目に見える空気
空気というものは目に見えない。
だから自ら察して読まなければならないし、見えないからこそとても伝播しやすい。
・・・なんてことをしばし聞くことがあるけれども、実際そうだろうか。
日常生活において空気は本当に無色透明で、自ら進んで読もうとしなければ気付かないものだろうか。
僕はこれを否定したい。
たとえば「おはようございまーす」と職場に入った瞬間、その場の雰囲気が手に取るようにわかる、なんて経験は皆さんもないだろうか。
なんだか今日は職場全体が殺伐としているぞ!とか、とっても平穏な空気が流れているではないか!とか。
入った瞬間空気が死んでいるのってマジでやめてほしい。
ただでさえ仕事なんてやる気ないのに、環境まで最悪なら尚更やる気なんてどこか飛んでいってしまう。
そういうことが多いからなのでしょうね。
僕のバイト先はとても人の入れ替わりが激しいんだけど、昨日2日ぶりにバイトに行ってみたら3人の新人さんが全員辞めていました。ってね。
驚きを通り越して思わず笑ってしまったのだが、まぁ今それはいいとして。
これも空気が見えるか見えないか、という話の延長になるのだが、「とあるシチュエーションにおいて皆さんがどのように対応しているのか」というのを詳しく聞いてみたい。そして今後の参考にしたい。
20年以上の人生を歩んできた中で、自分の中での葛藤に決着がついたものや気にしなくなったことは山ほどあれど、いまだに結論が出せずに鬱積したもののうちの1つ。いわば個人的な永遠のテーマ。
それがこれ。
ハッピーバースデイディア............○○ちゃ~~ん←グダグダ
これって何が正解なの?どうするのが正しいの?誰か教えてくれぇ!!
♪ハッピーバースデートゥーユー ハッピーバースデートゥーユー ハッピーバースデーディア♪まではみんな声も揃うし、手拍子も完璧。
祝う側は主役を引き立てるように笑顔で歌い、祝われる側は驚きに目を潤ませ、手で口を覆いながら「うそーっ!?」とか言っちゃう。
いつの間に手配したのかどこからともなくケーキが運ばれてきて、気付いたときには電気のスイッチもオフになっている。
周囲の関係ない人もその楽しげな雰囲気に乗っかって手拍子をはじめ、優しい笑みをもって主役を全力で祝う引き立て役になる。
そうして誕生日を祝う空気がその空間全体を支配し、楽しげで優しげな笑顔が満ち満ちる中、しかし人生とは残酷である。
あのフレーズが否応無しにやってくる。
♪ハッピーバースデーディア......(お父さ~ん)(お兄ちゃ~ん)(ひろしく~ん)
もうね、全員違う!
どうして!どうしてケーキのサプライズ登場は綿密に計画を練るのに、この歌で歌う名前を統一しようという話し合いは為されないのか!
あれだけ「当人にはバラさないように!」ってお店側とも連絡を取って、サプライズが敢行されるまでの間はシラを切り通し続けるような演技力も有しているのに!
呼び方も手拍子もリズムも全部違う!
名前でグダグダになった後、ラストで「ハッピーバースデイトゥーユーーー!!」と大合唱して大団円みたいな、終わりよければ全て良しみたいなさぁ。
「ヒューヒュー!」とか「イェーーイ!」とか口々に盛り上げるのはいいんだけど、僕は騙されない。
誕生日ケーキ関連でグダグダになっていいのは、ろうそくの火を消すシーンと切り分けるところだけなので、他は完璧に執り行わなければいけないでしょうに。
おそらくさ、これまで人生を歩んできて最低でも1回は祝う側に立ったことがある人が多いでしょう。
ならばあの瞬間にグダグダになるのは必至であると、そう分かっているはずでしょ?
なのにどうして誰も改善しようとしないのか。
グダグダになって笑って誤魔化しているだけの人生でいいのか。
オゥ...怖っ
そもそものメロディーが悪いという指摘もあろう。
だいたい英語が苦手な我々日本人が、日常的に経験する誰かの誕生日において完全英詩の歌を急に歌えというほうが無理な相談である。
なんで誕生日の歌(日本語バージョン)がないんだよ!
一年に一回しかないお正月の歌はあるのに、誕生日という超メジャーイベントの歌がないなんておかしい。
と思って調べたらありました。
・・・マジかよ。絵のセンスはともかく、♪ディア○○~♪の部分完全消去じゃん。
日本人はこの難問に匙を投げたんですね。
僕は戦い続けますよ。
いつの日か、正解が導かれるその日まで・・・