お金がほしい

お金がほしい

2020年10月をもって更新をストップします。永らくのご愛読ありがとうございました。

この涙はきっと、煙が目にしみただけ。

もう1ヶ月以上前のことになるが、今年のゴールデンウィーク、親戚10人程度が一堂に会してバーベキューをおこなった。

僕の親戚は東京に住んでいるので、その最寄りの公園にあるバーベキュー会場を予約してくれていたらしく現地集合であった。


何度も訪れたことのある公園ではあるが、そこでバーベキューをするのは初めてだったのでどんなものかと思っていたところ、僕たちには四方をトラロープで囲まれた一区画あたり10畳くらいのスペースが割り当てられていた。
都会ともなると、ましてや予約必須ともあれば桜の花見よろしく皆さん本気なのであろう。本気と書いてガチと読む。意味まったく同じじゃねぇかよ。

ともかく、こうして大きめの杭で仕切られているわけだから隣国との領土侵犯問題は起こりえないはずだ。
あと問題になるとすれば、せいぜい風向きによる煙や騒音などの倫理的な側面くらいなものか。


いずれにせよ僕はあまりバーベキューが好きではないので、じっとしていようと心に決めていた。

別にバーベキュー好きの方を否定するつもりはないが、バーベキューの片付けって1年間放置した部屋の片付けに匹敵するくらいの大変さだと思うんだよね。
やっぱり飯を食うなら勝手にサーブされて勝手に回収されて準備から片づけから一切手出ししないのが一番いい。ニート最高。

ま、何もしなくても片付けだけは手伝わされるのがいつものオチなんだけれども。


ともあれこうして大所帯のバーベキューがスタートした。

バーベキューとか飯ごうとか、いわゆる自炊形式を採用した場合、開始10分もすればそれぞれの役割がおのずと決まってくる。
ある人は食材を用意し、ある人は火を起こして食材を焼き、ある人は木炭の量や火の加減を見るべくうちわ片手に待機する・・・などなど。

だが、10人ともなると必ず職にあぶれる人が出てくる。
グループワークとか集団授業とかにおいて自分だけ何もしていないとけっこう焦るんだけど、そういうのは実際の仕事量に対して人数が多すぎるのがいけない。

中小企業さん、こちらは人員余ってますよ。

だからもう僕は端から座っているだけにしようと心に決めていた。
自ら進んでニートを希望。でも「私は黒子に徹します」って言い換えるとなんかカッコいいでしょ。


というわけでおじさんおばさんが汗水たらしながら必死に肉を焼いている傍ら、僕は手の空いている人とかわるがわる世間話をしていた。

するとここで我が姉が「音楽をかけたくない?」とか急に言い出す。
いいえ、かけたくないです。

これ姉のよくない癖。すぐに音楽かけたがる。
早朝の車の中でも両親が夫婦喧嘩しているそばでもお構いなしに3代目J Soul Brothers。ランニングマンとかやっている場合ではない。

とはいえ彼女もいまや20代中盤に差し掛かり、さすがにLDH系は卒業したとのこと。それはなにより。

でも姉はどういうわけか僕のほうを向いて「なんでもいいからテキトーに音楽流してよ」と言ってスピーカーを手渡した。んな無茶な。


しかし僕はできる子。
姉が、そしてこの場にいる全員が望んでいる音楽とは何か。忖度こそ僕の得意技であるので、それを読み取るのは容易いものであった。

僕はおもむろにアーティスト名を検索し、そして再生ボタンを押した。

流れてきたのは、ボビー・コールドウェルの珠玉のバラード「Heart of Mine」である。激シブなAORの極上の逸品。周囲からは当然賞賛の声が飛んでくると確信していた。

だが飛んできたのは姉の怒号。
「違うわ! もっと激しめのやつ!」

姉はぜんぜん変わっていなかった。
でも父だけはご満悦の様子だった。

仕方ないので姉に指示を仰ぐと、「ほら、あのブルーノ・マーズの車のCMのやつとか」とか言われたので「あれはマーク・ロンソンの曲なんだけどなぁ」なんて思いつつも「Uptown Funk」を流した。

するとここで、思わぬ異変が起きてしまった。

Uptown Funkのティリッティッというイントロのカッティングが周囲に広がるやいなや、親戚の1人から「おっ!?」という声があがった。
なんでも同席していた中学生女子のいとこが、昨年この曲をバックに学校でダンスを披露した経験があったそうなのだ。それを憶えていた彼女の母親、まぁつまり僕の叔母に当たる人がイントロクイズに強かったらしい。

この時点でビール1缶程度が胃に流し込まれていた大人たちは、理性を保ちながらも「えー、ダンス見せて見せて!」とその彼女に請うた。

僕の一番嫌いなタイプの絡みである。
それが僕の選曲(本当は姉の選曲)によって実現されてしまったことに強い罪悪感を覚えつつ、心の中で「すまん」と言いながらシラを切りとおした。
僕は見て見ぬフリをしていた。

