だからこの曲なのか?
まさかの22年ぶりらしい。
声にザラつきがあるので、高い声が自然とデスボイス化していて、これはこれでアリだなぁとか思い始める(重症)。
とはいえ本当に声がキツそう。けれども無理やり絞り出しているという感じではないので、喉に負担がかかっている印象はあまり無い。さすがプロ。

 

3.Lies and Truth

このくらいの音域であればさすがの美声。
声のトーンを落として丁寧に確実に歌っている印象。
楽器隊は安定感抜群で、なにより嬉しいのはyukihiroのドラミングを背後から観察できること。これまでなんとなく「すげぇな」としか思っていなかったが、手数の多さに圧倒される。

 

MC

hyde「これはなかなか見られませんよ。七福神みたいな感じですからね」「センターステージだからみんな近い!顔が分かる!気をつけろよ全員見えてるからな!」

 

4.Pretty Girl

ラルカジノでは全員頭のネジが外れてブチ上がっていた曲だが、この日は会場がhydeを心配しているのがひしひしと伝わってきた。
ペンライトで盛り上げつつ、しかし全員が固唾を呑んでステージに注目している。
こういうのを会場全体でライブを作るとでも言うのでしょうか。

サビは歌ったり歌わなかったり。歌うときは力技だが高いキーまで出ている。

 

5.Vivid Colors

2番あたりから歌い方を掴んだのか、1番のサビはボロボロだったのにその後はほぼ完璧。

今回の会場の良いところはメンバーとファンの物理的距離が近いことなので、たとえhydeの声が万全でなくても十二分に楽しめる。

 

6.LOVE FLIES

まさかこの曲が聴けるとは。
たぶんイントロで「え?」って3回くらい言ってた。周りの方すみません。
「この曲聴けたらチケ代の元取れるリスト」の個人的上位曲なので、我は満足です。

とはいえ、サビは口パクでしたね。
CD音源だと思うが、ほぼ20年前と今とどちらも遜色なく聴けるのは努力の賜物なので、別段この措置について責めるつもりはない。


7.瞳の住人

イントロで会場拍手と喝采とどよめき。
誰もが「歌ってくれるの!? てか歌えるの!? 無理しなくていいよ!」と感じていたのではないでしょうか(適当)。

サビの高音部分を少し変えたり裏声を使ったりしながら歌いきってくれた。
1番と2番の間奏でお客さんに見えないようにしゃがんで水を飲んでいたhydeさん、生歌かつ原キーで頑張ってくれてありがとう。

 

8.XXX

いつもどおりの、ながーいイントロ。

この曲は不思議なことに何回聴いても飽きない。
サビは口パクだったが、雰囲気を楽しむ曲なので個人的には何の問題もないです。

この曲あたりでhydeがドレッドヘアーじゃないことに気づく。遅えよ。

 

9.DRINK IT DOWN

シンセの音で会場「おぉ~!」まぁそうだよね。
たぶん「この曲やってくれるのか!」という気持ちが50%と「この曲歌えるのか!?」という気持ちがもう半分だったのでは。

この曲のサビも前曲と同様の措置。
かっこいいので全然いいんですけどね、はい。

 

10.Shout at the Devil

間奏で「愛知ー!」とシャウト。「名古屋ー!」じゃないんだな、としみじみ。
よく外タレは埼玉とか神奈川でもおかまいなしに「トーキョー!」と叫ぶので、地名を言うことに対して敏感になっているだけなのかな。

そしてユッキーのドラムソロ。
シンバル何枚あるんじゃ。あとツーバスでした。じゃなかったら多分足が4本ある。

 

11.REVELATION

センターステージが閉じ、「デンデンッ」の最中4つの花道にメンバーが現れる。
yukihiroでさえもギターを持って花道に現れる貴重なシーン。彼の花道近くにいた人はおそらくそのレア度に全員卒倒していることでしょう。
hydeはマジでずっとデスボイスだった気がする。

 

12.SEVENTH HEAVEN

文字起こししづらいイントロ選手権で優勝できる同曲の、その如何にも筆舌に尽くしがたい音と同時にMCが開始。
「俺たちね、さっきからこうやってぐるぐる回っているわけだけど、今度は君たちに回ってもらおうかな」「愛知の実力見せてくれよ!」ということで、観客が一丸となりジャンプしてウェーブをつくる。

そして2回目。
「もう1周できたら、次の曲いきます。もしできなかったら、帰ります」
hydeの「難しかった?難しかったでちゅか?大丈夫でちゅか?」に多分会場の女性は萌え死んだと思う。いったいどれだけ死人を出せば気が済むんだ!

