お金がほしい

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2020年10月をもって更新をストップします。永らくのご愛読ありがとうございました。

凪のあすから 第8話「たゆたう想いのさき」感想

アニメ初鑑賞。原作コミック未読。
素人がテキトーなことを書いているので、訂正や批判等あったらぜひにコメントお願いします。

 

前回までに残った謎

・うろこ様の正体
・1話ラスト付近のまなかの発言「おうたの練習」とは
・5話冒頭のうろこ様の発言「地上と海との境を完全にするべし」の理由←自然災害かなにかの可能性が大きい

 

↓前回の記事↓

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以下ネタバレあり。

 

 

命からがら海を抜け出してきた光とあかりから物語はスタート。

光はムキになっている(というよりはヤケになっている)ので、あかりの「ねぇ光、やっぱりあんたは(海に戻ったほうが良いんじゃない?)」という発言にも耳を貸さない。

光「俺はぜってぇ諦めねぇ!親父のこともおふねひきのことも、あかりのことも・・・」

本来であれば、最後に入るはずの名前は「まなか」だった。これは完全なる現実逃避。フロイト的に言うと...分からん。

 

 

OP明けて、4人(とみをりさん)の食卓。

至「光くん、これすごく美味しいよ」
光「焼いただけっすから、それ」
至「でも、かっこいいフォルムだよな、このタコ」
美「足が4本しかない」
あ「タコは8本足だもんね!」

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・・・なにこの気まずさMAXの食卓。
僕なら耐えられずに「ちょっとトイレ」とか言ってエスケープしちゃうレベル。

 

その後の展開でも3人がそれぞれ気を遣ったため、光と至さんが一緒に寝るという誰も幸せにならない結果となったはずが。

最終的にはどうやら全員一緒に寝ることになったらしい。

 

寝れない美海は、光が慣れない地上生活で苦労していることを知り・・・

 


翌朝。

美「足縮んだの?」
要「へぇ、それがいわゆる“彼シャツ”ってやつ?」

光を煽るふたり。特に要はひどい。
彼シャツと言えば、恋人関係にある彼女が彼氏のシャツを着て生地が余ってしま...チッ、気分が悪くなったのでやめよう。

要のニュアンスからすると「枯れシャツ」のほうが近いかも。笑

 

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制作陣の遊び心も見えたところで、街へと出発。


何の因果か紡くんと一緒に行くことになった御一行。
遠足におかしは定番だが、まなかが都こんぶを差し出した時はさすがに笑った。

OPの映像と繋がっているかと思ったが別だった模様。

 


そして、ここから物語が少しずつ動き出す。

光「なぁ紡、街に詳しいんだったら用事のついでに案内頼めねぇ?」
紡「いいけど...」
ま「えっ、いいの!?」
光「頼りにしてっから」

これは言葉で説明するのがとても難しい(面倒くさいだけ)ので、図を用いることとする。

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なんだか余計に分かりにくくなった気が・・・
ベクトルとかデータベースとかのイメージで見ていただけるとありがたい。

補足すると、これはあくまで光目線の図。
光にとって、まなかは「自分の後をついてくるだけの存在」であった。しかし今のまなかの気持ちは紡くんに向いている。
その気持ちを尊重すべく、自分が紡くんを頼りにしているところを見せることで、まなかの寄生先を自分から紡くんに移転させてあげようという光なりの計らいである。

まなか→光→紡を正規化すると、まなか紡となる。


直後に映し出されるのは、そんな思惑に納得できないちさきと、その心中にあえて気づかないふりをしている要。

 

それぞれの思いを乗せて電車は進み、ようやく街に到着。

光のために塩水を用意していた美海(ホントええ子や)は「塩水あります」の表記に少しがっかり。

個人的には、美海が最初にその表記に気付くもあえて気づかないふりをして、その後別の誰かが気づき、「これで干物になる心配はないな!」みたいな会話を聞いて美海が落ち込む演出のほうが好み。
せっかく頑張って塩水を用意した美海だからこそ、光には「塩水あります」の表記を知られたくなかったはずである。