そうです大人はみんな汚いんです。

当然ながら未成年のいとこは酒ではなくジュースしか飲んでいないうえ、年頃の女の子が衆人環視の中でダンスを披露するというのは過剰すぎるストレスとなる。もはやパワハラ

結局いとこが結論を有耶無耶にしているうちに、4分30秒の曲は終わりを迎えた。

彼女に群がっていた大人たちも、「なんだ、つまんないの」とか言いながらそそくさと席に戻っていった。

僕は内心ホッとしながらこれ以上の被害者を出さぬよう、そのような無茶振りをする人間が絶対に知らないであろう曲を流し続けた。

 

そして刻一刻と時間は過ぎ、例の件から1時間が経過していた。
大人たちはいい感じにできあがり、心なしか日常会話のボリュームがでかくなっている気がした。

僕はいつの間にかDJのような役回りになり、ただひたすら音楽をセレクトしては流し続けていた。


しかし、ここに来て無慈悲な天の声が降り注ぐことになる。
「ねぇ、またさっきのブルーノ・マーズのやつかけてよ」
姉の声だった。

姉はシラフでも比較的テンションの高い人間なので、社会人になって落ち着いたとはいえ僕とは真反対の性格をしている。
なので僕の力ではその勅命には決して逆らえない。

僕は心の中で涙を流しながら、再生ボタンを押した。

クラップ音とスキャット、それに遅れて乾いたギター音が飛び込んでくる。
楽しいはずの曲調が、その当時の僕にはとても悲しく響いた。


そのあとの流れはもう言うまでもあるまい。
酔った大人を止めることなど誰にもできない。

おまけにそれが複数人ともなればなおのこと。
もういとこに逆らう余地は残されていなかった。

とはいえ幸いなことにそのいとこも活発で明け透けな性格をしているので、恥ずかしいとは言いつつもしっかりと己の役割を果たした。
あんた偉いよかっこいいよ。


だが、これで大人たちの脳内には完全に「ダンス」というイメージがこびり付いてしまった。
酔った大人の勢いは止められない。

「そういえばお前も今度ダンスの発表会あるんだろ? 何踊るんだよ? 言ってみ、ほれ」

恐喝である。
しかもこちらは内気な小学生女子に向かっての発言である。

母親というのはこういうときに強気に出られるのがいい。
まだくちばしの黄色い娘も、それに答えざるを得ない。


こうしてTWICEの「TT」やら「Candy Pop」やらが流れることになる。
僕の瞳に映るのは嫌がる小学生女子に無理やりダンスを強要するその大人たちの姿。ああいう大人にはなりたくないな、と思いつつひたすら音楽を流し続ける。サイテーですね。


でも本当に想定外だったのはここからだった。
まだ彼女がダンスを渋っているとき、それまで笑いながら経緯を見守っていた僕の父がゆっくりと腰を上げた。

そして何を思ったか、嫌がる彼女のほうへ向かい、並ぶようにして横に立った。

―――その顔は赤く、見るからに完全にできあがっていた。

なんと父は、初めて聴くであろうTWICEの曲に合わせ、いきなり前衛的な踊りを開始したのだ。

母が、姉が、そして僕が、その一瞬のうちに驚きに顔をゆがめた。

父も50を越え、白髪が目立ってきた。
世間から見ればただのおじさんである。

そのおじさんが、まだお天道様が高い時分から慣れないダンスをしている。

さすがに周囲も「えっ!?」と固まった・・・ように思われたのだが、酔っ払いの適応能力は異常に高い。
たちまち周りは笑いに包まれ、いとこの母親もそれに倣って体躯をくねらせた。

それを見た小学生のいとこも、恥ずかしがりながらではあるが少しずつダンスを始め、取り巻きたる他の酔っ払いはリズムに合わせて手拍子なんかをしていた。


だが、そんな楽しげな雰囲気の中でひとりだけ浮いている者がいた。どう考えても僕である。

僕は未だに、父が何の臆面もなく謎のダンスを始めたことへの抵抗感を拭えないでいた。

父親というのは、息子にとってみれば威厳の権化である。
時に厳しく時に優しく、一家の大黒柱として僕たち家族を支える存在。

少なくとも僕はそう認識していた。


だが、今の父親はなんだろうか。
平生の仏頂面は消えアルコールにより筋繊維が緩んだ表情で、半世紀ほど歳の離れた姪と一緒にダンスをする酔っ払いのおじさん。

ひとりの息子として、その光景を認めるのは堪え難いものがあった。


その後同席していた父の弟(僕から見て叔父にあたる)に「あのような兄の姿を見ていかがでしたか」と訊ねるも「場を盛り上げているんだからいいんじゃない?」となんと寛大なこと。

こういうことがあるから僕はバーベキューが好きになれないのかもなぁなんて思ったりしてしまった。

 

 

今週のお題「おとうさん」