お金がほしい

お金がほしい

先に謝っておきます。ごめんなさい。

洋服を買いに行く洋服がない

人間の三大欲求と言えば「食欲・性欲・睡眠欲」であるが、これらと同等以上に人間にはもう1つの欲が備わっていると思う。

それは「物欲」だ。


・・・あれ、もしかしてどうせコイツのことだから「排泄欲」って言うと思った?
残念、今日は真面目モードでした。

ともあれ人間、生きていれば何かしらの物欲が湧いてくるものである。

好きなアーティストのCDがほしい、ストックが切れたからティッシュがほしい、自分へのご褒美にデザートがほしい、とか。
重要度や大小に差はあれど、多分誰しも1日に1回は「何かがほしい」と考えることがあるはず。


そもそも物欲というのは、性欲とか食欲とかそういった本能に根ざした欲求とは少し違うところにあると思う。
もちろん欲求というのは感情なので理性よりは本能に近いのだろうが、それでも「生きるために最低限必要な欲求」とはやや離れている。


では物欲と密接な関係にあるのは何か。
それは社会である。

特に女性社会において、物欲と社会というのは切っても切り離せない関係にあるのではないだろうか。

女性がブランド物のバッグがをほしがるのは、本当にそれがほしいのではなく社会的なステータスを獲得するためにある。
機能ではなくデザインを重視するのもきっと、誰かに「ダサい」と思われたくないという思いの表れなのだろう。


そしてそんな女性が人一倍気を遣う買い物が、そう。
洋服である。

おしゃれとはまさに美の象徴であると言わんばかりに、中高生ですら頑張ってファッション雑誌を買い込むほどの気の入れよう。
もはや洋服とは着るためのものなのか買うためのものなのかよく分からなくなってくる。


さて、そんな洋服であるが、僕はここ1年のあいだ1着たりとも新調していない。

いまだに高校生のときに買った服を多く着ているし、なんだったら中学生からのものもある。
もちろん数年前に購入した衣類もあるけれど、そもそも買い物という行為自体あまり好きではないためなかなか足が向かない。

それにほら、今ってたかがTシャツ1枚に3000円とか出さないといけないじゃない。
たまに1枚1000円とか、3枚買ったら3000円とかもあるけど、そういうのって無地とか地味なヤツが多いし。


服を手にとってカゴに入れてレジに向かうまでの間、「今後どれくらい着るのか分からない服のために3000円も出していいのか?」という自問自答がスタートしては結局棚に戻すということが多くなった。

だって3000円ってアレよ。仮にアルバイトで時給1000円だとしたら3時間分の給与と同等なのよ?
「汗水たらして働いて得たこの3000円を、こんな布切れ1枚にポンと費やしてしまっていいのか...?」なんて考えた日にはもう財布なんて開けられなくなっちゃうでしょ。


と、てなわけで洋服の購入から遠ざかり、更には洋服店にすら入らなくなってしまった僕。

気付けば持っている服は色褪せ毛玉が付着し、なんだかもうじき乳首が透けて見えちゃいそうなレベル。


だからここ数ヶ月、さすがにマズいかなぁと思いなおして洋服店に向かおうとしたのだが。
しかしここで困ったことが起きた。


そう、洋服を買いに行くための洋服がない。


洋服店というのは、ブランド店ほどではないにせよ「おしゃれ」とか「小ぎれい」とか、それなりに来る者を制限するはたらきがある。
おしっこの臭いを漂わせるホームレスがBeamsとかグローバルワークとか普通に考えて入らないし、店側もそんな客を想定していないだろう。

だから最低限、服を買いに行くにあたっては身なりを整える必要がある。

それに洋服店の店員というのは人並み以上におしゃれに気をつかっている人が多いわけだから、下手な格好をしていくと「え、あの人あんなダサい服着てウチの店入ったの?」とか「お前みたいなやつがウチの店の服着るんじゃねぇよ」とか思われてしまう。


いや、実際そんなことは思われていないだろう。
一応はコッチだって客だし、金さえ払ってくれれば別にどんな客だろうと問題は無いはず。

ただ、見てくれに自信がないとどうしても卑屈になりがちなのさ。
心の中で勝手に被害妄想膨らませて、その結果どんどん遠のいてしまっている。


しかし、だからといって通販に頼る域には達していない。

衣類の通販って結構リスキーなんだよね。
カタログで「おっ、これは!」と思って買ったら質感が想像以上にちゃっちかったり、色合いがダサかったり。

もはや「これは詐欺ではないか?」と勘繰りたくなるレベルで、「※写真はイメージです」という文言すべてに疑心暗鬼が止まらない。


てなわけで「洋服を買いに行く洋服がない」というのはジョークっぽい響きがあるけど、今の僕はマジで笑えない。
ほんと、笑えない。