お金がほしい

お金がほしい

2020年10月をもって更新をストップします。永らくのご愛読ありがとうございました。

喧伝!私の祭りの参加方法

こう見えて僕は祭りが嫌いである。あ、見えないか。

古来より祭りというのは五穀豊穣を神仏に祈願したり、あるいは豊作を感謝したり、北島三郎が歌ったりするものであるが、もはや今となってはそんな意義などどこかに打ち捨てられ、参加することが目的と化し、とりあえずビールさえ飲めればいいというどんちゃん騒ぎへと姿を変貌させていった。

そんな形骸化の進んだ祭りは我が町でも毎年10月上~中旬に開催され、地元民が集まり大いに盛り上がる。
僕の住む町は新興住宅街とはいえ、所詮はただの田舎なので祭りが年に一度のビッグイベントといっても差し支えないだろう。

ハロウィンなんて蚊帳の外。
正月は町中から住民が姿を消し、せいぜいこのあたりで今もなお伝統が失われずにおこなわれているのは祭りと豆まきくらいなものである。


だから小学生の頃は、祭りが開催される週の金曜日なんて学校に向かう道すがら終始浮き足立ち、休み時間は祭りの話題で持ちきりで、学校が終わると一目散に走って帰宅し前夜祭に備えたものである。

そう、あのころは本当に祭りが好きだった。


なぜかって、そりゃお菓子とジュースがもらえるからに決まっている。

僅少なる小遣いを50円のくじ引きと100円のカップラーメンに費やし、何も考えることなく屋台の紐を掴み、上り坂ではアホみたいに本気を出してその紐を引っ張っていた。
僕が、この僕こそが屋台を引っ張っているのだと、そんな盛大な勘違いとナルシズムを抱えながら、ガヤガヤ同級生と駄弁りながら楽しい時間を過ごしたものだった。


しかし中学生になり、多くの地元学生と道を別ち友達となんとなく疎遠になった僕は、祭りへの憧憬を内に秘めたまま外に出るのを憚るようになった。
それでも中学1年のころは小学校時代の同級生に呼び出され、嬉々として祭りに参加したものであるが、次第に年を重ねると昔日の旧友など気に留めなくなるものだ。

誰にも招待されず、こちらからもコンタクトを取らず。
次第に祭りと距離をとることが増え、するといつしか太鼓の音と笛の音に対して憎悪の念を抱くまでに変わってしまっていた。


祭りなんぞのどこが面白い、みんなで馬鹿騒ぎして何が楽しい、屋台を引き回して何の意味がある、と。


普段はノリの悪い友達が、祭りのときだけ脳みそ空洞のリア充になるのが気に食わなかった。
いつもは落ち着いた雰囲気の子が、祭りのときだけ普通に未成年飲酒をしているのも気に食わなかった。

そして何より、そんな楽しげな空気に馴染めないような、冷めた自分が嫌いだった。

 

それからおよそ5年、僕は祭りに一切顔を出すことなく過ごしてきた。
小学校の頃の同級生はそれぞれの道に進み、祭りのために帰省するような狂人もいなかったから、ひとりで参加するのもアホらしいと、毎年その週末は自分にとって煩いだけのイベントになった。

そうしているうちに時代の流れは伝統行事をも蝕み、近隣住民のクレームによって深夜21時以降は絶対に騒音を立てないことが規則として追加された。
またある年は飲酒の問題で祭典委員会が警察に摘発されそうになったり、他地域との手木合わせを撤廃したことに怒った酔っ払いが暴行事件を起こしたりと、開催そのものが危ぶまれる年すらあった。


そういったニュースが風の噂で耳に入るたび祭りへの情熱が再燃する余地もないことを悟り、地元への情愛も次第に薄れていった。

 

それでも祭りというのは毎年開催される。
そこに人間が住み着く限り、神社が、お寺がある限り、伝統というのはなくならない。なくならないから伝統というのだ。

そして神仏の関わる行事には、必ずといっていいほど金銭が絡んでくる。


大老会に出席する場合は食事代として5000円を徴収、不参加の場合も2000円の徴収などとアホなことを抜かした紙切れが回覧板で送られてくる。
また、対象地域に住んでいるだけで参加不参加を問わずひと家庭につき○○円分の花を買ってもらうなどと言って自治会長が当たり前のように集金に来るし、うちもご他聞に漏れず毎年当たり前のようにお金を払っていた。


このことに対し、ここ数年僕は苛立ちを覚えていた。

どうしてあんな行事のために金を払わねばならんのか。
本来参加強制力がないはずの祭典に、なぜ参加者と同等の負担を強いられるのか。
もはや意味を失ってしまった祭りの、それも伝統に縋る老人の酒代を、どうしてうちが出してやらねばならないのか。

 


この疑問を抱えた僕は2年前、ついに動き出した。
しかし何も考えずに動いたのではない。僕にはきちんとした信念があった。

「お金を取られるのは地元住民として仕方ない。だがどうせ取られるなら、こちらがそれ以上のものを奪い取ってやるまでだ」


そう。屋台引き回しには休憩場所がいくつかあり、その休憩スポットのうち2箇所が我が家の近くにある。
休憩場所では毎回ビールやハイボール、酎ハイなどの缶やおつまみが配られ、参加者が思い思いにそれらを手に取っては胃に流し込む。

