お金がほしい

お金がほしい

2020年10月をもって更新をストップします。永らくのご愛読ありがとうございました。

かつて『ボールズ』というバンドがいた

音楽が好きだ。
そう感じる人は、きっと世の中に多いと思う。

だからこそサブスクに反発する人もいるし、逆に嬉々として迎合すべきだと論じる人もいる。

この議論が収束しないのは、たぶんどちらの言い分も正しくて、だからこそ両者譲れない想いがあるからであろう。


かくいう僕も音楽はとても好きで、社会人になって「年を追うごとに音楽を聴かなくなった」と話す同世代と比較すれば、きっと音楽と向き合う時間は多いはずだという自負はある。
もちろん、社会人になることで車での通勤時間が生じ、その時間を音楽に傾けるため、むしろ学生時代より係わりが増えた、という人もいるだろうが。


いずれにしても、音楽との付き合い方はここ10年で大きく変わったし、50年前なんかではきっと今の時代を予想できた者はいないだろう。
だから僕らが10年後に音楽とどのように向き合っているのかなんて、まったくもって見当がつかない。

だけどおそらく、100年前も今も30年後も不変のものは絶対にあって、それは「音楽が好き」という思いではなかろうか。

形や接点は変われど、その本質であるところの思いだけは変わらない。なんとも素敵なことじゃないですか。

 

さて前置きが長くなったが、そんな「音楽が好き」という思いが槍のように鋭く突き刺さってくるバンドが昔あった。
いや、昔というほど昔でもない。ほんの数年前の話である。その名前を『ボールズ』と言った。

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はじめ彼らの名前を聞いたとき、「ん? 洗濯用洗剤かな?」と勘違いした。
今となってはどこで彼らの名前を見つけたのかも、どうやって調べたのかも、なぜ好きになったのかも分からない。

けれども、上の勘違いのおかげで彼らに興味を持ったとするならば、勘違いをして良かったと素直に思う。

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上の動画を観てもらえば分かるだろうが、彼らの音楽は優しい。
優しさとは、これまた定義づけることが難儀な概念ではあるが、ハンバートハンバートとか吉田山田あたりとはまた違う優しさがある。

勝手なイメージで申し訳ないが、学校のクラスではカ-スト中位層の、派手でもなく地味でもなく、都道府県で喩えると静岡県
僕は静岡県民なので勝手に親近感を覚え、勝手に好きになりました。ごめんなさい。


でも、この動画を観れば分かると思うがやっぱりメンバー全員仲が良さそうで、そして音楽を楽しんでいる様子が伝わってくる。
初期のスピッツにも似たメロディーもちょっとクセになるし、セカンドアルバムは粒揃いというか、とてもキャッチーな楽曲が多い。好き。

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話は戻るが、サブスクの登場によって音楽との接し方はとてもライトなものになった。
気軽に音楽を聴くことができる環境が整備されたことで、音楽がより生活に密接した存在になると思いがちだが、気軽さとは言い換えれば特別感の消失である。

かつて僕が生まれる前の時代ではラジオ番組で流れる曲が全てで、スピーカーの前にレコーダーを置き、流れる音を拾って音楽を楽しんでいたという。
だからその瞬間に雑音や呼び鈴、犬の鳴き声が混じってしまわないよう、細心の注意を払っていたらしい。

音楽を聴くという行為には、そういった特別感があった。

とはいえ、現代において特別感が姿を消したかと言えば全然そんなことはなくて、コンサートやファンクラブ、ライブグッズの購入を通じて特別感は満たされている。
それに海外では絶滅危惧のCDも、日本では初回限定盤などの施策によって(売り上げは落ち込んでいるとはいえ)未だ第一線で活躍している。

要するに時代によって「金銭や時間を支払うべき価値」が変化しただけのことであり、最初に記述したとおり音楽との付き合いが希薄化しているわけではないと思う。

そしてそんな時代に『ボールズ』の音楽があって、僕はそれがとても好きだった。

たしかに、「一番好きなバンドは?」という問いに彼らの名前を出すことはなかったかもしれない。
金がない学生の僕が「コンサートに足を運ぼう!」と思い至るほどに情熱を傾けてはいなかったかもしれない。

けれども日常の中でふと彼らの音楽に触れ、3ヶ月に1回でも半年に1回でもふとした瞬間たまに聴きたくなるような、そんな平成時代の素敵なバンド。それが『ボールズ』であった。