 


その後、光とちさき、まなかと要が二人きりになる展開に。まなか&要のサシは初めて見るので大興奮。

要「優しいよね、誰にでも。あいつのこと、まなかはどう思ってるの?」
ま「えっと、紡くんはね、私に気づけないものが見えてるの。それがたくさんすごいなって、そう思う。うん、そう思ってる」
要「そっか。まなか、はっきり言えるようになったね」

要はまなかに先制攻撃を仕掛けたつもりだったのだろう。
自分の気持ちを自覚させ(というよりはこの気持ちが恋であると気づかせ)、まなか→紡くんの構図を進めようとした。
けれどもまなかから返ってきた答えは想定外のもので、要の「違う違う、そうじゃ、そうじゃな~い」という表情が秀逸。これが無自覚系ヒロインの恐ろしいところか。

 

一方の光&ちさき。

「色んなまなか見てきて、あかりのこともあってさ、だったら俺はまなかのこと、笑顔にしてやりてぇって、そう思った」
「でも、だからって光の気持ちは無しにしなくても良いと思う。光は、ずっと変わらないで良いじゃない。光が決めたことなら、私は応援したい。だけど、光はそのままでいいって思う」
「お前ってホントいいやつだな。ありがとな」
「...違うよ」

 

・・・重すぎる。

ちさきはずっと変わらない光が好きなので「変わらなくて良い」と言ったのだが、光は「自分の気持ちを大切にして」という意味で受け取る。
自分のを心配してくれていると思った光は礼を言うが、ちさきは自分のためにしか発言しておらず、礼を言われ自己嫌悪に陥ってしまう。

「ううん。応援代、ゴリゴリ君リッチ10本ね!」と気丈に振る舞うちさきが痛々しい。

 


その後は美海があかりを家族として受け入れるまでの地球にやさしい展開なので割愛。
こんな汚いブログに載せようもんなら塩水で即座に浄化されてしまうだろう。


そして、プレゼントをもらったあかりが至さんに語りかける。
「私、ちゃんとしたい。一緒にいるだけじゃない。ちゃんと」
この発言に、ちさきが物思わしい表情を浮かべる。


これで終わりかと思いきや、ラスト地上にぬくみ雪が降ってくる。
うろこ様の「ぬくみ雪はすべての前兆」という言葉もあり、着実に地上では何かが変わろうとしていた・・・

 


というわけで本話はここまで。

前話は空気だった美海が再びメインに返り咲き、彼女の行動を端緒にそれぞれの思いが交錯したり明るみになったり。
着実に物語が進んでいて、次回の展開が楽しみなラストであった。

 

 

  • それでもやっぱり気になる浸透圧

これまでの記事で、「アニメに現実性を求めるのは間違っている」みたいなことを書いた。
正確にはそこまで大仰なことは言っておらず、物語の本筋と外れたところは「どうせアニメだから」とリアルさを放擲できるのが良さであると表現した。

たとえばワンピースではルフィの歯がしょっちゅう欠けるが、次の展開に移るとひょっこり元通りになっていたりする。
歯が抜けるのは、顔面に強力な打撃を受けたことを見せるための演出のひとつである。だから、その戦いが終わってしまえばその事実などどうでも良くなる。

そうした現象に対して「歯が即座に生え変わるなんてあり得ない」とか「チョッパーに歯の治療を依頼するコマがあっても良いはず」なんて意見はお門違いも甚だしく、(元も子もないが)「だって創作物でしょ?」の一声で論破できてしまう。
それは漫画やアニメの良いところである。

ドラマや実写映画で歯が欠けた演出をして、直後それが元に戻っていると強烈な違和感があるだろう。
だが、アニメではそうした演出方法はきわめて一般的で、もはや誰も気にしていないし、気にするのもアホらしい。

