お金がほしい

お金がほしい

2020年10月をもって更新をストップします。永らくのご愛読ありがとうございました。

さらば遠い遠い青春の日々よ

昨日の帰りに駅構内を歩いていると、透明なガラスの向こうでスタバのコーヒーを間にしながら高校生カップルがいちゃついている光景が目に入った。

そのあまりに傍若無人な愛を育む2人を見て、まぁ当然のことながら心の中では業を煮やして「地獄に堕ちろ」とか願っておいたんだけども、それはさておき最近はそういう姿を見るともっぱら「あぁ、負けたなぁ」と落胆することのほうが多い気がする。


まぁ、こんなブログを書いている時点で大方想像できてしまうのであろうことが何よりも悲しいのだが、ともかく僕には「青春」と呼べるような出来事は一切起こらなかった。

転んだ先で女子生徒の胸を鷲づかみにしてしまうこともなければ、「遅刻遅刻!」とパンを咥えて学校に向かう最中、曲がり角で運命の出会いを果たすこともない。

別に、だからといって決して何もかもがつまらなかったわけじゃない。
僕の学生生活は、ただ「モテたい」ということだけを考え、そして絶望し落胆するような暗澹たる日々とは世界が違う。

ってか朝といったら米だろフツー。熱々の緑茶にご飯味噌汁納豆に焼き鮭。
日本人なら米を食え、米を。


米を食ってもアメリカには食われる日本人・・・なーんちって。


とまぁどの角度から見ても残念な僕であることは確定事項として、分かったよ。潔く負けを認めようじゃないか。

どうぞどうぞ、公衆の面前でも憚らずにチュッチュなさってください。
クラゲみたいな艶やかな手つきで相手の四肢を掌握してるがいい。

んでもって数ヶ月で別れちまえバーーーカ。

 

・・・なんて僻みばかり書いていてもただただ虚しいだけなので、ここらでちょっと自慢話を書いてみる。


世の中には「蓼食う虫も好き好き」とかいう素敵な文言もあるもので、人の心は千差万別、三者三様に好きも嫌いも楽しいも悲しいも大いに異なってくるものだ。

だからきっと偶然も必然も、運命や定めだって目には見えないけど存在する。少なくとも人間ひとりひとりが、そう信じる限りは。


要は、僕にもその奇跡とやらが起きたことがあったのだ。
4択問題で天に運を任せても一度たりとも微笑んでもらった例のなかった、あの僕でさえも。

 

単刀直入に言おう。
僕は高校1年のとき、女子に告白されたことがある。

 

ちなみにここで「女子に」と敢えて書いた理由は、告白されたとだけ書いておいて、最後に「実は男子からでしたー」とかいうクソつまんないオチを読者のみなさんに予想されたくなかったから。
そして一寸の虫にも五分の魂。僕だってちゃんと異性に好かれるんだぞ、ということを強調しておきたかったという側面も当然ある。

このブログの文面だけを見れば、たしかに人間的に欠落している部分は多いし、読者の皆さんが「きっとコイツとは友達になれないだろうな」という感情を抱くのも至極当然。
僕がもしネットサーフィン中にこのブログを偶然見つけてしまったとしたら、きっと心の中で「世の中にはこんな可哀想なやつもいるんだなぁ」という同情こそすれ、決して「この書き手の人とは仲良くなれそう」なんて思わない。というか、思えない。


ていうか、もうブログのタイトル名からしてアウトだよね。なんだよ「お金がほしい」って。

「お金を稼ぎたい」とか「お金を増やしたい」という能動的な意思ではなく、「ボーッとしてたら急に貯金残高増えてないかなぁ」とか「道端で偶然拾った宝くじで一等を当てたい」みたいな怠惰で薄汚い邪欲が滲み出ている。

そういう幸運っていうのは、映画「チャーリーとチョコレート工場」の主人公みたいな人間か、あるいはお金が有り余りすぎて困っている人のもとにしか舞い込んでこない。
世の中はそういう風にできている。


それでも、そんな僕でも学生時代に一度だけ告白されたことがあるのだ。

信じられないかもしれないが、これは事実。
幻でも白昼夢でもなく、事実として僕史にちゃんと刻まれている。

あ、ちなみに小学校のときはノーカウントね。あれはもう恋愛とか色恋とか、そういうのとはちょっと無縁の世界なので。

あくまで思春期といわれる、中学校あたりの年代からを僕は「学生時代」と、そう呼びたい。

 

