お金がほしい

お金がほしい

2020年10月をもって更新をストップします。永らくのご愛読ありがとうございました。

近所づきあいと教育づきあい

今日の夕刻。
斜陽がカーテンの向こうから射し込む黄昏どき、ピンポーンという呼び鈴が我が家に鳴り響いた。

宅配便か何かの勧誘かと思い、僕は仕方なしに重い腰を上げて玄関へと向かった。

いつも思うのだが、呼び鈴や電話というのは卑怯だ。
例えば揚げ物を180度の油につけているときも、家族と真剣な話し合いをしているときもお構いなしに鳴り響いて日常にズカズカと介入してくる。

実に一方的で手前勝手な文明の利器。
だが、僕がそれを他人に強要してしまう機会もゼロではないから自分だけ被害者面しても仕方がない。

そういうわけで、僕は普段よりも1トーン高い「はーい」を扉の向こうへ返しながら適当な外履きに足を突っ込み鍵を開けた。


すると、そこには2人の人間。
1人は30代から40代くらいの男性。もう1人は小学生の男の子。

見るからに家族と思しき様相であった。

そしてさらに情報を付加するとしたら、小学生男児が耳の劈くような声で大泣きしていた、ということだろうか。


まぁつまり。
僕が玄関を開けると、親に連れられた子供が大泣きして立っていたのだ。


正直、状況が飲み込めなかった。
当初は何かのドッキリかと思ったが、それと同時に自分が芸能人じゃないことも思い出した。

ならばこの状況は何だろう。
僕は一体どう対応するのが正解なのだろう。


そんなことを脳内で巡らせていると、父親らしい男性がおもむろに口を開いた。

「すみません。さきほど公園でサッカーをしていたら、ボールが車にぶつかってしまいまして」

実に優しい声だった。
うっかり惚れるところだった。


だがなるほど。
その説明だけで僕はすぐに合点がいった。

というのも、僕自身が幼い頃家の前でサッカーをしていて隣の家の車にぶつけてしまった事が度々あった。

そしてその度に「しまった!見つかる前に隠れろ!」と咄嗟に物陰に隠れて・・・って最低ですね。
もうこの頃から僕の下劣さは芽を出していたようです。


そしてそんなあるとき、暴発したボールが10メートル近く上昇してのち隣の家の壁に激突した。
するとたちまち玄関から大人が飛び出してきて、僕と一緒に遊んでいた姉はこっぴどく叱られた。

それがトラウマとなって、以降は隣の家の加藤さんが大嫌いになった。

以上、回想終了。


そんなことがあったから、男の子が泣いている理由がすぐに判然とした。
「他人の家の車を傷つけてしまった=悪いことをしてしまった」という自覚があるからこそ、これから怒られると思い込んでいるのだ。

現にその男の子は目を真っ赤に腫らしながら僕を見て「イヤだ!イヤだ!イヤだ!」と続けざまに絶叫していた。

そして自己防衛なのだろうが、その子どもにとって僕は敵だ。
よって僕を見つめる眼光は鋭く、眉を寄せて威嚇体勢をとっていた。

するとなんだか僕という存在そのものを否定された気がして若干傷ついたわけでもないわけでもないが、幸いその気持ちを汲み取るのは容易だった。

そして過去の自分とその子を重ねてジェントルな気持ちになったと同時に「自分も大人になったんだなぁ」としみじみ感じた。


つまり端的に言うと、僕は教育のダシにされたということだ。
なんて書くと少々陰険に思われるかもしれないが、他に表現が思いつかなかったのだからしょうがない。

悪いことをしたら謝る。
当たり前のことだが、なかなかできないことだ。それをわが子への教育としてちゃんと全うしている姿を見て、僕は心の中で泣いた。

まだまだ日本も捨てたモンじゃないぞ、と思った。


ちなみに車のキズは大したことがなかった。
最近のサッカーボールは人工皮革でできているので、相当な衝撃をもってしてぶつからなければ傷はつかない。
そんなことはこの身をもって充分に承知していた。


だから僕は腰を屈めて「大丈夫だよ」と優しく諭し、すると2人はお辞儀をして帰っていった。
男の子は怒られないと分かると途端に泣くのをやめ、それでもまだ僕を警戒しているようだった。


なんて勝手な生き物なんだと思う。
でもきっと、そんな時代が僕にもあったのだ。

手を繋いで帰る2人の背中を見ながら、ふとそんなことを思った。