 

「なぜルフィの歯は即座に生え変わるのか」という考察をしている人もいるかもしれないが、要するに「一人の少年が仲間と一緒に海賊王を目指す」という大筋と無関係だからである。
一方、彼が海賊になると決意したとき自らの顔面に刻んだ刃の跡はいまだに残っている。それは物語に不可欠な傷だからである。


と前置きが長くなってしまったが、翻って「凪のあすから」の舞台設定は海の人間と陸の人間が共存している世界であり、そこに生じる生活の不自由さや違いは最低限描かれなければならない。
例を挙げるならば、海の人間が水陸どちらでも呼吸できる原理だったり、定期的に海水に浸からないといけないことだったり。

物語の性質上、そうした劃然たる違いが浮き彫りになっていれば良いのであって、「どうして海中で肉じゃがが作れるのか」とか「海中の布団はなぜ地面に固定できているのか」といったところはどうでも良い。
どうでも良いのだが、しかし気になってしまう!ちくしょうなんと無駄な思考であろうか!

 

今回、光は「寝てる間に干物になりたくはねぇしな」と肌(エナ)に塩水を染み込ませていたが、人間的な感覚からすると「むしろ塩水を塗るほうが干物リスクを高めているのでは?」なんて考えてしまう。
もし海の人間が海水魚と同じ原理であるならば、この行為は理解できる。しかし、だとすれば光たちにとって学校のプールは大変危険な場所であり、下手したら死にかねない。短時間だから良いとかそういう次元じゃない。
ならば、ウナギやサケのような広塩性魚と同じ原理であると考えたほうが筋が通るだろうか。しかし、それならば海水を塗る必要がまるで分からない。寝る前に十分な水分補給をすれば良いだけの話ではないのか。

マヌケなことを言っているかもしれないという自覚はあるので、誰か生物に詳しい方がいたら教えてほしいです(笑)

 

 

残った謎

・うろこ様の正体
・1話ラスト付近のまなかの発言「おうたの練習」とは
・5話冒頭のうろこ様の発言「地上と海との境を完全にするべし」の理由←自然災害かなにかの可能性が大きい
・8話で紡くんが街に出かけた理由

 

 

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「いい質問ですね」と言われたい人生だった

久しぶりの出勤を終えた。
マスクのゴム圧のせいだろう。耳の付け根が脈打つように痛くて、それが徐々に頭痛に変わる。
あとめっちゃ眠い。疲弊感とマスク内に排出した二酸化炭素を再度取り込む呼吸のせいだろう。

久しぶりに歩いた。
地下鉄の階段で、酒も入っていないのによろけてしまう。

立ち止まると、やにわに膝が笑い出す。
高校生のとき、化学の授業で分からない問題を当てられたときもビクビク震えていたっけなと、そんな記憶が蘇った。


目の前を、おなじくらいの年代のカップルが歩いている。
女の子の顔は見えないけど髪はツヤツヤで肌が白くて、駅構内に吹いた湿気交じりの風が、はじめて嗅ぐようなコンディショナーの香りを僕の鼻腔にまで運んでくれた。

なんだか幸せそうだった。
手を繋いでゆっくりと歩いている。

まるでこの空間だけ時の流れが遅いかのような、そんな錯覚さえ感ぜられる。


彼らを追い抜こうとするも、壁との隙間は人ひとり分が通過するスペースを用意していない。

彼らを追い越すには、彼らの幸せを越えなければならない。到底無理な話であった。
幸せな人以外、追い越し禁止なのである。

それにこのご時世。
ソーシャルディスタンス。世から隔絶されていた僕が、ついぞ人間からも隔離されることになろうとは。

よって彼らに接触しながら追い抜く行為は憲法違反。田舎人に対する東京なりの洗礼だろう。手荒い歓迎をありがとう。


ひとりでいると、たまに悲しい気分になるときがある。
長渕剛も「甘い言葉の裏には一人暮らしの寂しさがあった」と歌っている。

特にこの情勢下において、それでも会いたいと思える人がいるのはとても素敵なことだと思う。
若者がよく叩かれている。そんなことはきっと何年も前から変わっていない。孔子の「後世畏るべし」が有名なのがその証。