彼らは2017年に解散してしまったけれど、山本剛義の声は好きだし曲も好きだしギター3人いたのも面白かったし、というわけで今でもたまに聴いています。

 

 

解散したバンドの楽曲がストリーミングでいつでもどこでも聴ける。
なんか、幸せじゃないですか。

童貞☆スパイラル

童貞を捨てたい。
もういいかげん、そろそろマジで、卒業したい。

10代の頃はまだ、「責任取れないから」とか「欲望に忠実ではなく、理性的に生きるべきだ」みたいな詭弁を弄じて誤魔化しが利く時代だった。
周りもみんな童貞だったから、将来への不安なんてひとかけらもなかった時代だった。

世はまさに童貞時代で、余もまさに童貞だった。
そんな時代もあったねと、いつか話せる日は来るのでしょうか。


しかし同士の中には、童貞を捨てることを諦め、「せっかくこれまで守ってきたから」などと戯言を抜かす者もいる。
かつて地球には、「童貞すら守れない奴に何を守れるというのか」という格言を残した人もいたそうだ。

けれども言いたい。それは大きな誤りである。
これまで守ってきたのではなく、誰も攻めてこなかっただけなのだ。

意図せずして、前衛がめちゃくちゃ強かったんだな、きっと。
前線から守備を仕掛けちゃっていたんだな。なんか全てを撥ね返すバリアとか張っていたんだろうな。

僕は大迫勇也ではなく田中マルクス闘莉王になりたかったのだよ。
ディフェンスなのに前線にあがったまま帰ってこないような、そんな人間になりたかった。

しかし、僕はなれなかった。ちなみに、もうじき魔法使いになれそうではある。
過去を憂いても仕方ないが、未来に絶望するよりは健全だろう。

 

と、ここで突然だが、童貞の何が悪いのかを明確にしておきたい。
こうして22にもなって清き身体を保っていると、最初のステップが非常に重くなるのだ。

つまり、この歳になっても遊びで身体を重ねた経験がない場合、本当に好きになった人にしか筆おろしを許容できなくなってしまう。
要するに、いまさらソープなんて行けないのである。

この歳で風俗に入店すると、嬢に「え?お兄さん童貞なの?」と本気で驚かれること間違いなし。
あまりにも安い店に入らなければ、彼女らも仕事だからバカにすることはおそらく無いにせよ、内心どう思われているのか気が気でないのである。

きっと「その歳で童貞とかwwww」とか「どうりで芋っぽい顔してると思ったわ」なんて思われたあげくにSNSの裏垢で足蹴にされるのだろうさ。
・・・なんて考えてしまってもう絶対無理。考えただけで死んじゃう。

おまけに最近彼女がほしいと思わなくなってしまったので、性欲なんて皆無に等しい。
だから今の僕は倉庫の中で眠っている錆びた自転車みたいなもので、走り出すにも不恰好で随分とぎこちない。

昔聞いた話によると、とある男優は仕事をやめてから明らかに竿が小さくなったそうだ。

自分のサイズなんて測ったことがないので分からないが、使わなければ小さくなるのは当然のこと。
そして小さくなれば自信がなくなるから余計に使わなくなる。そうして使わなくなるので、さらにサイズダウンしてゆく。それこそが童貞☆スパイラル。

 

たまに、10代のうちに捨てていたら人生は変わっていたのだろうか、と考えることがある。
まだ童貞として生存権のあるうちに無理やりにでも風俗に行っていれば、あるいは「風俗行ったら人生変わったwww」を書いていたのは僕だったのかもしれない。

でも僕はやっぱりそんなスレ立ててないし、彼女いないし、やっぱり童貞だし。

童貞というのは、言うなればコンプレックスである。
しばしばコンプレックスは武器になると言う者もいるが、武器にした瞬間男としての尊厳を失う気がする。というかその前に、僕のエクスカリバーは武器として機能してくれるのか。いや、機能不全ではないけどさ。

「自分、童貞です」とカミングアウトした男の末路なんて、せいぜい
①死にたくなるほど馬鹿にされる
②男として見られずに女性からガチな相談をされる
③三枚目として永遠に主役になれずに生涯を終える
のいずれかである。

 

嗚呼、いつになったら僕はこのループを脱却することができるのだろう。

イヤな予感だが、年を追うごとに出口が遠のいている気がするのだ。
形のないプライドだけが、どんどん成長しているおそろしい感覚が芽生えてきている。つまり、理想ばかりが高くなってゆく。

