お金がほしい

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2020年10月をもって更新をストップします。永らくのご愛読ありがとうございました。

たぶん、電車内通話は罪でない

田舎ですら、毎日のように電車に乗っていると様々なドラマと対面する。
全身からおしっこの匂いを漂わせている男性とか、アニソンを熱唱し始める小学生とか、地べたに座り込んでパンツが見えそうになっている女子高生とか。

きっと東京ではこれ以上にバラエティに富んだ人間ドラマが見られるのだろうな、なんて思いつつ、はてさて本日もひとつドラマと対面を果たした。


まぁドラマといっても、色々な意味でキツそうなおば様が、20代の女性が電車内で電話しているときに横から「電車に乗っているんですから電話はやめてくださるかしら?」と廓言葉調で、しかも割と大きな声で発していた現場に立ち会ってしまっただけなんだけど。
その20代女性はコクリとうなずいてからすぐに電話を切り、マダムっぽいおば様はしたり顔で正面に向き返るという。


例によって僕は「うわー出たー! 自分に酔ってる系BBA~」などと心中でニヤついていたのだけど、しかし立ち返りよく考えてみると、どうして電車内の通話は咎められるのだろうか。


という理由はすぐに分かる。
電話になるとやたら声がでかくなるからだ。僕の母がそう。祖母もそう。ついでに姉の友達もそう。

どうして電話になると声がでかくなるかというのは、まぁ単純に相手の声が聞こえないからでしょうね。
電車が動いている最中は当然ながら騒音に囲まれているわけだから、相手の声も聞こえない。

電話というのは面白いもので、相手の声が大きいとつられてこちらの声まで大きくなってしまうから、電車内で通話しようとすると必然的に大きな声になってしまう。


だから、公共の場において大声で話すのはマナー違反だよね、と。
人目も憚らずに傲然と立ち振る舞うのはよくないよね、と。


多分そういうところから、電車内通話をマナー違反として取り上げる動きが出たのだと思う。

ここまですべて推論なので本来がどうなのか分からないけれど、だからきっと小さな声で通話するのは問題ないんだよね。

ただ大きい声と小さい声の定義なんてないし、そんなの相対的にしか判断できないから、ならば「電車内における通話」と一括りにして、それをマナー違反として取り締まるようにすれば万事解決だよね、と。

おそらくそういうことだと思う。

 

結局のところ、マナーはマナーでしかないのだ。
法律で罰せられないため、公序良俗に反しないことというのは人間性とかモラルに関わる非常に繊細な問題だと思う。

だからなんとなく、これは誰の迷惑にもなっていないよねとか、これをしたら周りに迷惑だよね、とか、そういう日本人お得意の空気の読み取りや気持ちの斟酌から社会的秩序というのは形成されてゆく。


ちなみにこの理論でいくと、電車内における屁の発射は完全にモラル違反なので僕は人間失格です。本当にごめんなさい。

 

しかし、だとすれば今回の件。
20代の女性はたしかに電車内で通話をしていたけれど、ものすごく小さい声だったし(近くにいたが、おば様が注意するまで気付かなかった)、なんだったらおば様の注意する声のほうがうるさくて、しかもそのセリフで周囲を不快にしたためモラル被害は圧倒的に大きい。

そもそも電車内で同僚と大きな声でくだを巻いている中年サラリーマンが何も咎められず、小さな声で通話している女性がどうして注意される必要があるのか。

ここに関しての疑問が正直拭いきれないままでいる。

 


たしかに「電車内における通話はマナー違反」という事実だけを楯にして正義を執行したおば様は、社会的には間違ったことはしていないのだと思う。

それにこの世の中、見ず知らずの他人に注意するという行為は非常にリスキーなので、その蛮勇ともいえる心の余裕には拍手喝采を送りたい。


けれどもちょいと思考を放棄してやいませんかね?と。
電話している人を見かけたら見境なく文句をつける行為というのは、正直言って周囲からはただのアホにしか映らない。

 

正論というのは、時と場合によって正しくないことだってあるのだ。
正論が環境を、空気を、そして人間をダメにしてゆく。


きっと正論だけが罷り通るような職場があったとしたら、数年後には間違いなく廃業していることだろう。


それが聞いてくれよ僕のバイト先にもいるんだよ。
お局的な立ち位置の女性で、たしかに言っていることと注意する内容は正しいことばかりなんだけど、でも違うでしょうよ、と。


正義を振りかざすだけでは誰もあなたに付いていかないし、組織として成り立たないでしょうよ、と。

その人以外は全員気付いていて、その人だけが気付いないことにすら気付いていない。


どうやらこの女性の悪評というか情報は本社のほうに通達されているらしく、近々重い処分を受けるそうだ。
癌や腫瘍が分かれば切開してでも取り除くというのは、まぁ当然の措置でしょう。

 

とまぁ後半はただの個人的な悪口になってしまったが、とにかくモラルやルールの意味を考えずに表層だけ掬って知った気になるのは非常に浅はかだと思う。

けれども例のおば様のような人のほうがきっと人生楽しいのだろうし、だから心身ともに健やかに長生きするのだろう。

 

だからこそ、絶対的な正しさなんてこの世の中には存在しないんだよなぁとも思ってしまうのだ。