しりとりにおける派閥争いは終結を迎えないのでいっそ廃止したほうがいいと思うんです
ねぇ、しりとりしよっか
誰かがこう言い出したとき。
それは大概の場合空気が死んでいるときや、悟りを開くレベルで暇すぎるときの最終奥義として登壇すること以外、まずもってありえない。
でもしりとりなんて20ターン目くらいにもなると地味すぎて逆に辛くなってくるし、終わりどころが掴めないのもまた苦痛。
そしてその後は、もういっそずっと黙っていたほうがマシだったわと後悔するほどに、ただただ単語をボソッと呟くだけの精神戦へと突入する。
特に誰かが「ルビー」と言ったあとに「る」が回ってきたときなんて、ただの地獄でしかない。
「る...る...る...んーとねぇ...。ちょっと待ってよ~」とか言いながら機能不全の脳みそを何とかフル回転させ、でもその間「あれ、なんで俺しりとりなんてやってんだろうか」とか、「なんでしりとりごときでこんなに悩まなくてはならんのだ」とか、終いには「る」でこっちに渡しやがった前のヤツを末代に渡って呪ってやるとか思い始めて、余計に空気が悪くなる。
まぁこういうのは大抵の場合しりとりが終わったあとになって「あ、「ルーレット」とか「ルーマニア」とか、色々あったわ」なんて思いつくようなものなんだけど。
そういえば以前こんな記事を書いたが、
しりとりも同様にマジで最初に考えたやつは天才だと思うけど、と同時に「要らんことしやがって」とも思う。
しりとりも一般化しすぎたせいだろうか。最近では訳のわからない暗黙のルールが存在するようになってきた。
それも、個人単位で違うルールという厄介さである。
というのも、皆さんも何となくお分かりいただけると思うのだが、例えば「しりとりの常套句」なるものがあろう。
例えば「しりとり→りんご→ゴリラ」という流れのような、「この単語の次にはコレ!」という認識が結構存在すると思うのだ。
だが、この「ゴリラ→ラッパ」までの流れはいい。
「ラッパ」に至るまでは、全世界が平和に包まれて、誰も傷つかない穏やかな時間が流れる。
しかしこの「ラッパ」を過ぎると突然、世界は殺伐とした空気を張り巡らすことになるのだ。
そう、ここで生まれるのが「あらゆる派閥争い」である。
「パンダ派」と「パセリ派」、そして子どもに大人気の「パンツ派」が熾烈な争いを繰り広げ、そしてどの勢力も一向に道を譲ろうとはしない。
ただ、ここで重要なのは全ての勢力が「3文字」であるという点である。
「しりとり」から始まり、その後「りんご」(3文字)→「ゴリラ」(3文字)→「ラッパ」(3文字)と来ているので、「ここは前に倣って3文字にすべきだろう」という暗黙の了解があるのは事実。
だからここで個性を出そうとして「パプアニューギニア」とか「パッション屋良」とかテキトーなことを口走ってしまうと、次の日からその仲間内で居場所がなくなることは目に見えて明らか。
また、その勢力に巻き込まれまいとて「パン」と答えてエスケープを図っても同じこと。
その翌日には出席簿のリストからあなたの名前が除外されていることでしょう。
だから何といっても、ここは「「パ」で始まる3文字の言葉」という制約の中でそれぞれが知恵を絞って言葉を発しているのである。
そう、だからこそここで論争が生まれる。
お互いに頭を捻って苦心の末練りだした回答であるという理由から、ここだけは絶対に譲ることはできないのだ。
だから普段は温厚な青年も「はぁ? ラッパの次はどう考えてもパセリだろ。「パンダ」とかテメェの脳みそシャンシャンしちゃってんじゃねぇのか?」とか、「おいおい「パセリ」なんて、そんな地味なアイテムを序盤から持ち出さないでくれよ。ここは子どもからお年寄りまで幅広く人気で王道の「パンツ」一択だろ!」という意見同士が正面から激突する。
んでこうした醜い争いの末、結局「しりとりなんてするんじゃなかった」という意見で意気投合するというハッピーエンド。
めでたくなしめでたくなし。
結局、しりとりなんて相当のアホがいない限り「ん」で終わるという結末を迎えることなんてほぼ不可能なのだから、始める前にきちんと終わらせ方を決めておくほうがいいと思うのだ。
お遊びとはいえ、勝負事に変わりはないのだから。
ちなみに、どうでもいいかもしれないけど僕は「パンツ」派です。異論は認めません。