かつて『ボールズ』というバンドがいた
音楽が好きだ。
そう感じる人は、きっと世の中に多いと思う。
だからこそサブスクに反発する人もいるし、逆に嬉々として迎合すべきだと論じる人もいる。
この議論が収束しないのは、たぶんどちらの言い分も正しくて、だからこそ両者譲れない想いがあるからであろう。
かくいう僕も音楽はとても好きで、社会人になって「年を追うごとに音楽を聴かなくなった」と話す同世代と比較すれば、きっと音楽と向き合う時間は多いはずだという自負はある。
もちろん、社会人になることで車での通勤時間が生じ、その時間を音楽に傾けるため、むしろ学生時代より係わりが増えた、という人もいるだろうが。
いずれにしても、音楽との付き合い方はここ10年で大きく変わったし、50年前なんかではきっと今の時代を予想できた者はいないだろう。
だから僕らが10年後に音楽とどのように向き合っているのかなんて、まったくもって見当がつかない。
だけどおそらく、100年前も今も30年後も不変のものは絶対にあって、それは「音楽が好き」という思いではなかろうか。
形や接点は変われど、その本質であるところの思いだけは変わらない。なんとも素敵なことじゃないですか。
さて前置きが長くなったが、そんな「音楽が好き」という思いが槍のように鋭く突き刺さってくるバンドが昔あった。
いや、昔というほど昔でもない。ほんの数年前の話である。その名前を『ボールズ』と言った。
はじめ彼らの名前を聞いたとき、「ん? 洗濯用洗剤かな?」と勘違いした。
今となってはどこで彼らの名前を見つけたのかも、どうやって調べたのかも、なぜ好きになったのかも分からない。
けれども、上の勘違いのおかげで彼らに興味を持ったとするならば、勘違いをして良かったと素直に思う。
上の動画を観てもらえば分かるだろうが、彼らの音楽は優しい。
優しさとは、これまた定義づけることが難儀な概念ではあるが、ハンバートハンバートとか吉田山田あたりとはまた違う優しさがある。
勝手なイメージで申し訳ないが、学校のクラスではカ-スト中位層の、派手でもなく地味でもなく、都道府県で喩えると静岡県。
僕は静岡県民なので勝手に親近感を覚え、勝手に好きになりました。ごめんなさい。
でも、この動画を観れば分かると思うがやっぱりメンバー全員仲が良さそうで、そして音楽を楽しんでいる様子が伝わってくる。
初期のスピッツにも似たメロディーもちょっとクセになるし、セカンドアルバムは粒揃いというか、とてもキャッチーな楽曲が多い。好き。
話は戻るが、サブスクの登場によって音楽との接し方はとてもライトなものになった。
気軽に音楽を聴くことができる環境が整備されたことで、音楽がより生活に密接した存在になると思いがちだが、気軽さとは言い換えれば特別感の消失である。
かつて僕が生まれる前の時代ではラジオ番組で流れる曲が全てで、スピーカーの前にレコーダーを置き、流れる音を拾って音楽を楽しんでいたという。
だからその瞬間に雑音や呼び鈴、犬の鳴き声が混じってしまわないよう、細心の注意を払っていたらしい。
音楽を聴くという行為には、そういった特別感があった。
とはいえ、現代において特別感が姿を消したかと言えば全然そんなことはなくて、コンサートやファンクラブ、ライブグッズの購入を通じて特別感は満たされている。
それに海外では絶滅危惧のCDも、日本では初回限定盤などの施策によって(売り上げは落ち込んでいるとはいえ)未だ第一線で活躍している。
要するに時代によって「金銭や時間を支払うべき価値」が変化しただけのことであり、最初に記述したとおり音楽との付き合いが希薄化しているわけではないと思う。
そしてそんな時代に『ボールズ』の音楽があって、僕はそれがとても好きだった。
たしかに、「一番好きなバンドは?」という問いに彼らの名前を出すことはなかったかもしれない。
金がない学生の僕が「コンサートに足を運ぼう!」と思い至るほどに情熱を傾けてはいなかったかもしれない。
けれども日常の中でふと彼らの音楽に触れ、3ヶ月に1回でも半年に1回でもふとした瞬間たまに聴きたくなるような、そんな平成時代の素敵なバンド。それが『ボールズ』であった。
彼らは2017年に解散してしまったけれど、山本剛義の声は好きだし曲も好きだしギター3人いたのも面白かったし、というわけで今でもたまに聴いています。
解散したバンドの楽曲がストリーミングでいつでもどこでも聴ける。
なんか、幸せじゃないですか。