僕たちだってあと30年もすれば若者を叩くようになるだろう。それはそれで良い。
若いというのはそれだけで罪なのかもしれない。羨ましいのかもしれないし、妬ましいのかもしれない。

社会のどんな批判も意に介さず、自分に都合の良い世界を作り上げてしまう。それを実現できるのが若者の強さであり、いずれ失う魔法の力である。
濃厚接触なんのその。ただ会いたいという気持ちと、会えばもっとお互いを感じていたいという純粋な気持ちを優先できてしまう。まことうらやましきこと。

最寄り駅で降りて、近所のまずいラーメン屋の客入りが良くて、立ち寄ったスーパーの総菜コーナーは空っぽで、自宅の冷蔵庫も空だった。
ベッドに倒れこんで「おじさんも君みたいな女の子と濃厚接触したいよぉ」と呟いてみて、変な笑い声が出た。


人間はけっきょくひとりなのかもしれない。誰かと居たいと思うのは、誰も居ないからなのかもしれない。

自分に自信のない男に女性は興味を持ちません。LINEニュースに書いてあった。
そのとおりだな、と思う。でも、どうやって自信を持てばよいのか、いまだにわからない。

きっと彼女がいれば、自分が支えている命があれば、あるいはそう思えるのかもしれない。
そんな現在も過去も存在しないから、自信が芽生えるはずもない。砂漠に井戸をつくっても、水は掬えないのだ。


たまにこういう文章を書いてしまうようになった。
鉛のように重たいが、その実病んでいるわけではない。さきほどまで録画しておいたすべらない話を見て笑っていたところである。

いつからか気持ちがフラットになってゆき、女子高生を見ても「まだガキだな」としか思えなくなった。
でも「僕ももう年かな」なんてダサい台詞は、冗談でも言えない。

若者にしかないものを、もしかしたら僕もちゃんと持っているかもしれない。
本当は、まだ青春が続いているのかもしれない。まだ僕の心は、地元の最寄駅で電車が来るのを待っているのかもしれない。
雨の日は迎えに来てね、なんて甘えていられた数年前の人生は、もう終わったのかもしれない。


スーパーマーケットには、買おうと思っていたしめじがひとつだけ残っていた。
なんとなくイヤな気分がした。割れているわけでも、特別小さかったり形が歪なわけでもないのに。

それが僕と気づいて、買って帰った。
僕は宝くじに当たったことがない。でも、だからこそ他人に優しくなれるのかもしれない。信号機の赤を守れるのかもしれない。


今日は「かもしれない」ばかり書いているから、明日は良いことが起こるかもしれない。
そんな素敵な日々を誰かと共有できる人たちは、今を幸せに生きていっておくれ。それがせめてもの責務であると。

凪のあすから 第7話「おふねひきゆれて」感想

アニメ初鑑賞。原作コミック未読。
素人がテキトーなことを書いているので、訂正や批判等あったらぜひにコメントお願いします。

 

前回までに残った謎

・うろこ様の正体
・1話ラスト付近のまなかの発言「おうたの練習」とは
・5話冒頭のうろこ様の発言「地上と海との境を完全にするべし」の理由

 

↓前回の記事↓

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以下ネタバレあり。

 

前回までに全体の1/4が終了したと思うと感慨深い。
とはいえいまだに序章の域を抜け出してはおらず、謎は蓄積していくばかり。


本編は、いよいよ「おじょし様」が完成したところからスタート。
前話ラストでちさきが発した「おじょし様が完成しなければいいのに」という言葉が脳裏を掠める。。。

 