先述したとおり、卒業の日まで僕はおそらくソープは行けない。初めての相手は心を許しあった人でないと、自尊心が持たないからである。
しかし心を許すこととはプライドという邪魔者が介入する余地が無い状態、つまり全てをさらけ出せる状態。

果たして相手の女性が経験済みだった場合、僕の肥大化したプライドは平穏でいられるだろうか。
お互いに初めて同士ならば、きっと手探りでぎこちないながらも一緒に頑張ろうという心が生まれるはずだが、女性側が経験豊富だった場合、当然ながらリードしてもらう立場になるわけでして。

男というのは、アホな話であるが往々にして女性をリードしたがる生き物である。征服欲が強いのだ。
だから男にロリコンが多いのも、征服欲が満たされるという点においては理解できなくもない。違うって僕はロリコンじゃありません。

ロリコンではないけど巨根でもないから、経験済みの女性に自分の粗末なものを見せるとき、僕の精神は堪えられるのでしょうか。
元カレの長さと太さと早さと比較される冷酷な現実に、僕の精神は堪えられるのでしょうか。


・・・という考えをめぐらせると、彼女の条件のひとつに「処女であること」という項目が追加されるのも時間の問題。
そうやって25歳、30歳、35歳と歳を重ねるうちに、次々条件が増えてゆき、最終的に50歳くらいで

成人したばかりで処女で恋愛経験なくて顔が可愛くて性格が良くて胸が大きくて足が綺麗で感度が良くて親が既に他界していてドMの女の子

以外初めてを捧げられない人になってしまうかもしれない。

 

そんなのはイヤだ。誰か助けてくれ。

誰か、助けてくれ。

タクシー・イン・コリア

最近東京に出向く機会が多いのだが、東京の道路ではよくタクシーを目にする。
そりゃ田舎にだってタクシーの数台はお目にかかるが、東京、というより都会の台数はやはり一桁違う。

それに近年はタクシー業界のニュースがあとを絶たない。
位置情報サービスを活用し、スマホでタクシーを呼ぶことができる機能や、運賃を取らずに広告費用だけで試用しはじめた会社、そして話題のUberなど。

そういう世間的な関心も相まって、タクシーばかりがふと目に止まるのかもしれない。


けれども、そう。
こと僕に関して言えば、タクシーにあまり良い思い出がないのも事実。

黒いミニバンのタクシーを見るたび、僕はこんなことを思い出してしまうのだ。

 

あれは10年ほど前、韓国に旅行したときのことだった。

仕事の都合で韓国に移住することになった従兄弟の家族を様子見すべく、僕の家族は海を越えて韓国に向かった。
彼らが移り住んでから数ヵ月後ほどが過ぎた頃だったように思う。

空港で合流した両家族は、慣れない海外生活の様子や言語の障壁などについて語らいながら、ソウルタワーやら焼肉料理店やらに足を運び、それなりに楽しいひと時を過ごしていた。

意外にも日本語対応のホテルやお土産店が多く、観光地に関してはあまり言語に困らなかった記憶がある。
思えば冬のソナタを筆頭にいわゆる「韓流」が流行っていた頃だったかもしれない。

だからこそ日本人を対象にした詐欺のような事件も多く、旅行雑誌には「乗っていいタクシー」と「乗ってはいけないタクシー」の特徴なんかが記されているページもあるくらいだった。


そんな不安がありつつも楽しく旅行をしていた僕らは、次の観光地に向かうべくタクシー(もちろん安全とされている方)を呼び、7人全員が乗り込んだ。

ミニバンの大きなタクシーには、従兄弟の父が助手席に、それ以外はテキトーに後部座席を2列使って座った。
従兄弟の父は最も滞在歴が長いためか韓国にも慣れていて、次の目的地を運転士に現地語で伝えていたのは素直にカッコイイと感じた。


どうやら向かっている観光地は1時間おきにイベントがあるらしく、その時間に合わせてタクシーを呼んでいたらしかった。
到着予定時間の十数分後にそれがはじまるそうなので、とても良いタイミングだと思った。


けれども、そんな移動の最中。
助手席に座っていた従兄弟の父が、突如として運転手に何かを訴え始めた。

現地語なので何を言っているのかは分からないが、何となく少し怒っているように見えた。
運転手はそれをすげなくあしらい、何事もなかったかのように運転を続けた。

 

すると、次の瞬間。

ドスンッッッ!!