まぁそして、僕に告白してくれたその奇特な彼女というのは、それまで一度たりとも異性として見たことがなかったので当時は悩みに悩んだ挙句、ついぞ「ごめんなさい」した。
今となっては僕ごとき人間が相手を振るという、世界的にも珍しい例だったように思う。


でもそのときは本当に真剣に悩んだのだ。
だってまさか僕を好いてくれるような異性がこの世に存在するとは予想だにしていなかったし、そして肝心の告白が休日の朝5時にメールでくるとも思わなかった。


最初にメールを読んだのは、意識があるかないかくらいの、脳みそスイッチを入れたばかりの緩慢とした時間の中。
その日は部活動の大会があったので早起きしなければならず、気だるい体をモソモソと布団からやっとの思いで引きずり出したその直後のことであった。


だから真っ先に浮かんだ感想は「へぇ、あの人がねぇ。・・・ふーん」という、薄すぎるリアクションで幕を開けた。

しかしその後、部活の準備をするうちにだんだんと意識が覚醒してきて、ここでようやく僕は事の重大さに気がついた。


「え、うそ、どうしよう。マジか!・・・えっ、マジか!」
軽くパニックである。

どうしよう!どうしよう!どうしよう!と、その日は割と重要な大会だったがもはや部活のことなんてどうでも良くなっていた。

昨晩まではたしか「明日の大会で先輩が引退するかもしれないなぁ」とか「これからは先輩がいなくても頑張らなくちゃなぁ」とか思っていたような気がするが、それ以上のイベントが起きてしまえば話は別。


でも、正直に言って僕の心は早々に決まっていたのだ。
だって好きでもなんでもない女の子と付き合うって、恋愛経験皆無の脳みそで想像なんてできるはずがない。


いや、世の中の普通がどうなのかは知らないよ?
それこそ彼女をフった後に別の人と話したとき「別に好きじゃなくてもとりあえず付き合っておけば良かったんじゃない?付き合ってみて初めて相手のことを好きになることもあるだろうし、というか世の中のカップルなんて大概そんなモンでしょ」と。

当時この話を聴きながら「お前は恋愛マスターかよ!」と心の中で盛大に突っ込んでいたが、たしかにその考えも一理ある。


僕の知り合いの中でも何組かカップルは存在したが、お互いが両想いで結ばれた例というのは言われてみれば少なかった気がする。

それに「年齢=彼女いない歴」という典型的童貞勲章を剥ぎ取るには、とりあえず付き合ってみるという選択肢も必ずしも失敗と呼べることもなかろう。

付き合うだけ付き合ってデートしてチューしてやることだけやって、そんでもってやっぱり合わないから別れるわーなんて、きっと僕が知らないだけで世の中には腐るほどあるに違いない。

それでその後失恋の歌とか聴いて「え、これヤバい。怖いくらい今の心境にぴったり」とか言ってわんわん泣くんでしょ?意味わかんねぇよ。


でも僕は、当時そんなテキトーなことができなかった。
好きでもない相手と恋愛関係になるなんて、本当に無理だった。

イメージとしては、友達の兄弟に告白されるみたいな感じと思ってくれていい。
「はっ?・・・えっ?・・・はっ?」って、そりゃなっちゃうでしょ?


だから僕は寝起きのボーッとした脳みそをフル回転させ、長文の「ごめんなさいメール」を返信した。

まずはこんな僕を好きになってくれてありがとうの気持ちとか(ホントは思っていない)、あなたにはもっといい相手がいるとか(ホントはそんなこと思っていない)、そんなようなことをズラーッと書いた気がする。

 

いや、そりゃ僕だって「好きではないけど異性として見れる人」とか「顔はタイプじゃないけど一緒にいて楽しいなぁ」という人だったら、告白を受け入れたに違いない。
恋人でも結婚相手でも、100%自分の理想の異性というのはまずもってあり得ないし、そしてそんな人は望んじゃいない。

何かが欠けているからこそ人間らしさというか愛らしさというか、そこを補填しあうことが最善の解だと思うからだ・・・って何語ってんだよ気持ち悪りぃ。


でも僕にだって選択権はある。
僕に告白してくれた彼女というのは、顔は全然悪くないし性格も気が遣えて心優しい素直な人だったが、それでも僕はリジェクトした。

単純に、人間として合わないと判断したと言って差し支えない。

 

そして後日談としては、翌日クラス中の女子がこのことを知っていたのは当たり前。
さらに驚いたのは、僕が彼女に宛てた「ごめんなさいメール」の内容でさえも、知らぬ間にクラス中で共有されていたという事実である。

 


まぁ結果としては、そんな人と付き合わなくて良かったなぁと心からそう思った次第である。
マジで女って怖え。