タクシー・イン・コリア
最近東京に出向く機会が多いのだが、東京の道路ではよくタクシーを目にする。
そりゃ田舎にだってタクシーの数台はお目にかかるが、東京、というより都会の台数はやはり一桁違う。
それに近年はタクシー業界のニュースがあとを絶たない。
位置情報サービスを活用し、スマホでタクシーを呼ぶことができる機能や、運賃を取らずに広告費用だけで試用しはじめた会社、そして話題のUberなど。
そういう世間的な関心も相まって、タクシーばかりがふと目に止まるのかもしれない。
けれども、そう。
こと僕に関して言えば、タクシーにあまり良い思い出がないのも事実。
黒いミニバンのタクシーを見るたび、僕はこんなことを思い出してしまうのだ。
あれは10年ほど前、韓国に旅行したときのことだった。
仕事の都合で韓国に移住することになった従兄弟の家族を様子見すべく、僕の家族は海を越えて韓国に向かった。
彼らが移り住んでから数ヵ月後ほどが過ぎた頃だったように思う。
空港で合流した両家族は、慣れない海外生活の様子や言語の障壁などについて語らいながら、ソウルタワーやら焼肉料理店やらに足を運び、それなりに楽しいひと時を過ごしていた。
意外にも日本語対応のホテルやお土産店が多く、観光地に関してはあまり言語に困らなかった記憶がある。
思えば冬のソナタを筆頭にいわゆる「韓流」が流行っていた頃だったかもしれない。
だからこそ日本人を対象にした詐欺のような事件も多く、旅行雑誌には「乗っていいタクシー」と「乗ってはいけないタクシー」の特徴なんかが記されているページもあるくらいだった。
そんな不安がありつつも楽しく旅行をしていた僕らは、次の観光地に向かうべくタクシー(もちろん安全とされている方)を呼び、7人全員が乗り込んだ。
ミニバンの大きなタクシーには、従兄弟の父が助手席に、それ以外はテキトーに後部座席を2列使って座った。
従兄弟の父は最も滞在歴が長いためか韓国にも慣れていて、次の目的地を運転士に現地語で伝えていたのは素直にカッコイイと感じた。
どうやら向かっている観光地は1時間おきにイベントがあるらしく、その時間に合わせてタクシーを呼んでいたらしかった。
到着予定時間の十数分後にそれがはじまるそうなので、とても良いタイミングだと思った。
けれども、そんな移動の最中。
助手席に座っていた従兄弟の父が、突如として運転手に何かを訴え始めた。
現地語なので何を言っているのかは分からないが、何となく少し怒っているように見えた。
運転手はそれをすげなくあしらい、何事もなかったかのように運転を続けた。
すると、次の瞬間。
ドスンッッッ!!
という大きな物音がして、後部座席に座っていた僕らは何事かと驚いた。
「えっ、なに!?」という声が飛び交う。
けれども僕はその答えを知っている。従兄弟の父がダッシュボード下のグローブボックスを思いきり蹴った音だった。
僕の座っている位置からはそのモーションの一部始終を見てとることができた。そして驚きと同時に恐怖を覚えた。
いつもは温厚な男性である。
僕が小さい頃は「うんちくんの大冒険」という謎の自作物語を聞かせてくれたこともあった。
では、そんな彼がいったいなぜ怒ったのか。
答えは明白である。
運転手が遠回りをしたせいだ。
車内の僕らは当然ながら日本語で会話をしていたし、明らかに観光客だし、それに移動距離もあまり長くはない。
韓国のタクシーは日本と比較しても割安なので、少しでも多く稼ごうとして遠回りをしたのだろう。
そして日本人の観光客相手だから、遠回りをしてもバレはしないと、そう踏んでの行動だったに違いない。
けれどもそれを許せぬ者が1名いた。
彼は、日本人が海外で冷遇されていることを身をもって知っている。
日本人は「人の良さ」によって、世界中でただのカモにされているということ。
だから彼もそれまで同じような目に遭い、イヤな思いもたくさんしてきたそうだ。
もしかしたら当時の運転手は「日本人だから」ではなく「観光客だから」という理由で遠回りをしたのかもしれない。
けれども彼は頑として「日本人だからとナメられるのは許せない」と譲らず、運転手に現地語でひたすらに文句を言い続けた。
そしてその口と連動してドンッドンッとグローブボックスを地味に蹴り続けている。
海外赴任とは、かくも性格を豹変させてしまうものなのだろうか・・・。
そうして最悪な雰囲気のままどうにか目的地に到着した僕ら。
こうなれば、きっと運転手もさっさと降ろしたかったに違いない。
支払いのときもグローブボックスは地味に蹴られ続け、そして彼は降車の際、「おい、これ貰っていくからな!」と日本語で言った。
彼が指すのは、助手席前のガラス付近に挿してあった運転手の名刺。
「分かったからさっさと行ってくれ」みたいな目を彼に向けた運転手を後目に、彼は名刺を抜いたのだが、勢い余って3枚もゲットしてしまった。
一瞬「しまったー!」と顔を歪ませた彼だったが、いまから2枚を戻すのも面倒なので、そのまま3枚を手に持ったままタクシーを後にした。
身内だけになった後は「なんであんなコトしたの!」と妻の咎めやら「運転手が悪い」と非を認めない旦那やらで、空気の悪さは解消された。
だが疑問はひとつ残る。
名刺をもらって何をする気なのだろうか、と。
当時はまだTwitterやInstagramなどのツールが浸透していなかったし、それに個人の特定が可能な状態でネット上のさらし者にするのはやりすぎでは?とも思う。
であれば、彼はその名刺をどうするつもりなのか。しかも3枚も。
僕らは構内案内図の描かれた看板の前に立っていたのだが、すると彼はおもむろに別の方向へと歩き出した。手には3枚の名刺。まるでウルヴァリン。
僕は彼の姿を目で追う。彼はニヤニヤと笑っていた。まるで女学生を視姦する変態。
彼の向かった先には、小さなコルクボードのような小さい立て看があった。
どうやらイベントスケジュールの記載された紙が画鋲で留められているらしい。
と思った次の瞬間、彼は突然その画鋲を引っこ抜いた。
えっ?と呆気にとられる僕。そんな目線などお構いなしに、彼は手に持っていた名刺をその紙に充てがい、なんとそのままぶっ刺したのだ!
なんということだろうか。
イベントスケジュールを見ようとすると、演目ではなくまず名刺が目に入る。
しかしいけない。このままでは14時の演目タイトルが謎のタクシー運転手の名前になってしまうではないか。
相変わらず彼はニタニタと笑っている。
なんてヒドいお方。
するとさすがにこればかりは許してはおけないと、彼の妻が「ちょっと、何やってるの!」と走って詰め寄る。
変わらずに笑い続ける彼。「もう、しょうがないんだから...」と呆れる妻。いやはや平和ですね。
しかしこの時僕は、社会に出ても日本からは出ないと心に誓ったのであった。