お金がほしい

お金がほしい

2020年10月をもって更新をストップします。永らくのご愛読ありがとうございました。

ファジーな言語

「お金がほしい」というブログ名でくだらない文字の羅列を書き続けること早幾年。

多少は長文記述にもタイピングにも慣れてきて、その代わりに中身の面白さと更新頻度は半減して。

開設当初を振り返ると、まさかこんなに続くとは想像してなかっただろうし、かといってやめるつもりも更々なかったし。
早い話が、落としどころを見つけられずにのうのうと続けてきた結果がこの有様、というだけの話だろう。


まぁでも、もしかしたらこの地球のどこかに当ブログの更新を待っているような奇特なお方がいるのかもしれないし?
一応アクセス数は停滞しているように見えて地味に上がっているし?

といった具合でどうにかモチベーションを保ってやっております。


でもやっぱりね、これを言ったら負けだと思うけど、このブログって名前が悪いと思うの。

だってほら、「お金がほしい」よ。
これって人類のほとんどが心のうちで思っていることだから、言うなれば「地球平和」とか「男女平等」みたいなニュアンスに近い気がする。

そんな普遍的な思想と、実際のコンテンツの内容が全然噛み合ってない。ブログ名と記事が喧嘩している。
せめて「お金がほしい」という記事のタイトル名だったら分かるんだけど、ほら、ブログタイトルに「お金」という文字が入っていると怪しい悪徳商法のプロ集団サイトかと思われそうじゃない。

それだけでかなり損をしている。


というか今ふと思ったのだが、何気なく使っているこの「お金がほしい」って外国人にとって結構難しい言葉なのではないだろうか。


というのも、日本人が英語を学習するとき、よく5文型(SVCとかSVOCとか)を基礎として叩き込まれるのと同じように、おそらく日本語を学習している外国人も同じように文型を学習するのだろう。

そして上記の型を「お金がほしい」に適用させようとしたとき、多分これは「(S)OV」の型になる。

一般動詞の場合、日本語と英語は大概動詞と目的語(格)が反転するので、英語で言う「SVO」は日本語で言う「SOV」と同義。
そして英語が説明的な(記述的な)言語であるのに対して日本語は空間共有的な(会話的な)言語であるため、しばし主語が失われる。

「お金がほしい」というのも本来ならば「私はお金がほしい」と書くべきところ、日本語という言語にとって「私は」という人称は不要であり、なくても意味が通じるため排除されている。


ちなみに話は逸れるが、スペインでは日本語と同様に私(Yo)や彼女(Ella)などの主語を置かない場合も多い。
その代わりに、主体によって動詞を6パターンの活用方法で分けるため、たとえば「今朝草むしりをしていた」という内容の文を書くだけで、そこには主語が誰であるかの情報もある程度含まれていることになる。

反面、英語はかたくなに私(I)とか彼(He)といった主語を排除しない構造なので、ネイティブでも「He don't have…」とか崩して書いちゃうことがないわけでもない。
洋楽の歌詞でも多分「He don't・・・」でヒットする曲はたくさんあると思うので、興味があったらどうぞ。まぁおそらく歌の場合は、文法よりもリズム感や韻を意識した結果、というパターンが多いだろうけど。


本当に話が逸れてしまった。うっかり。

んで「お金がほしい」についての話に戻るが、先述したように「私はお金がほしい」が本来の型ならば、直訳すると「I want money」となる。


ここで僕は思うのだ。

中学一年生にこの問題を出すとどうなるか。

1)次の英文を和訳しなさい:I want money.


おそらく、半分くらいの生徒がこう書くのではないだろうか。

A.私はお金を欲している。


もちろん正解である。
何も間違ったことは言っていないし、文法的に誤っている点もない。

けれども日常生活で使うには、やや違和感の残る表現であることは誰しもが認めることだろう。

この回答を「え、普通に「お金がほしい」でいいじゃん」と思いながら眺める人もたくさんいるはず。僕もそのひとり。そしておそらく、その回答を書いた生徒もまた然り。


ならばその生徒はどうして素直に「お金がほしい」と書かなかったのか。随分回りくどい説明をしていますね。分かりますかこれが奥義「文字数稼ぎ」ですよ。


その答えは皆さんお気づきの通り、「が」という格助詞である。

たとえばこの文型(SVO)と同じフレーズで有名なものに「I have a pen.」というものがあるが、これは「私は(1本の)ペンを持っている」と誰もが訳せるだろう。

それはこの「I have a pen.」が実に教科書どおりというか、「誰が(S)」「どうした(V)」「何を(O)」を律儀に遵守すれば必ず正解できる問題だからである。


翻って渦中の「I want money.」の場合は、自然に訳そうとすると「何を(O)」の部分が「お金が」になってしまう。
教科書的に「~を」で締めくくりたいのに、そしてどう考えても目的語なのに助詞が「が」になってしまう。

おかしい。私は何かを間違えたのだろうか。

生徒は混乱するだろう。

「が」というのはなんとなく、主語のあとに付帯していそうな言葉なのにどうして目的語の後についてしまうんだ!
・・・やはり俺が間違っているのか? 英語を学習して数ヶ月でこの問題に挑んだ俺が間違っていたと認めなければいけないのか?

生徒のペンは上白紙の上で小刻みに震えている。

 

・・・いや、待てよ。

しかしここで生徒はあることに気付く。
wantにはたしか、「~(物などを)ほしい」のほかに「(~を)欲している」という訳が辞書に載っていたではないか。

「ほしい」に対して「お金が」という構造が鉄壁であるなら、wantの訳を転換させることで打開を図ろうじゃないか!

 

という葛藤を経て「A.私はお金を欲している。」と書く生徒がいるのではないだろうか。

「いやそんなヤツいねぇだろ」と思う人もいるかもしれないけど、意外といるのよ。塾講師やってたからわかるけど。しかもそれで正解をもらえるの分かっているし。


そういう現象が起きているのもね、おそらくこの「が」が何を意味するかとかどういう役割を持つかとか、そういった日本語を学ぶ機会を設けていなかったためだと思うので(だって僕も分からないし)、今後文部科学省には是非今一度正しい日本語とそのあり方についてのカリキュラムを義務教育として取り入れていただきたい所感である。

あとついでに茶色ってどうして茶色って言うのか気になる。お茶の色じゃなくてうんこの色だろ。これも追加でよろしくお願いします。


って何の話だっけ。

外国人!
そうだ、どうして義務教育の話になった?

まぁいいや。とにかく外国人も中学生も外国語学習を頑張ってくれ。

 

 

 

今思いついた。ピーマンの肉詰めも気になる。
ふつう、肉詰めのピーマンじゃね?