無事に成功したのでやってくれましたよ。
これまでに何回も聴いたこの曲だけど、やっぱりかっこいい。

英語の歌詞がスクリーンに映し出された。
ラストの部分は裏声。

 

MC
今度はKenによるMCが開始。
会場の小学生に向かって「靴擦れできた?ダメよ、俺は靴擦れできるヤツが一番嫌いなんだよ」
そこから靴トーク。登山靴を買うときは店頭に小さな坂があって、試し履きと同時に歩き心地も試すことができるらしいが「何も分からないですね」
「靴擦れくらい我慢せえや!姉が靴擦れできて、バンドエイド貼るだ貼らないだ、買うだなんだ、そしたらトイレ行きたいだなんだ、で靴擦れできるやつなんか大嫌いと思ってたんですけど、僕がなりました」

「かかとが靴擦れになるのは分かるんですけど、くるぶしがなって」

ということでカメラが映してくれたがけっこうひどい。靴擦れというよりは純粋に擦りむいた感じ。我々は何を聞かされ見させられているのか。。。

「(ken)まだ喋っていいの?」「(hyde)あと30分くらい」

続いて会場にいる小学生の話題。
大分(!)やら岐阜から来た小学生に「どうやって来たの?」「何の電車が好き?」等のほんわかトーク

「新幹線より速い車を走らせたいと思います、今から」

 

13.Driver's High

この曲はかなりhydeも声が出ていた。
再三になるが、「ギターってこんなことやってたのか」「ユッキー相変わらずすげぇな」とか、そういう発見が多いのが今回のライブの良いところ。

 

14.STAY AWAY

TETSUYAのベースソロからスタート。
ベースってこんな音出るのレベルで歪んでいた。超絶かっこいい。
ベースうまくて歌うまくて曲も作れて顔も良いのにフロントマンじゃないラルクってバンドやばいな。
ってあれ、曲の感想書いてねぇや。

 

Are you fuckin' ready!?←完璧

15.READY STEADY GO

銀テ噴射!! 取れない!! ちくしょう!!
hydeはほとんど不調と分からないくらいちゃんと歌ってくれた。
定番だが、やっぱり良い曲は良い。

 

アンコール

(B・Cブロックの人しかちゃんとアンコールしてなかった気が。。。)

 

16.ガラス玉

kenのギターソロからスタート。ステージはライトを使って幻想的な空間を演出していた。
静謐な始まりと対をなすような、一気に突き抜けるサビがかっこいい。
これぞラルクの真骨頂!をこれでもかと見せつけられたかのような感覚。

 

MC
公序良俗に反するのでここのMCを取り上げるのはやめておこうかしら・・・と思うくらい終始卑猥なマシンガントーク。やめてあなた!子供が見てるわ!
会場が常滑ということで「常になめる→床をなめる→とこなめ上手」コンボが繋がった!

kenはこのトーク以降常滑市を「なめし」と呼ぶように。
会場の愛知県国際会議展示場は昨年できたばかりで、人工島にある。

 

「(hyde)ここは埋立地ですよ」
「(ken)そうなの?なめし大きなったの最近?」
「(hyde)おっきくなっちゃった」
「(ken)とこなめししたら大きくなっちゃった」

 

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kenはトータル6年近く愛知に住んでいたらしい(大学は10年)。
ラルク中に仕事を休んで大学の卒業式に行ったそうで、スタッフがお面を被ってkenの代理を務めていたそう。
(その他にもkenが大学に通っていたとき、スタッフがお面を被ってバラエティ番組に出演していたそう(本当かよ))。

 

「(tetsuya)お面被ってたよね、kenちゃんの」
「(ken)全然話題にならんかったよね。スタッフがいきなりお面被って出ても問題ないという」
「(hyde)それはどういう・・・」
「(tetsuya)ラジコンをみんなでしに行くっていう」
「(ken)それ仕事なの?」

 

