お金がほしい

お金がほしい

先に謝っておきます。ごめんなさい。

世間は少し汚れているくらいでちょうどいい

ある程度の日数をブログ活動に捧げた人なら共感いただける気がするが、過去書いた自分の文章を読み直すのはそれなりにしんどい作業なのである。

なおさら僕なんて1年前の文とか見ると死にたくなる。今見返すとひどい。ひどすぎる。
ブログページには「人気記事」てな欄があるもので、そこにリストアップされた記事がしょーもない内容だったり寒い文章が立錐の余地なく書き連ねてあるのを見ると「やめて!これ以上僕の過去を抉らないで!」という気持ちになってしまう。

だったら消せばいいじゃないかという気もしないではないが、それでは何だか負けた気になるし、過去のどうしようもない自分を愛せないようでは誰も僕を肯定してくれないようにも思えるので消していない。というか消せない。


今見返すと、どうしてあんなにも怒っていたのかよく分からない。
怒っていたというより、嘆いていたのかもしれない。今もその気持ちは変わらないけれども、どちらかといえば僕はもう諦めてしまっている。

あの時の、1年前の僕は「違うだろ!」と某豊田真由子氏並みに世間に対して明確な反骨精神があった。
それが今では、「実は僕が間違っていたのではないか」とか「どうせ何を嘆こうが変わらないからなぁ」なんて消極的なスタンスへと姿を変えてしまった。

けれども、これ。
そうなったきっかけや理由を探ってみると、どう考えてもこのブログのせい。

文字として文字列として世間に悪態をつきまくった結果、毒牙を抜かれてしゅんとした犬のようになってしまった。
体内に鬱積した怒りや憎しみや悲しみや卑しさをすべて吐き尽くしてしまったので、もう出涸らしの二番煎じしか追いつかなくなった。

蛻の殻というより、蝉の抜け殻に近い気がする。


けれども相変わらず僕はイヤな人間だし性格とかちんことか色んなところがひん曲がっているし、進歩もしていなければ退化もしていない。
強いて言えば目が悪くなった。これもきっとブログのせい。

 

思えば最近、碌な記事が書けていない。
これまでも完成度の高い記事を書けていたかというと正直疑問は拭えないが、ちょっと見返してもなんだよこれ、うんことトイレのことしか書いていない。


世間も大人も汚いが、このブログも負けず劣らず汚いものばっかり。

まぁでも、世間はちょっと汚れているくらいがちょうどいいのかもしれない。
だって僕自身が汚れているんだから、もし世間が真っ白になってしまったら本気で生きていけないよ。

意地汚い、薄汚い世界だからこそ、なんだかとっても生きやすい。


僕自身、他人に対して善意を求めるのは間違っているというか無意味なことだと考えている。
これも一種の諦めなのだろうが、同時に「自分が善行を積んでいるのだから相手にもそれと同じ負担を望む」というのは、なんだかとっても傲慢な気がするのだ。

交通渋滞時にサンキューハザードをしない車がいたら、後続車の運転手は苛立つだろうか。
お客様をもてなしていた人の立場が逆転したとき、自分がしたことと同等以上のサービスを求めるだろうか。
飛行機や新幹線で背もたれを倒すとき、一声掛けるのが常識であるとして前の座席を恨むのか。

文字にするのは容易いが、実際溜飲を下げるのは結構むずかしい。


例えば最近多いのが、生活保護受給者がパチンコや競馬にお金を投じていることについての是非を問うニュース。

普通なら「自分たちが必死に働いて稼いだ給料から引き抜かれるお金が、働かずにお金を国からもらっている人の娯楽に使われているなんて許せない!」と、こう考えるだろう。

僕が先述したのは、つまりこれ(=生活保護受給者の娯楽)を容認する生き方なのでやっぱりかなり難しい。


けれども、こうは考えられないか。
生活保護を受給している人というのはつまり、身寄りのない人間。大きな過ちを犯した人間。もしくは、人生を捨てたけど命だけは捨てられないような人間。

そんな人から、唯一の楽しみである娯楽を無理やりに取ってしまったらどうなるだろうか。
ただでさえ世間に対して不満や嫌悪感しかもっていない人が、その捌け口を失ってしまったらどうなってしまうだろうか。


分からない。
分からないけれども、自爆テロや無差別殺人や線路への飛び降り自殺の引き金になってもおかしくはないのではないか。

このまま世間に押しつぶされて死ぬくらいなら、報復としてできるだけ多くの人間を巻き添えにして死んでやると、そう考えるにいたっても不思議ではないのではないか。


そのきっかけを作らないための抑止力として、幾許かの金銭が彼らに流れるのであれば、僕個人としては容認できる。納得はしないかもしれないが、理解はできるし尊重もする。


こんなマイナーな思想を書いていれば「なんだこいつ」とか思う人も出てくるだろうが、憎み続けるというのも結構しんどい。

世間というのはどうせクソみたいなものなのだから、こちらが見方を変えないとやってられない。
他人の無礼は自身のおこないを省みるために使えばいい。人の振り見て我が振り直せと言うが、何かに気付いただけでもお釣りがくる気がする。


生き続けるのはしんどいけれど、まぁそれでも死ねないうちはこうして健やかに生きていたいものである。