「つらい」を「からい」に変換すると人生がちょっぴり幸せに傾く
どうやら中学の知り合いがブログをはじめたらしい。
奇しくもここ「はてなブログ」にて。
まぁ僕から「実は僕もブログやっているんだ~」などと宣伝していないため向こうにはバレていないはずだが、知り合いのブログを覗く行為というのはちょっぴり新鮮でなかなか興味深かった。
当時は同じサッカー部で汗を流した友達が、どんなことをしているのか。どんな悩みを抱えているのか。どんな人と関わっているのか。
・・・まぁそのブログは1回しか見てないし、彼は海外でJICA的な活動をしている人なのでその報告がメインというか。
ぶっちゃけ知り合いしか興味のない内容だったので、ほとんど知らないんだけど。
ともあれ、いちブロガーとして他人の思惟や囈語を客観的に見られるのは貴重な体験であった。
これからももっと色々な人の文章を読んでみたいと、素直にそう感じた。
と、このように人生とはあるきっかけによって考え方が180度変わることもしばしば。
パラダイムシフトとかコペルニクス的転回とか、そういう類のものは意外と身近に潜んでいたりするものである。
なので僕も心機一転。
これまで自分が常識だと思っていたものを打ち破ってみたいと思う。
といっても常識なんてそう簡単に変えられるはずもない。
簡単に変えられないから、それを常識と呼ぶのであろう。
とまぁその後も色々考えたんだけど、とりあえず手近なところからスタートするのがいいだろうという結論に達しまして。
「辛(つら)い」の読みを「辛(から)い」に変換してみようではないかと。
さすれば人生が好転するのではないかと。
逆に、「からい→つらい」にしてしまうとこのような悲劇が起こる。
この商品名がたちまち「つらそうでつらくないすこしつらいラー油」に変わってしまい、おそらく売上も食べた人の気持ちも落ち込んでしまうことだろう。
なので是が非でも「つらい→からい」に変換しないと幸せはやってこないのである。
いや、実際そうも思わないけれど、まぁとりあえずやってみましょう。
◎ケースその1:名曲にのせて
Aqua Timez「決意の朝に」
もう12年以上前の曲だということが驚き。辛すぎる。←これは「つらすぎる」の意味で書きました。
サビの歌詞が特に有名ですよね。多くの人の共感を得たとかなんとか。
まぁ僕は歌詞に共感して泣いたことがないのでよく分からないけど、聴いてみましょう。サビに注目。
あぁ言っていますね。
辛いとき 辛いとき 辛いと言えたらいいのになぁ
これは泣ける。
圧倒的な孤独感と、しかしその気持ちをメロディに乗せることで「この気持ちは自分だけじゃないんだ」と気付き、それが励ましになる、という。
ええ歌や。
では、これを台無しにしていきましょう。
からいとき からいとき からいと言えたらいいのになぁ
さきほどまでは、誰にも「つらい」と言えずに泣いている孤独な人か、あるいは無理して気丈に振舞う早死タイプの人が皆さんの頭に思い浮かんでいたと思う。
しかし「つらい→からい」という変換をおこなったことにより、この曲は死んでしまった。
もうきっと皆さんの脳内には、あまりにもからすぎる何かを食べてしまったが故に悶絶して言葉を発することができなくなったただのアホが想起されていることだろう。
涙ではなく汗が止め処なく流れ、辛さのあまり水に伸ばした手が震えている。
そんなワンシーンを、いったいだれが切り取って歌にしようと思うだろうか。
よくアーティストがインタビューかなんかで「これは何気ない日常の1コマを切り取ってできた曲です」とか言うけれど、おそらくこのシーンを切り取るのはただのアホ。もしくはただのアホ。
結果、全然人生は幸せに傾かなかった。
◎ケースその2:人生相談
投稿者:あーみんさん
父子家庭なのですが、お父さんと一緒にいるととても辛くなることが多いです。このあいだ学校で授業参観があったときに父が来てくれたのですが、周りが全員お母さんばかりでとても辛そうでした。そんな姿を見て私まで辛くなり、これ以上迷惑をかけたくないと思うようになりました。
そういうことが重なり、夕ご飯を一緒に食べるときも、最近では同じ空間にいるだけで胃がモヤモヤとしてきてしまいます。
これから私はどうすればいいでしょうか。
・・・という投稿があったと仮定して、この悩みを真剣に解決しようとすると、まぁ気持ちは沈んでくると思う。
この女学生に心底同情したり、お父さんの頑張りを想像して歯がゆい気持ちになったり、と。
さて。
では、みなさん幸せになりましょうか。
投稿者:あーみんさん
父子家庭なのですが、お父さんと一緒にいるととてもからくなることが多いです。このあいだ学校で授業参観があったときに父が来てくれたのですが、周りが全員お母さんばかりでとてもからそうでした。そんな姿を見て私までからくなり、これ以上迷惑をかけたくないと思うようになりました。
そういうことが重なり、夕ご飯を一緒に食べるときも、最近では同じ空間にいるだけで胃がモヤモヤとしてきてしまいます。
これから私はどうすればいいでしょうか。
まぁ、あれだよね。
一気にどうでもいい話になっちゃったよね。
お父さんと一緒にいるとからくなることが多いというのは、単純にお父さんがからいもの好きという嗜好の話と捉えることができる。
「このあいだ学校で授業参観が~」の文も、「つらい」と読んでいたときは「お父さんだけがつらそう」であるようなイメージだったのに、「からい」に変えた途端「お母さん集団が授業参観日にめっちゃからそうだった」というシュールすぎる構図が浮かび上がり、しかもあーみんさんはそれを自分のせいであると責任を感じている。
胃がモヤモヤするのは、おそらく辛い食べ物を食べ過ぎたせいでしょう。胃もたれですね。
どうすればいいかを訊ねられれば、そうね。胃薬を飲みましょう。
というわけで、結果。
人生は幸せにならなかったが、胃もたれになった。
・・・このように、「辛い」という言葉の意味を変換しただけで、人生というのは音を立てて崩れてしまうらしい。
なぜ日本では「辛い」と「辛い」を同じ字にしてしまったのか。
そしてたった一画増えるだけなのに、どうして「幸い」にはこんなにも程遠いのか。
なにより、どうして僕はこの議題に足をつっこみ、時間を浪費してしまったのか。
今後このブログで「辛い」と書くたびに、いちいち注釈をつけなければならなくなった。
辛い。辛すぎる。
って、これはどっちでしょうね。