「(ken)最初住んだところが大学から(歩いて)20分くらいのところで、遠いから行かなくなって」
なぜか自転車でも20分かかるらしい。どゆこと。
「(ken)それから大学にちゃんと通うため、徒歩15分のところに引っ越した。それでも行かなかった」
「(hyde)根本的な問題やろな」
「(ken)大学の敷地にめり込んでいるところがあったんですよ、そこ住んだら通いましたね。チャイム鳴ってから行っても間に合うんですよ」

 

「(tetsuyaは)小さいときから(kenが特殊だと)見抜いていたみたいで、真面目に就職しようとしたら無理そうな目で俺を見るんですよ」

 

「(ken)ステージでうんこができるくらいの気分でやらなきゃなと思ってやってますよ」
「(hyde)そんな気分でやってたの!?」

 

「(hyde)(ユッキーに向かって)久しぶりの名古屋どうですか?・・・今日は何食べたんですか?」
「(yukihiro)(5秒ほど考えて)・・・果物」
「(hyde)お言葉いただきました!紙に書いてお守りに入れておくように」

 

17.TIME SLIP

聴きたい曲だったので発狂。
hydeはこの日の歌い方を覚えたようで、ある程度で抑えながらも高音がしっかり出ている。
一緒に来た友達とも語らったのだが、SMILEはボツ曲を集めたアルバムらしいのに名曲が本当に多い。

 

18.風にきえないで

ギターリフで会場に「おぉ~!」が響く。
こんな名曲が22年ぶりだと言うから驚き。アンコールはファン投票からセレクトしたそうだが、さすがだぜ。
客席には巨大なバルーンが登場し、それが弾けると中から小さな風船が大量に現れるからくり付き。

 

19.I'm so happy

聴きなれすぎたドラムからスタート。
TETSUYAのベースがよく聞こえる。
「I love you」の連呼でhyde絶唱。たまらん。
CDどおり無音になる曲の終盤、誰一人として声を出さず手を叩かず、固唾を呑んでステージを見つめる客席の一体感たるや。すげぇな。

「たった今君たちに映る俺はとても苦しそうに見えるかもしれない」←けだしそのとおり。

 

最後のMC
「(hyde)皆さんに助けられております」
「名古屋は一途な人が多い気がしています。ずっと好きでいてくれる」

決して喉の調子が悪いとか、この会場が乾燥しているとか、そういったことは口にしなかった。

「(ラルクの)28歳最後のライブでしたね」
「ALL YEAR AROUND FALLING IN LOVEを愛を込めて歌います。よろしくお願いします」

 

20.ALL YEAR AROUND FALLING IN LOVE

アルバム「REAL」から4曲目。
ライブが始まる前、友達と「無人島にラルクのCDを1枚持っていくとしたらどれにする?」という益体のない会話をしていたのだが、お互い一番に「REAL」が挙がったのは、こういうことなんでしょうね。「最高のフィナーレを」を体現しているようだった。

 

 

終わったあと、hydeが客席に向かって「ありがとう」「ごめんね」と言っていたそうですね。

マイク越しに「次はもっとかっこいいもん見せてやるからよ!」とhydeさん。惚れてしまいそうだ。

 


◎総括
良かった点
・素晴らしいセトリ
・演出過多でない、自然体のラルクが見られた
・演者と客の距離が近かった
・MCが相変わらずだった
・ステージを様々な角度から見られた

悪かった点
・会場が乾燥しすぎて、常に小麦粉を吸っている感覚だった(そりゃhydeの喉も調子悪くなるわ)
・スクリーンの映像が若干遅れていた
・席がかなり狭くて窮屈だった

老婆心ながら。

たった数年ほど前のことだが、自分が高校生だった頃はなんと浅略であったのだろうかと悔恨の念に駆られるときがしばしある。
高校生というのは、15歳から18歳に至る3年ものあいだ有名ブランドを有効期限付で着込む権利が与えられているようなもので、法を犯さない限りは大概の場合何をしても許されてしまう。毎日スター状態であらゆる敵を薙ぎ倒すことができる。そんな素敵な毎日だったはずである。

しかし墓に布団は着せられぬように、僕らが後悔するのはいつだって戻らない過去に対してのみ。
きっと数年後には、こうしてPCに向かい愚にもつかない文章をひたすら叩き続けるこんな日々も、後悔という灰色のページにカウントされているのでしょう。

けれどもだからこそ、次の世代には自分と同じ轍を踏んでほしくない。もっとうまく生きてくれ。こんなダメ人間の二の舞になるな。そう喚起したくなるものである。
とはいえ、子供の生活を支えるのは大人である。つまり、大人の生活や意識を変革させない限り、子供の生活に変化は訪れない。