ま&紡「おふねひきしたいね」「おふねひきしたいな」

OP終了後、完成したおじょし様を眺めながら何の気なしにつぶやく2つの声。


光に50のダメージ。周囲の冷やかしが仇となったか。
ただし紡くんとまなかの発言の真意は、彼自身の口から補足されている。


紡「いや、そういうんじゃなくて、先生が教えてくれた昔の、海も地上も総出でやってた頃みたいなの、やれませんか?」


つまり「海が好きな地上の人間」である紡くんと「地上に憧れている海の人間」であるまなかが、地上と海の障壁を越えて歩み寄りたいと考えているだけのこと。
よってこの発言自体に他意はないのだが、(周囲の雰囲気もあり)自ら敗北に突き進もうとする光にとってはダメ押しの一撃となってしまった。

であるならば、光が今後取るであろう行動は二分され、必然的にここが分水嶺となる。ルート分岐といったほうがアニメっぽいかな?違うな、ギャルゲーっぽくなった。

①嫉妬のあまり「お前らだけで勝手にやればいいだろ!」とキレる
②白旗を掲げて、まなかと紡くんの希望を尊重する

おそらく、これまでの光だったらば①を選択しただろう。
だがこれまで色々な光景を見て、色々な考えを巡らせ、色々な壁にぶち当たり、ついぞ②を選択した。

しかしここで押さえておくべき重要なポイントは、この変化は決して「光が成長した証」などではないということ。
前話の「マジで、速すぎだろ。アイツ・・・」という光の発言は諦めから来ている。つまり光は紡くんと張り合うことを放棄した。
さらに前回のラストで光は1話に戻ったかのように「ビビりのくせに、まなかのくせに」と言っている。

結局、彼は何一つとして変わっていなかった。ちさきが光に惚れた理由もこれで頷けるだろう。

今回光がいつもと違う選択肢をチョイスしたのは、単なる現実逃避にほかならない。まぁそれは光がいつも全力で戦ってきた証拠でもあるんだけども。

それよりもだんだんと先生のキャラが崩壊しているのが心配。
生徒にラーメンやアイスを奢りたいとか、どんな青春フリークだよ。

 


てなわけで署名活動を開始した光たち。

紡「アイツ、なんであんなに・・・」
要「モヤモヤ晴らしの全力疾走ってとこじゃない?」

怪訝な紡くんを他所に、要だけは光の心中を察しているご様子。
紡くんは恋愛関係に疎い説・・・というか、まなかのことを何とも思っていないあたりでもう(以下略)


光はいつも一生懸命なので、現実逃避するときも全力疾走するらしい。これ、再リセットするの大変だと思うけど大丈夫かしら・・・


それから、美海が完全に空気と化している。
おそらくさゆも美海も話の流れと直接関係ないし、賑やかし程度の出演なのかもしれないが、それにしても性格変わりすぎじゃないですかね。

 

光(と要)の頑張りに感化されたちさきと紡くんの会話

紡「あんた(ちさき)はそういうの、似合わないと思うけど」
ち「えっ!? ・・似合う似合わないの問題?」
紡「たぶん、みんなできることしかできないし、できないことを無理にやろうとしても、きっと辛いだけだ」

紡くんはしっかりちさきのウミウシを担っているらしい。素でこういうことを言えちゃうから紡くんには一生敵わないなぁ。

 


そしてこの後、新事実が発覚。
おじょし様制作を手伝った狭山くんが「サヤマート」店長の息子とのこと。

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狭山くん(と後ろに映る江川くん) ・・・てかなにこのイラスト

言われてみれば苗字は「サヤマ」だし、前話で供物や輸送用トラックがどうのこうのという話をしていたので、なるほど合点がゆく。

 

 

ここで、光の後ろ向きな頑張りに違和感を覚えた人が2人。

ち「光、頑張ってるよね」
ま「でも、なんかひーくん、その・・・違う気がするよね」
ち「違う?」
ま「あっ、ひーくんが頑張ってるのはいつもだけど、でもあの、違う頑張りっていうか・・・えぇと」
ち「きっと、変わろうとしてるんじゃないかな?」

