サンタクロースという存在
少々、というかだいぶ季節はずれな気もするが、今回はサンタクロースという存在について綴ってゆこうかと思っている。
でも僕みたいな人間は元々時代に逆行しているというか、最初から季節はずれみたいなものなのでもはや誰も気にしないだろう。
というわけで気兼ねなく書きます。
まぁ気兼ねがあっても書くんだけどさ。
さて、ところでコヤツ。
一体何者だろうか。
クリスマスになると世界中の子どもがいる住居に不法侵入してプレゼントを枕元に置くだけのおじいさん。字面だけ見るとサイコパスすぎる。
でも驚くことに、彼の存在を本気で信じていた時代もあった。
誰もが心の隅では「なんだかおかしい気がする」と思いながらも、それでも彼という存在を信じてやまなかった、そんな心清らな時代もどうやらあったらしい。
今になってちゃんと考えれば、あんな設定ガバガバな人物像をどうして盲目的に信じられていたのだろうかと自分を疑ってしまう。
一夜にして世界を回るのも不可能であるし、プレゼントの受付口が電話というのも無理があるし、というかウチにそもそも煙突ないし。
もちろん小学生のときにも、「サンタさんってホントは親なんだよ」というネタバレ厨も少なからず存在し、かと思えば「親からサンタさんの電話番号を教えてもらった」という奇怪な言動を繰り返してクラス中の注目を集めようとした人もいた。
こんな感じで存在も定義も意味も分からないのに、それでもサンタクロースという存在について調べようと思わなかったとは我ながら驚きである。
まぁ僕は小学校高学年のとき、睡眠が浅かったためうっかり現場を目撃してしまったのでそこで現実を知ったわけだが、それでもその後数週間は「あれは夢だったんじゃないのか」とまだ理想を捨てきれずにいた。
そこにトドメを刺したのが従兄弟の母親である。
僕の従兄弟は1歳年下で、僕が6年生のとき彼は5年生。今では髪を染め髭を伸ばしボブマーリーみたいになっているが、それはまだ彼が純朴だった時代のこと。
彼らの家族は12月20日あたりから25日まで家族旅行に行っていて、24日の夜は家を空けていたのだという。
しかし彼らの親は旅行出発日の朝、気付かれぬようそっとプレゼントを置いてから玄関に鍵をかけたのである。
すると25日の昼、自宅に帰ってきてみると出かける前には無かったはずのプレゼントがそこにある。
実のところ従兄弟も「サンタクロースは親なのではないか」と疑っていたらしいのだが、この出来事により「お母さんもお父さんも一緒に旅行中だったのだからプレゼントを置けるはずがない」として容疑を否認。
そこから数年間はちゃんと信じていたのだとか。
なかなかの策士である。
ところがこの一連の話を「お前はもう信じていないだろうけど、うちの息子はこういう事情でまだ信じているみたいだから話を合わせてやってくれ」と従兄弟の母親が僕に話してきたのだ。
この瞬間、全ての夢が泡と消えた。
でも、それで良かった。
ちなみにオーストラリアは12月というと真夏だから、サンタクロースがサーフボードに乗ってやって来るらしい。
日本とはまったく違いマス。
それに、よく映画でアメリカとかイギリスとかのクリスマスシーンなんかがあると、一般的にこういう光景がイメージできないですかね。
爆買いしすぎでしょ、と。
平均するとクリスマスプレゼント代で10万円近く消費しているのだとか。アベノミクスどころではない経済活動。
それから、全然関係ないけどカーネルサンダースにサンタ服着せたらかなりの親和性だと思うんだ。
本当に関係なかった。