少し話はそれるが、「親は自分のコンプレックスを子供で埋めようとしている」という見方がある。
たとえば、英語がまったくできなかった親は英語が堪能な子に育ててあげたいと思うし、字が下手なことがコンプレックスだった親は子供を習字に通わせる、といったところである。

あるいは、自分が好きな音楽を考えてみるのもいいかもしれない。
小学校のときに好きだったアーティストは、親が好きだったことが影響しているケースがほとんどではないだろうか。


このように、子供の生活というのはほとんど親、つまり大人が支配している。
だから、もし小学校の制度としてロクでもない方針が掲げられていても、子供たちはそれを当たり前と享受してしまうのである。

現に僕がそうであった。
「世の中というのはそういうものなの!」「今は分からないかもしれないけど、大人になれば分かるから」と言われ続けて早幾年。
けっきょく大人になって分かったのは、後悔と諦念と憎悪と悪意から構成された杓子定規な押し付けが世に蔓延っているだけということだった。
脳みそは世の中のシステムを理解できるようになったが、納得したかどうかは別問題。

 

子供がかわいそうじゃないか。
色々なニュースを見て、そう思うことが多くなった。この感傷はたぶん、僕が大人になったからじゃなくって、子供ではなくなったからこそ抱けるものだ。モラトリアムなのである。

子供のときの気持ちなんて、忘れてしまった。
「大人は子供だった時期が絶対あるはずなのに、どうして子供の気持ちが分からないのだろう」と、あれほどまでに強く大人を憎んだ少年の炎は、いつのまにか音もなく消えていた。
今では男の子がこいのぼりを欲しがる気持ちも、100円のお小遣いで大はしゃぎする気持ちも、まったくもってよく分からない。

よくわからないが、大人には最低限理解しようと努める義務があるはずだ。
そしてそれを子供に伝えて理解させてあげるのが、せめてもの道理ではなかろうか。

 

・・・なんてことを言うつもりは毛頭ない。僕たちが期待していいのは、次の世代だけである。


だから、要するに何を言いたいかというと「若人よ、脳みそを使え」という、ただそれだけ。

僕の後悔は単純明瞭。「何もしなかったこと」である。
何もしない現状に言い訳を見つけて停滞し、その淀みの中でじわりじわりと腐っていった。

腐ったのは性根も目つきもだが、それ以上に脳みそも腐敗していった。
何かを考えているようでいて、何も考えていなかった。自分の足で歩いているようで、誰かの足跡を辿っているだけだった。


僕ももう、子供ではなくなってしまった。だから今はもう、願うしかできない。

今を生きる高校生諸君には、もっともっと脳みそを使って生きていってほしい。
もっと批判精神を身につけて生活してほしい。

 

たとえば身近な例で、こんなニュースがある。

www.asahi.com

あまりに時代錯誤なのは一目瞭然だが、こうしたニュースにきちんと向き合っているだろうか。

 

批判というのは非難とは違う。
「クソみたいなルールで縛りつけやがって」と吐き捨てるのは容易だが、このニュースの何が問題なのかをきちんと考えてほしい。そして見極めてほしい。

老婆心ながら。

自転車における高度な心理戦

フローレンス・ナイチンゲール曰く「人生とは戦いであり、不正との格闘である」。

世の中の理不尽さなんて、数百年やそこらで変わるものではないのでしょう。
というより、むしろこの傾向がより強くなっている気もするのだが、悲しくなるので考えないのが吉。

とはいえ、顧みれば人間というのはいつも何かと戦っている。
時間だったり、人間だったり、社会だったり、性欲だったり。


むしろ我々は、無意識のうちに戦いを挑んでいたり、気づかないうちに戦いに巻き込まれていたりするもので、世界平和という単語とは縁遠い印象がある。

その最たるもののひとつが、「前から来た自転車とすれ違う」際に生じる、高度な心理戦に象徴されるものであると思うのだ。


皆さんも自転車に乗ったことがあるなら、一度や二度は必ず経験したことがあるだろう。

自分が歩道で自転車を走らせていると、前からも自転車がやって来る。
しかも、よりによって双方とも歩道の車道側を走っており、つまりどちらかが避けなければ正面衝突してしまうという状況。

