お金がほしい

お金がほしい

2020年10月をもって更新をストップします。永らくのご愛読ありがとうございました。

パカッと開けるタイプのスマホケースが欲しい人生だった

あの、なんていうの。
パカッと開けるタイプのスマホケースを所有したいという業の深い考えが湧き出でてしまった。

僕は現在、本体に傷がつかぬようにと外郭を囲うタイプのはめ込み式ケースと画面フィルムをもってスマホ防御に充当しているのだが、そんなことよりもパカッと開けるタイプのヤツがほしい。
調べてみると手帳型ケースというらしいのだが、何でもいいからアレがほしい。


けれども、こう書くと「欲しいのだったら買えば良いではないか」と進言する読者皆々様の温かいお声が聞こえてくることもある。
しかしながら、僕という人間は欲望に真っ直ぐ生きておらず、而して淀み行き場を失った思いをブログというメディアを介し発信することでどうにか命を繋いでいるのだ。

僕は、そう。
無性にキャベツ太郎が食べたくなったからといって数年ぶりにスーパーの駄菓子コーナーに足を踏み入れることもなければ、大義名分を盾にアリアナ・グランデの胸を揉みしだくような牧師にもなれない。

けっきょくのところ、今こうやって「アレがほしい」「コレがほしい」と思っているこの感情だってあくまで一過性のものであり、言ってみれば流行を追い求めているだけではないのかと。
そう自分に言い聞かせているうち、購買意欲というものは実際逓減してゆく。


僕は知っている。
手帳型スマホケースは、開けるのが面倒臭いのだと。

急に電話がかかってきたとき、ただでさえポケットからスマホを取り出すという作業が億劫であるのに、あまつさえボタンを外してカバーを背面に折り畳むという手間が増えるのは、きっと針の筵に座らされた気分になること間違いなし。


僕は知っている。
手帳型スマホケースは常にカバーが落ちてこないよう強くホールドする必要があるため、手や腕の筋肉が疲れるのだと。

ベッドの上で仰向けになってラインを返そうにも、ボタンのついた突起の部分がブラブラと垂れ下がって気になってしまうのではあるまいかと。


僕は知っている。
手帳型スマホケースは値が張る割に融通が利かず、決してユーザビリティ評価が高くないことを。

モノによってはカメラで写真を撮るためにカバーをずらさねばならないものもあるだろう。カバーを変えるにしてもスマホの背面に強力な粘着シートを貼っているため、取替え作業に手間がかかることもあろう。

 

僕は手帳型スマホケースを使ったことが一度もないけれど、使用せずともその欠点くらいはなんとなく理解している。
なにせ、あまりに欲しかったせいだろうか勝手に脳内でシミュレーションしているうち、使ってもいないのに「手帳型は使いづらいなぁ」とか思い始めたほどの末期症状。ヤダ、この子危険だわ。


けれども、そういった欠点をひっくるめて僕は一度でいいから手帳型スマホケースを使ってみたい。
良いところも悪いところも、この僕が愛そうではないか。もしかして僕ら、結婚する運命にあったのではないだろうか。

 

駅の改札口で手帳型ケースをピッとかざして颯爽と歩き去ってゆく人たちがめっちゃかっこいいんだよ。
レストランで、ただスマホを机上においているだけなのにお洒落なインテリアのごとくスマホケースを見せびらかす人たちがたまらなく羨ましいんだよ。
定期券の話になったとき、こっちが財布からカードを出す間に相手がスマホケースからスッと引き抜く姿を見ると負けた気分になるんだよ。


なんといっても、やっぱりおしゃれじゃないですか。
普段から服装や髪型にさほど時間を費やしていない僕だけど、さすがに最低限鼻毛を切ったり汗臭い服を着替えたりと不潔さは取り除こうと努力している。

ようするに、手軽で手頃で手近なファッション性というものを、僕としては望んでいるわけだ。


するとどうしても、現代社会においてなくてはならないスマホケースという代物に目が行くのはもはや自然の摂理ではないのか。
財布はずっと前から様々な変遷を辿ってきて、色々なトレンドを生み出し安定してきた。そしてこれは僕の考えだが、あと十年もすれば財布を持って外出するという機会も減ってくると思う。

コイニーや中国のアリペイなどの決済方法が世界標準になれば、おそらく銀行はつぶれ革製品業は衰退し、諭吉さんなんてドロップ率のかなり低いレアアイテムと化すこと請け合い。
皆さんお気づきの方も多いだろうが、メルカリはもはや銀行と同じことをしていてキャッシュフローが規格化されつつある。


・・・なんてことは今は置いておいて、そういうわけで財布にはもはや機能性しか求めていないのだ。
しかしスマホケースというのは新興の、いまだ発展途上にあるファッショナブルなアイテムである。未来があって希望がある。


よって僕は惹かれてしまうのであろうが、しかし「欲しい」という気持ちとは裏腹に、手帳型のスマホケースを今後僕が持つことはないだろうという気もなんとなくしている。
今の時代、手帳型スマホケースが一人勝ちする未来を僕は想像できない。

だって考えてみて欲しいのが、数年前までスマホにキーホルダーをつけるのが当たり前だったはず。
それが今では、誰一人としてアクセサリーをつけている人はいない。キラキラしたデコレーションを貼り付けたり、ズボンポケットのチェーンと繋げるような人は今や絶滅危惧。


つまり、日常的によく使うものに関して人間というものはデザインよりも機能性を重視するのではないだろうか。
包丁は「かわいい」よりも「切れ味がいい」ほうが断然良いし、ノートなんてデザインよりも価格重視でしょ。

 

僕は流行ではなく趨勢を捉えたい派の人間なので、いつか世間が流行に飽きたときに残ったものが、僕と同じものならいいなという、ただそれだけを今は望んでいる。