 

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光の頑張りに対して不安そうな顔を浮かべるちさき

ちさきは光の全力敗走を見て、物憂げな表情を浮かべていた。(上画像)
それを彼女は「変わろうとしている」と評していたが本質的には違うと思う。

ちさきが好きなのはいつでも前向きに全力投球して、まなかに対しても本気だった光である。
そんな光がまなかを諦め、2人の仲を後押しするように奔走している。

そうした「これまでと違う光」が現状維持を望むちさきには到底受け入れられず、出した答えが「変わろうしている」であった。

 


場面変わり、おふねひきについての話し合いの場にて。
光の親父さんが言うように、海村と地上の人間は揉めずにはいられない。

 

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「おいおい、なんか雲行き怪しいんじゃないか?」

上の発言のとおり、みるみる雲が分厚くなってゆき・・・

おじょし様がみたび破壊され、そして雨が降り出す。
その雨は会議の末の先行きでもあり、同時に光の心でもあり、いまだ分かり合えない地上と海の狭間で苦しむあかりの心でもあり。

 


結局家出することになったあかりと光。
あかりは、光には家にいてほしかったようだが、身勝手な行動をする自覚がある手前その思いを口にするのは憚られる模様。

直後、うろこ様の発言。
「見てみぃ、(御霊火の)揺らぎがずいぶん大きくなっとる。もう猶予はほとんどないぞ」
以前から仄めかされていたように、やはり自然災厄の兆候か。

 


海から出ていくというあかりと、それを聞き入れようとしない親父さん。

うろこ様「意地っ張りなのは親子共々か、やれやれじゃ」

意地を張らず素直になってもらうため、あえて親父さんに見せるようにして2人に苦難を与えるうろこ様。

ようやく阻止した親父さんに「本当に良いのか?」と、うろこ様。またまた、言わせたくせに。


というわけで本編終了。
おそらくこのままいくと物語の前半(~12話)が「おふねひき編」的な立ち位置になると思うので、本話はその序章と終章とを繋ぐ回のように感じた。起承転結でいう「承→転」の転換点かな?

 

 

  • ひらがなを多用する謎

よく考えれば「凪のあすから」というタイトルからして意味不明。
どうやら「Earth Color」を平仮名表記にしたらしいのだが、それでも(今のところ)意味不明。話数を追うごとにタイトル回収されるなんて日がくるのかしら。

各話ごとにつけられたタイトルしかり、美海以外の女性人物名しかり、本作品ではどうにもあえて平仮名を用いているきらいがあるように思えてならない。

たとえば僕たちは全文字平仮名の文章を見ると「子供っぽい」「幼い」といった印象を受けるが、本作品における平仮名を我々視聴者はどう解釈すれば良いのでしょうか。

そしてこの謎(というよりは違和感)こそが、本作品のテーマと繋がっているような気もしているわけだが。

 

  • いまだに進展のない橋脚

本話のざっくりとした要約をするならば、「光が中心となり、海村と地上の人間がお互いに歩み寄ろうとするも無残に失敗する」というもの。

光たちが何かアクションを起こすたびに作りかけの橋脚が映し出されており、この映像自体が失敗に終わる未来へのフラグ的な役割を担っていた。

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「みんな、頑張ろーぜー!」という掛け声とともに映し出された窓の外

この橋脚の工事が進展するのか、はたまた取り壊されたり、別の糸口でもって地上と海が繋がったりと様々な可能性があるわけだが、今後この橋脚がどのように役割を変化させていくのか、最終話まで見届けていきたい所存である。

 

 

残った謎

・うろこ様の正体
・1話ラスト付近のまなかの発言「おうたの練習」とは
・5話冒頭のうろこ様の発言「地上と海との境を完全にするべし」の理由←自然災害かなにかの可能性が大きい

 

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