「生きてるだけでまるもうけ」という言葉の重み
「生きてるだけでまるもうけ」という文言がある。
ご存知明石家さんまさんの座右の銘として知られる言葉だが、これが意外なことに若い世代にほとんど浸透していない。
「言葉は聞いたことがあるけど・・・」と回答する若者が大半で、誰がどのような思いで発した言葉なのかを知らない層が多いことが警視庁の調査で明らかになった。
・・・嘘です。
独自調査です。
まぁ僕みたいなちんちくりんが10代~20代を総じて「若者」と表現するのは違うような気もするのだが、でも本当に「知らない」って答える人が多いのは事実。
少なくとも僕の周りでは、というより僕が関わってきた10代の巷間ではこの認識レベルが低いように感じた。
ただ、これについては各々「あぁ、たしかにそうかもな」と信憑性も高いのではないだろうか。
それに何を隠そう僕はかつて塾講師のアルバイトをしていた経験があるので、それなりに調査の母数は多いです、はい。
えっ、なに?
お前みたいなヤツが勉強を教えられるのかって?
やだなぁ、できないからやめたんですよ。
いや、でもね。教育って本当に難しい。
いずれこのブログ内でも塾の制度だったりシステムについては追々触れていこうかと思うんだけども、ただ「勉強を教えるだけ」というのは決して教育とは呼ばないんですよね。
塾としてはアルバイト学生にそれほど多くは求めていなかったんだろうけども、それでも人と人との関わりだから当然学校や勉強以外の問題も出てくるわけですよ、そりゃ。
勉強が手に付かない人が塾に来るのだから、闇雲に解法を教えるだけではなく「自発的な勉強を促す」←これが重要。
でもこれ、めちゃくちゃ難しい。
言うは易いけどもおこなうは異常に難い。
そもそも僕は他人のお子さんを一時的に預かる立場にいながらにして「叱ってあげる」ということができなかった。
その時点で教育者失格だな、と思いやめました。
まぁでも入ってすぐにやめたわけじゃなくて、1年とか1年半とかは勤務していたのでそれなりの生徒数を見てきた。
というわけでこれが母数の多さたる証明になったでしょうか。
話を戻して、この「生きてるだけでまるもうけ」だが、最近どういうわけか無性に沁みてしょうがない。
たとえばバンプのsupernovaという曲の歌詞にこんなものがあるが
熱が出たりすると気付くんだ
僕には体があるってこと鼻が詰まったりすると解るんだ
今まで呼吸をしていたこと
こういうのって、よくある「失ってはじめて気付いたパターン」として岡崎体育とかパーマ大佐とかにネタにされがちなんだけども、今の当たり前は未来の当たり前ではないんですよね。
うわっ、出た。我ながら超かっけえこと言ってる。
けだし名言だな。
今僕のブログを見てくれている人は間違いなく生きているわけで、それが当たり前だから今日朝起きたときに「うーん!今日も生きてるぞ!」と思った人はかなり少ないのではないかと思う。
それがいいとか悪いとかじゃなくて、そういうもん。
だけどふとした瞬間我にかえったときに「生きてるだけでまるもうけ」という、この言葉を思い出すと「あ、そうだよな」と初心に還らせてくれるような効果がある気がする。
明石家さんまさんは、それこそビッグ3と自分で名乗っちゃうくらいの大御所であり「お笑い怪獣」とまで称される底抜けに明るい人というイメージが強い。
しかし彼は幼い頃に母を、そして彼を慕っていた19歳の義弟をも亡くすという経験をしている。
さらに「上を向いて歩こう」で知られる坂本九さんが死の直前まで乗っていた飛行機に当初搭乗する予定だったことも彼自身の口で明かしている。
そんな過去を持つさんまさんが「生きてるだけでまるもうけ」という言葉を口にし、それを娘の名前にまでしてしまうというあたり、これは誰もが「そうだよなぁ」と思わざるを得ないと思う。
だからこそこの言葉は異常なほどの真実味を帯びて、協調性のない僕でさえも納得してしまう。
というより、この言葉を肯定している自分も信じることができる。
たとえば僕はエレファントカシマシというバンドが好きなのだが、ボーカルの宮本浩次さんは、誤解を恐れずはっきり言ってしまえばアスペルガー症候群だと思う。
先日のワイドナショーや各所音楽番組、それから昔ダウンタウンと絡んでいたシーンを見れば一目瞭然。
誰もが「あぁ、彼は不器用なんだな」と見てとれる。
だからエレカシの初期の作品を聴いたことのある人は分かると思うが、基本怒っている。
「あくびして死ね」とか「友達なんかいらないさ。金があればいい」とか、昨今のJ-POPシーンではまずお目にかかることのできない言葉を発し続けていた。
これはまさしく彼が世の中に順応できない「不器用さ」の象徴であり、その悲痛な叫び。
でもこんなことを言ったところでCDが売れるはずもなく、エレカシはこれまでレコード会社との契約を3回打ち切られてきた。
そんな最中にできた名曲「悲しみの果て」は「これまで作ってきた俺の音楽は世の中に理解されないんだ」という彼の絶望と、いわゆる売れ線に傾倒するという「世間への敗北」を胸に宮本さんが泣きながら作った曲。
その後に出したアルバムに至ってはアレンジがあまりにもポップス寄りで、彼は聴いていたウォークマンをその場で地面に叩きつけたという。
そういったどん底を経験した宮本さんもといエレカシが、現在も所属するユニバーサル移籍第一弾シングルとして出したのがこれ。
宮本さんが発する「さぁ、頑張ろうぜ」というのはやはり重みが違うと思うし、そんな彼らのファンである自分自身も誇りに思える。
「あ、俺間違ってないわ」と、そう思えるがために安心して応援することができる。
ちなみに先日とある番組内でさんまさんが座右の銘を変更する!と言っていたが、それがこれ
わくわく死にたい
かっこ良すぎるだろ、おい。