我々はそうした場面でこそ、真の力を発揮することができる。

まず、最初の選択肢は
①自分が避ける
②相手が避けるまで待つ
の二者択一だ。

仮に相手側が二人以上で走行しており、横に広がっているパターンでは②を採用、相手側が空けたスペースを通行するという流れが一般的だ。
たまにこちらから近づいているのを気づいているくせに、敢えてなのか面倒臭いからなのかギリギリまで避けず、どちらも速度を落とさざるをえないパターンもあるが、それは相手側が悪いのでさっさと自害しろ。

しかし、今回はスタンダードな一対一。
どちらかが道を譲ろうと動かない限り、両成敗の末どちらも不快な思いをする羽目になりかねない。

であるならば、いっそ自分が動くべきかと思うのだが、いやしかし待て。

我々は賢者ではない。
すなわち愚者として、自らの経験に学ぶのが得策なのではないだろうか。

つまるところ、自分が動くと同時に相手も同じ方向に動いてしまうというリスクを考慮する必要性があるのではないだろうか。

そう、我々はこれを経験により認識している。善意で自分が先に動いたつもりが、相手もまったく同じタイミングで動いてしまい、その結果自転車を停止させざるを得なくなったあの日の思い出。
なんでもう一回別の方向に動くタイミングもぴったり一致しちゃうんだよ。奇跡って起こるんだね。


だから迂闊に自分が動こうとするのは、ある意味で危険が伴う行為なのだ。

大切なのは、相手側の出方をきちんと推測した上で行動すること。

つまり、相手のスペック・状況・知覚状態などを分析し、自分が動くべきか否かを冷静かつ慎重に見極める必要がある。

注目すべきは、以下のポイント。

・相手のスペック:自転車のタイプや相手の雰囲気、大まかな年齢や自転車の漕ぎ方から、相手の敏捷性や適応能力を見定める。例えば、薄いピンク色のママチャリに乗っている70代の高齢者と相対した場合、こちらが道を譲るよう動くのが適切な判断と言える。また、自転車のスペックがこちらと同じ程度だとしても、相手のハンドルがY字型で謎の音楽をスマホで流していた場合、相手が道を譲ることは有り得ないと考えたほうが良い。

・相手の状況:仮に相手側が小さな子供を前カゴに入れて走行していた場合、方向転換には危険が伴うため、こちらが避けたほうが良いはずだ。また、車道をチラチラ後ろ目に見ながら走行している自転車は、車道に出ようとしているか、あるいは道路を横断しようとしているので、あえてこちらが動かないのが吉と言える。

・相手の知覚状況:これはひとえに、相手が自分の存在を知覚しているかどうか。もし相手側が気づいていないのであれば、こちらが先に動いたほうが良いに決まっている。相手も自分も気づいていた場合は、上述の判断材料を駆使するほかない。


ちなみにここまでの思考、およそ0.5秒。


だがしかし、人生というのは読みも当ても外れるものである。
よく当たると評判の宝くじ売り場で何枚買おうと、当たらないものは当たらないのだ。

つまり、どれだけ考えようとも事態が悪い方向に転がることはある。


それは例えば、相手も同じことを考え、同じタイミングで動いてしまったパターン。もう、ほぼ運命の出会い。
数回にわたる蛇行運転を繰り返したのち、どちらかが相手の動きを読んで逆の方向に進まない限り、事態は収まらない。

最悪の場合、ご法度である禁じ手「舌打ち」をすれ違い様にお見舞いされる危険性もある。
あれほどに人を怒らせる行為があって良いのか。なぜ神は、我々の舌打ちという行為を許容してしまったのか。

そう、不運にもバッティングしてしまった場合は、どちらも悪くない。
お互いに気を遣ったばかりに起きたことなので、両者痛み分けでいいはずである。

しかし、この「舌打ち」という拙劣な行為によって、あたかも自分だけが悪いかのような、相手側に非が無いかのような。
そんな考えが見え透いてしまい、たちどころに頭に血が上った僕は、振り向きざまに「なんだコノヤロー」「うるせぇバカヤロー」と北野武の真似をしてしまうのである。


結局のところ、何をすれば正解なのか、自分が気持ちよく過ごせるのか、相手側に迷惑をかけずに済むのか。
そんなことは未来予知でもしない限り分からないので、せめて自分が後悔をしない選択をしてゆきたいと思う今日この頃である。