という大きな物音がして、後部座席に座っていた僕らは何事かと驚いた。


「えっ、なに!?」という声が飛び交う。
けれども僕はその答えを知っている。従兄弟の父がダッシュボード下のグローブボックスを思いきり蹴った音だった。

僕の座っている位置からはそのモーションの一部始終を見てとることができた。そして驚きと同時に恐怖を覚えた。


いつもは温厚な男性である。
僕が小さい頃は「うんちくんの大冒険」という謎の自作物語を聞かせてくれたこともあった。


では、そんな彼がいったいなぜ怒ったのか。
答えは明白である。

運転手が遠回りをしたせいだ。


車内の僕らは当然ながら日本語で会話をしていたし、明らかに観光客だし、それに移動距離もあまり長くはない。

韓国のタクシーは日本と比較しても割安なので、少しでも多く稼ごうとして遠回りをしたのだろう。
そして日本人の観光客相手だから、遠回りをしてもバレはしないと、そう踏んでの行動だったに違いない。


けれどもそれを許せぬ者が1名いた。
彼は、日本人が海外で冷遇されていることを身をもって知っている。

日本人は「人の良さ」によって、世界中でただのカモにされているということ。
だから彼もそれまで同じような目に遭い、イヤな思いもたくさんしてきたそうだ。


もしかしたら当時の運転手は「日本人だから」ではなく「観光客だから」という理由で遠回りをしたのかもしれない。

けれども彼は頑として「日本人だからとナメられるのは許せない」と譲らず、運転手に現地語でひたすらに文句を言い続けた。

そしてその口と連動してドンッドンッとグローブボックスを地味に蹴り続けている。

海外赴任とは、かくも性格を豹変させてしまうものなのだろうか・・・。

 

そうして最悪な雰囲気のままどうにか目的地に到着した僕ら。
こうなれば、きっと運転手もさっさと降ろしたかったに違いない。

支払いのときもグローブボックスは地味に蹴られ続け、そして彼は降車の際、「おい、これ貰っていくからな!」と日本語で言った。


彼が指すのは、助手席前のガラス付近に挿してあった運転手の名刺。
「分かったからさっさと行ってくれ」みたいな目を彼に向けた運転手を後目に、彼は名刺を抜いたのだが、勢い余って3枚もゲットしてしまった。

一瞬「しまったー!」と顔を歪ませた彼だったが、いまから2枚を戻すのも面倒なので、そのまま3枚を手に持ったままタクシーを後にした。


身内だけになった後は「なんであんなコトしたの!」と妻の咎めやら「運転手が悪い」と非を認めない旦那やらで、空気の悪さは解消された。

だが疑問はひとつ残る。
名刺をもらって何をする気なのだろうか、と。


当時はまだTwitterInstagramなどのツールが浸透していなかったし、それに個人の特定が可能な状態でネット上のさらし者にするのはやりすぎでは?とも思う。
であれば、彼はその名刺をどうするつもりなのか。しかも3枚も。


僕らは構内案内図の描かれた看板の前に立っていたのだが、すると彼はおもむろに別の方向へと歩き出した。手には3枚の名刺。まるでウルヴァリン

僕は彼の姿を目で追う。彼はニヤニヤと笑っていた。まるで女学生を視姦する変態。


彼の向かった先には、小さなコルクボードのような小さい立て看があった。
どうやらイベントスケジュールの記載された紙が画鋲で留められているらしい。


と思った次の瞬間、彼は突然その画鋲を引っこ抜いた。

えっ?と呆気にとられる僕。そんな目線などお構いなしに、彼は手に持っていた名刺をその紙に充てがい、なんとそのままぶっ刺したのだ!


なんということだろうか。
イベントスケジュールを見ようとすると、演目ではなくまず名刺が目に入る。

しかしいけない。このままでは14時の演目タイトルが謎のタクシー運転手の名前になってしまうではないか。


相変わらず彼はニタニタと笑っている。
なんてヒドいお方。


するとさすがにこればかりは許してはおけないと、彼の妻が「ちょっと、何やってるの!」と走って詰め寄る。
変わらずに笑い続ける彼。「もう、しょうがないんだから...」と呆れる妻。いやはや平和ですね。


しかしこの時僕は、社会に出ても日本からは出ないと心に誓ったのであった。