お金がほしい

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2020年10月をもって更新をストップします。永らくのご愛読ありがとうございました。

台湾旅行記 その1

さて、今回は台湾旅行中の小話を書いていこうと思っているのだが、前置きに時間を費やしてしまう前にさっさと話を進めよう。

いや、ほら。
ブログに着手したばかりの頃はいきなり本題から入ったり、言いたいことだけをひたすらに捲くし立ててスッキリしたらさようならなど、非常に独り善がりな文章が多かった気がする。
それを数ヶ月前に悔い改め、それからは緩衝材のように前置きをつらつら述べることで「丸くなったなぁ」という雰囲気を醸し出そうとしていたのだが、最近またまた気付いた。

前置きが長すぎて主題がどこに行ったのか分からない!ということに。

なのでね、今もほら、ここまでずっと前置きなんだけど。
さっさと飛ばして本題に入りたいと思います。どうもお騒がせしました。


というわけで何年か前の高校修学旅行までタイムトリップ。

そう、あれは真夏日
空港から出た瞬間、溶けるような熱風が頬を掠めて通り過ぎていった猛暑の昼下がり、僕たちは台湾に到着した。

ちなみに僕たちの高校は修学旅行先がオーストラリアと台湾の2択で、オーストラリアは30万円。台湾は10万円ということでビンボーな僕の家は台湾旅行をセレクトした。
でも正直僕は旅行そのものが嫌いというかあまり好きじゃないので、オーストラリアのほうが良かったなぁなんて一度も思っていない。いやこれはマジで。

話は戻り台湾の緯度は日本の石垣島とほぼ同じなので、夏はとてつもなく暑い。
夏に沖縄旅行するなら絶対海に行く目的だろうに、それよりも暑いスポットで僕らはひたすら観光地めぐりをした。

だが、この修学旅行の目的は単に異郷の地を訪れることだけではない。
一つ前の記事にも書いたが、実際僕らは現地のホストファミリーに出迎えてもらい一泊だけ寝食を共にすることになっていた。


そして迎えた3日目。いよいよホストファミリーと対面する日である。

僕たちは中型バスに乗り、ある台湾の高校を訪れた。
そこはかなり近代的なつくりの校舎で、立派なロビーに現代芸術的な彫刻まで日本の学校ではあまりお目にかかれない雰囲気のある場所だった。

バスを降りた僕たちは案内されるままにその高校の一室に入り、現地の日本語教師のもてなしやひとりひとりにフルーツの盛り合わせを出してもらったりと手厚い歓迎を受けた。
そこでしばらく歓談に興じているとガラガラとドアが開き、生徒らしき人物が数名入ってきて拙い英語やら日本語やらでコミュニケーションをとった。

後で聞いた話によると、彼ら彼女らはどうやら日本語専攻の学生だったようで、向こうの質問に返事をすると「kyaa-!!」という黄色い悲鳴を発しながら喜んでいた。
どうやら言葉が通じたことにひどく感動したらしい。


そうこうしているうちに、ホストファミリーが続々と到着したという情報が入った。
引率の先生の「ホストファミリーが迎えに来たらそのまま付いていってもらって、また明日ここで会いましょう」という言葉どおり、僕のホストファミリーよりも先に来た人たちは僕の友達を連れて扉の向こうへと消えていった。

僕のホストファミリーが到着したのは、それから随分と経ったころだった。
とはいえ実際「少し遅れる、と連絡が入った」との旨を引率の先生から聞いていたのでそれほどやきもきすることもなく気長に待っていようと思っていたくらいだ。その分彼らの到着は予想よりも早かったといえる。

到着したホストファミリーは、僕と同じくらいの背丈で人の良さそうな笑顔の学生と、やや太った母親らしき人物の2人だった。
そこでお互い簡単な挨拶を交わしてからその部屋を後にし、3人は車に乗り込んだ。

しばらく走ると町の廃れた工場のような場所に車が止められ、そこで降りるよう言われた。
ここがホストファミリーの住処らしい。

工場にはタイヤやらよく分からない工具やらが雑然と置かれていて、その砂埃の混じった地面を少し進むと玄関らしい扉が顔を出す。

促されるままに中に入ると、キャンキャンとうるさい小型犬が僕たちを出迎えた。

僕はあまりイヌネコが好きではないが、嫌いというわけでもない。
それにそのイヌはたちまち僕に懐いてくれていたようだったので、居心地の悪さは感じなかった。

それからホストファミリーの学生くん(※以降:少年)に居間にある大きなソファーに座るよう言われ、その足で「ちょっと待ってて」と2階に上がっていってしまった。
運転していた母親らしき人物は駐車場が遠くにあるらしく、そこまで車を置きに行っていたため残されたのは僕ひとり。

知らない家にひとりきり(正確には犬がいるが)にされた僕は、借りてきた猫のようにじっとしていた。
時計の針が正確に時を刻む律動と、可愛い見た目をして獣のようにグルルルルと喉を鳴らす音だけが耳に入る。

それから数分と待たずして、誰かが階段を下りてくる音が二つ聞こえた。

姿を見せた少年が「待たせてごめんね」と謝った後で、後ろに立っていた姉を紹介してくれた。
年齢は忘れたが、そこまで離れてはいなかったように記憶している。なにせ向こうも高校生だったし。

その姉は非常に好奇心旺盛というかコミュ力が高く、もしかしたら少年よりたくさん会話したかもしれない。

まぁ会話とは言っても通じる言語が英語しかないうえ、その英語ですらお互い覚束ないがゆえに筆談がメインだった。
「What is your hobby?」とか「How often do you masterbate?」とか、そんな他愛もないことばかりの内容だった。

ちなみにどちらかの質問は嘘です、どっちとは言わないけど。

それから例のクソマズ昼食に連れて行ってもらった後、僕たちは三度車で家へと引き返していった。

しかし帰るや否や例のソファーでふぅとひと息つく間もなく、少年はまた何処かに出かけるのだと僕に言う。

 

ただ、僕はそのとき高校の制服を着用していたのだ。着替えも翌日の制服しか持っておらず、その格好で街中に出るのは少々躊躇われた。

だがそう感じたのは僕だけではなかったようで、母親らしき人物と少年が台湾語で何かしばらく話した後、少年は自部屋から着替えを持ってやって来た。

ワインレッドのジーンズに灰白色のTシャツ一枚、実に無難なチョイスだったため気兼ねなく借用した。

 

ただし、ここで出かけたのは僕と少年の2人だけだ。母親と姉を家に残し、僕は少年のバイクの荷台に乗って家を離れた。

ちなみに台湾をはじめタイやインドなんかの国々ではバイクの普及率がアホみたいに高い。

よくテレビか何かで大量のバイクが信号待ちしているような写真を目にしたことがある方も多いと思うが、まさに僕もあの光景の一部になっていた。

 

というわけで意外と長くなってしまったのでこの先はまた次回。