お金がほしい

お金がほしい

2020年10月をもって更新をストップします。永らくのご愛読ありがとうございました。

思い出したんだよ

単に心の弱さが露呈しただけなのか、はたまた現代の波に呑まれただけなのか。
最近は電車に乗っている最中にイヤホンで音楽を聴くことがもっぱら多くなった。

これまで毎日僕は往復1時間近くの移動時間において、そのほとんどを流れ行く景色に目をやりながら過ごしてきたのだが、そうしたルーティンの中でふとこんなことを思ってしまうのだ。

 


やべぇ、暇すぎる

 


最初の1年間は、まだ良かった。
町の景色は毎日変わらないように見えて、川の水位だったり工場の煙だったりビルの広告だったり、「あぁ日々の生活というのはかくして続いてゆくものなのだな」などと寒々しいことを思いながら外を眺めやっていたのだが、それもさすがに数年で限界を迎えた。

いくら他人の生活に思いを馳せたところで結局はどうにもならないし、時速100kmで通過してしまうし、見える景色はやっぱり田舎だし。


そういうわけで手近に時間の潰せるアイテムを鞄の中から探し出し、それが音楽を聴くという行為であった。

もちろん、はじめは大衆に倣ってスマホでも弄ろうかと思った時期もあった。

だが、開けてびっくり。
ツイッターフェイスブックもなければグノシーもインストールしていない僕は、スマホを起動したところで何もすることがなかったのだった。


その点、音楽はいい。
まるで興味のなかった曲も知らなかったアーティストも知れて、時間を潰すといういわばマイナスをゼロにするだけの極めて枝葉末節じみた意義をもって正当化することができる。

よってこの行為に味を占めた僕は、それ以降音楽を聴いて過ごすことが多くなった。


まぁSNSをやってなかろうと、スマホでネット回遊をすればそれなりに時間をつぶせることは知っている。
実際イヤホンを持っていない外出先などでは、普段気にしたことすらないような事象にまで手を伸ばして検索してはその結果をじぃと眺めることも少なくない。

けれどもそれ以上に僕は知っている。

電車内でスマホをいじるのは怖い。何が怖いかというと、言わずもがな通信量、否、通信料である。


僕のスマホauとキャリア契約をしていて、血も涙もないその名も「ピタットプラン」というプランに入っている。
このプランはデータ通信を使った分だけ支払うというもので、通信量に応じて毎月の請求額が異なってくる。

なので一見お得に思われるかもしれないが、このプランは通信量の上限がない。
だから前月に3GB使っていた人が誤って翌月に8GBほど使ってしまったら、その月の請求額はとんでもない高額になってしまうのである。

まだプランも少なかった数年前のスマホなら、通信量に上限があり、それを超過しそうになると通信制限という愛の鞭が制裁として加わっていたため上限オーバーという事態には至らなかった。

しかしピタットプランでは上限の設定がないため、そこを自制しなければならない。
僕は毎日そんなストレスと戦い続けているのである。

だから電車内であまりスマホを使ってデータ通信を使いたくない。
無駄なお金を払いたくないという僕のもったいない精神がはたらいてしまうのだ。


「もったいない」で思い出したが、カステラはどうして一番美味しい部分を食べさせてはくれないのだろうか。

いや、皆さん一度くらいはカステラを食べたことがあると思うけど、あれってほら。食べるときに紙のシートみたいなのを剥がさないといけないじゃないですか。
たまにシートの存在に気付かずに、食べた後になって「やべっ、紙食べちゃったよ!」となるけど。


あのシートは大概のばあいカステラの焦げ目の表面に付着していて、そのベールに覆われた砂糖の焦げた匂いと見た目が食欲を誘う。

たまにザラメや金箔がついていたりして、「あらやだ美味しそう!」なんて興奮した声の飛び交う中、いざその紙をめくると。


「あれ?」


もうね。困るわけですよ。
あの茶色の美味しそうな焦げ目が全部シートに付着して、決して僕らの口には届かないのである。

そう。
あのシートを舐めるという行為は、たとえばショートケーキのフイルムとかうまい棒の包装の内側とかヨーグルトの蓋とかも同様に、精神異常に陥るほどの「舐めたい!」という衝動を湧きたてつつも世間体的にアウト判定が下ってしまう。

ひとりでこっそり食べるときならいいんだけど、でもひとりでケーキなんてむなしすぎるし、なおもその貧乏性を露呈させる行為によって自己の尊厳が崩壊することは必至。

家族など身内で甘味を囲む場合ならいざ知らず、こういったケースがおきるたびに僕の心は惑わされてしまうのである。

 

「惑わされる」で思い出したが、先日とあるスマホの無料アプリを使っていたところ、毎度のごとくポップアップ広告が出現したので即座に×印を探そうとしたのだが、しかしそれは広告ではなくアプリのレビューを依頼するものであった。

まだそのアプリを使い始めたばかりで使用感もへったくれもない時期だったので、まぁ何年使おうとレビューしたことなどないんだけど、一時退避用の「あとで評価する」みたいなボタンを押しておこうと思いそれを選ぼうとしたのだが、しかしそこにあったのは

「このアプリを評価する」
「あとで」
「後にする」

の3つの選択肢であった。

当初は何も考えずに3つ目の「後にする」を問答無用で押そうとしたのだが、その直前で僕の右人差し指が停止した。

2つ目と3つ目はいったい何が違うのだろうか。
もともとそのアプリの提供元は外資系の会社のものというか、おそらく英語版アプリを日本語訳しただけのものと考えられるので、他にもいくつか日本語がおかしいと感じる点がないわけではなかった。

しかしこのポップアップも直訳しただけのものだとしたら、元の表示は何だったのだろうか。
この2つ目と3つ目の間には、僕ら日本人が知りえない大きな溝があったのではないだろうか。

なんてことを思って当惑したんだけど、結局分からないものを考えても仕方ないと思い諦めた。
まだまだ世界には知らないことが多いのだと教えてもらったような気がした。


「知らないこと」で思い出したが、DA PUMPの「U.S.A」ってカバー曲だったんだね。

僕も流行り始めるまで知らなかったんだけど、この前とある知り合いとこの曲について語り合ったら存外にこの事実が知られていないことが分かったので一応載せておく。

www.youtube.com


「知られていない」で思い出したが、僕は数年前インディーズのバンドを発掘する作業にはまっていた時期があって、その中で目をつけたグループがついにメジャーデビューを果たすそうなので皆さんに知っていただきたく思う。

 

 


・・・というのはもう面倒くさくなっちゃったのでまた次の記事で。