お金がほしい

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2020年10月をもって更新をストップします。永らくのご愛読ありがとうございました。

「芸能人だったら誰がタイプ?」とかいう誰も幸せにしない質問

「死ぬまでに一度は口にしてみたいセリフ選手権」なるものがあるとすれば、割と上位に食い込むであろう言い回し。面白半分で使いたいなぁとは思うけれど、いかんせん好機に恵まれない。
たとえば、「運転手さん、前の車を追ってください!」とか、「なに、名乗るほどの者でもないさ...」とか「俺、この戦いが終わったら結婚するんだ」とか。
あれ、最後のはなんか違うぞ。

個人的には、マンガやドラマなんかでよく耳にする「愚問だね」というのがけっこう好きで、この5音を発するだけで相手を全否定し自分のターンにできるという、なかなかに性根の腐った至高のセリフである。
ちなみに同系統で「ID真っ赤だぞ」というのも好きなのだが、どう考えても煽っているROM専なので使う機会がない。というか最近見ない。

そのぶん「愚問だね」は一見汎用性が高そうに思えるのだが、意外にも用途が狭いのが難点。
この言葉を発するとき、それは質問に対する答えが明白なときに発動されるため、本当に「愚かな質問」のときにこの言葉を言うと、ただの悪口になってしまう。

なので、これを用いる際には細心の注意を払わねばなるまい。そしてそんなことを考えているうちに、これを発するタイミングを逃してしまうのだ。
だから口から音としてこれを発することはかなりレアケース。

しかし、現代とは利便性を突き詰めた社会であり、その結果手が口ほどにモノを言う時代になった。
そう。個人がSNSを通じて意見を発信できたり、僕みたいに滝のような不満を滔々と書きなぐるだけのやつが現れたり。


であるならば、これを使わない手はない。
愚問ランキングTOP100みたいな企画をやって、ひたすら「愚問だね」と返すだけのゲームがしたい。なにそれ頭悪そう。

だが、そんな僕ですらリアルの、日常会話の、世間話の最中に、つい「愚問だね」と言いたくなる瞬間があるのだ。

そう。
何を隠そう、それが「芸能人だったら誰がタイプ?」である。

世に「パンドラの箱」という逸話があるように、決して開けてはならない、触れてはならない事案なんぞいくらでもある。

しかも厄介なことに、この会話というのは出会ってから間もない間柄でのみ発生するため、この質問の答えによりその後の人間関係が大きく左右されるといってもいいかもしれない。
そのため危険物取扱免状も有していない人がサラッとこれを投げかけるというのは、通りすがりにグレネードランチャーを手渡しされるくらいに危険が危なくて危うい。まさにパンドラの箱

だいたいこの質問によって生まれるのは、せいぜい嫌悪感とか距離感とか警戒心とかであり、信用や信頼とは縁遠い位置にあることは明白。

そりゃ僕だってガッキーと付き合えるものなら、額を地面に打ち付けて土下座してでもお願いしたいところだが、残念ながら僕には降る雪がぜんぶメルティーキッスならいいのになと思えるほどのアーティスティックな感受性を有していないため、不釣合いであることは確定的に明らか。
というか付き合うために土下座しなくてはならない時点で既にアウト。

よって、僕が「好きなタイプは新垣結衣さんです」と発したその瞬間、「はいはい、こじらせ童貞乙」みたいな慢侮に満ちた表情で周囲から見られることは分かりきっているため、我々不細工童貞たる同輩は「角が立たず周囲からナメられず得心のいく回答」を予め用意しておかなくてはならない。

しかしその結果を僕は知っている。
そう。ある人は「牧野ステテコです」と言ったがために殺され、またある人は「天使もえです」と言ったばかりに生涯牢獄で暮らすこととなった。

誠に遺憾ながら、我々は奇を衒った回答を用意してしまうのだ。
だがそれは仕方のないこと。アイデンティティの欠落した人間が行き着く地など、せいぜい三枚目に徹することしか残されていない。

悲しきかな、それが事実である。


けれども、それは活路である。
我々は知っている。それを尋ねた相手が、さして自分に興味など抱いていないことを。

本命は僕の隣にいる、陰毛が生えているのかさえ疑わしいほど爽やか系な優男くんの答えであり、僕のターンは準急ですら停車しない駅レベルでどうでも良い。
だから僕らが答えに窮したところで、それこそ誰も幸せにならない。

 

これにより、分かったことはただひとつ。

 

 


久しぶりにビールを3缶空けると、こんなしょうもない文章もスラスラと書けるものなのですね。