おじさんたちはビールを燃料として次の休憩場所まで頑張り、そこで新たなエネルギーを補給する。その循環である。


その休憩スポットに自宅でボーッとしていた僕が悪びれることなく紛れ込み、酒類を奪って自宅に持ち帰るという荒業を、僕ははたと思いついてしまったのだった。


それからというもの、毎年の祭が楽しみで仕方ない。
僕が祭に参加するのは休憩の数十分のみだが、コンビニで買えば一本100円近くする缶ビールを数本手にとって家に持ち帰る感覚はたまらなく愛おしい。

罪悪感など全くない。我が家は祭典参加費を事前にきちんと払っているので、当然休憩場所で酒をもらう権利もおつまみをかっさらう権利も何人にも奪われはしないのだ。


特に今年は缶ビール30本にお茶のペットボトル10本という新記録を樹立してしまったので、来年以降またこの記録を更新できるよう精進していきたい。

と言いたいところだが、満面の笑みで自宅に缶を持ち帰ると、母が冷めた顔でこう言うのだ。

「あんた・・・そんなに貰ってどうするの?」

どうするのと訊かれれば、そりゃ飲むに決まってるだろとしか答えられないわけだが、自宅の玄関に堆く積まれた缶ビールの山を見て、さすがの僕も唖然とした。

「いや、これで最後にするからさ・・・」

いつの間にか休憩場所でビールを貰うという行為は、何かの執念に突き動かされていたように僕の心を支配していた。
思い返せば、取り憑かれたようにビールとおつまみをズボンのポケットにつっこみ、一度に缶を8本持って帰ったこともあった。

そんな行為を続けていれば、さすがに人口密度が高いといえども誰かに目をつけられてもおかしくない。
二十歳をこえてまで、悪だくみを咎められる子供のような惨めな思いはしたくない。

それに酔った成人男性というのは気が強くなっているし、何かあったとき力比べでは絶対に勝てない。殴られでもしたら顎とか外れちゃう。こわい。


なので母の呆れ顔としわをこれ以上増やさないためにも、この攻撃にすべてを賭ける!!と言わんばかりに今年は19時代にラストアタックを敢行した。
本当は20時代にラストチャンスがあったのだが、そこは血の涙を流して見逃すことにした。


そのラストアタックの最中、僕は先例どおりビールを選りおつまみにも手を伸ばしていた。
これであと一年はおあずけか、などと思うと自然と肩に力が入る。


けれどもそのとき。

ポンッと右肩に不自然な重圧を覚え、僕は慄然とする。

一瞬何が起きたのか分からなかったが、どうやら僕の右肩に誰かの手が乗せられているらしい。


怯じる気持ちを隠しつつ振りかえると、なんとそこには強面の男性が鷹のような鋭い目をこちらに向けて立っていた。

全身が粟立つのを感じた。
僕の本能が逃げろ!と言っていた。
しかし同時に体がガチガチに硬直して動けないままでいた。

 

フリーズした脳みそで僕は考える。

ついに大量の抱え込み案件がバレてしまったか。
しかもよりによってヤバそうなやつに目をつけられてしまった。

コイツはやばい。学生時代一人の女を取り合って殴り合いの喧嘩をしていそうな顔。
だけど今や二児の親。昔はヤンチャしていたけど、現在は妻の頑張りもあってようやく親としての自覚も芽生え始め、愛娘を水族館に連れていくまでになった・・・みたいな顔。

要約すると、もう勝てん。
終わった。小賢しいコソ泥みたいな真似をしていただけで、しかも楽しいはずの祭りで、結局僕は酒の肴として吊るし上げられ全身火炙りの刑に処されるのだ。

かあさん。いままでありがとう。そしてごめんなさい。
僕はビールを貰いすぎた罪を一生贖うためだけに今後生きてゆきます。

とうさん。罪な息子をどうか許しておくれ。
もともとあなたが「お酒もらって採算あわせよう」などと言うものだから僕も躍起になって缶ビールの回収に勤しんだわけだけど、でもこうなってしまったら仕方ないよね。

今家にある缶ビールと一緒に、僕への憎しみも飲み干してくれると嬉しいな。


そしてこのブログの読者様方。
数ヶ月前まで1日のアクセス数が10とかだったけど、今では平均60近くになったよ。
愛してくれて、ありがとう!!!!


「お前・・・」

走馬灯のように色々な想いが駆け巡り、そして覚悟を決めた僕。
そんな僕に発せられたおっさんの言葉は、意外なものであった。

 

「お前、年いくつだ?」

 

不肖22歳。
人生万事塞翁が馬というが、まさかこの年になって未成年と間違えられるとは思わなかった。


でも若く見られるというのは悪いことばかりでもないだろう。
まだお肌ピッチピチの高校生と遜色ないという評価をしてもらったことくらいは、せめて神様に感謝しなくてはな。


そう思えた今年の祭だった。