お金がほしい

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2020年10月をもって更新をストップします。永らくのご愛読ありがとうございました。

ようやく「君の名は。」を観た【ネタバレあり】

もうかれこれ1ヶ月以上も前になるが、テレビで「君の名は。」が初放映された。

その当時、平均視聴率が17.4%と高数値を叩き出したのも当然の反応。
映画の興行収入が200億円越えという、「千と千尋の神隠し」以来の大台突破を達成した映画だ。

そりゃ映画を観に行った人も行っていない人も、テレビでやるならばとチャンネルを合わせた人も多かったはず。

あれだけ話題になって、社会現象とまでいわれた映画に対して1ミリも興味を抱かないというほうがむしろ難しいだろう。


というわけで僕もちゃんと観た。
予めハードディスクに録画して、あとでしっかり観てみようと、そう思っていた。


でも正直、録画した番組って「まぁ別に観なくてもいいかなぁ」と結局デリートしてしまうこともしばしある。
それが本当にどうしても観たい番組とか、途中まで観ていて続きが気になっていたものとか、そういうのはすんなり再生ボタンに手がいくのだが、しかし映画となると話は別。

「今ここで再生ボタンを押したら、これから2時間近くはテレビの前で拘束されるということなんだよなぁ。今から再生したら終わるのが○時か、ちょっと遅くなりすぎるかなぁ」なんていう葛藤が自然発生してしまう。
そもそも、僕は映画があまり得意ではないのだ。

映画館に行けば、もちろんエンドロールが終わって場内にライトが灯るまでちゃんと観る。
自宅でも、一度見始めてしまえばラストシーンまでは必ず付き合う。

もしラストだけが運悪く録画できていなかったら、それはレンタルビデオショップに借りに行ってまでして最後まで観ることだろう。


だが、映画を観始めるのというのは個人的に体力気力を著しく消費するのだ。
ともすればマラソン1時間を自分に課したときの、その走り始めくらいキツい。

だからこれまで「君の名は。」が録画リストにあることは知りつつも、観ない理由を見つけては視聴から遠ざかっていた。


しかしこの度、僕はその逃避行からの帰還を果たし、ついに「君の名は。」を観ることに成功した。

一度観てしまえばなんてことはない。それが深夜の23時だろうと「もう1回観てみようかな」という気持ちを抑えようなどとは思えなくなる。


正直に申し上げると、とても良かったと思う。

たしかに観終わった後は、僕特有のリア充アレルギーを発症してむず痒くもなった。

そして世間で批判されている「テンプレとありきたりでコテコテな展開」みたいな風潮にも、一定の理解はある。
間違いなくテンプレもあったし、「こりゃティーン世代が好きそうだな」とも思った。


でも、個人的には良かったと思う。今のところ批判とか批評とか、そういう類のものをするつもりはない。


なんだかんだ言いつつも、映画はハッピーエンドがいいのだ。

だってそうでしょ、勝手に他人の人生見せられて巻き込まれて、それでもってどん底のままフィニッシュとか後味悪すぎでしょ。
だからありきたりでもテンプレだろうと、後味スッキリ終わってくれたので満足。

続編望んでいる人とかいるけど、これはもうこのままで完結しているので、きっと続編をやったら駄作になるでしょう。
絶対やらないほうがいいと思う。


というわけで、ただただ感想を述べてゆくというのも少々味気ないので、秒速5センチメートル同様にちょっとした考察でもしてみようかと思う。

よって、以下ネタバレありです。
イヤな方は今のうちに戻るボタンを押してこのブログの存在もろとも記憶を抹消したほうが身のためです。


と忠告もしたところで、何を考察しようかと考えたのだが「なぜ入れ替わりの相手が瀧くんだったか」について書いてみようと思う。

本当は映画内でたびたび登場した鳥や彗星の役割なんかも書きたかったけど、ちょっと難しそうだし何よりめんどくさそう。
ブログが億劫になるのは避けたいので、ここはひとつ大目に見てもらって上の題。


三葉が入れ替わりに巻き込まれる理由は分かった。というか、映画内で語られていた。
先祖代々脈々と受け継がれてきた宮水家の宿命なのだということも、その理由も。

まぁ「入れ替わりよりももうちょっと確実性のある方策を採るべきなんじゃないか?」とか「ちょっとファンタジーが過ぎやしねぇか?」とも思ったけども、映画なのでそこは目を瞑るとして。

だが問題は、どうして三葉の入れ替わり相手が瀧くんだったのか、あるいは瀧くんでなければならなかったのか。

そこが映画内では明示的に語られていない。そしてあまり気にするようなことでもないのかもしれない。


だが、僕は知っている。
深海誠監督は、テキトーに瀧くんをセレクトしたわけじゃないということを。
相手が瀧くんだったことには、必ず理由があるのだと。

そしてそれが映画内で明言されていないのだとすれば、視聴者が読み取るべきポイントではないのかと。
きっとこの映画内にはそのヒントが隠されていて、入れ替わりの相手が瀧くんである必然性もあるのではないかと思った・・・ってなんで「くん」付けしてんの?


というわけで、1回目は脳みそを空っぽにして観てしまったので2回目はそこを意識しながらの視聴。

余談だけど、映画はやっぱり2回以上観たほうがいいよね。
絶対1回だけじゃ情報量多すぎてインプットできていないところとか多いからさ。


んで分かったのは、三葉と瀧くんは背中合わせの、お互いがコインの表と裏のような性格だったのではないかということだった。

具体的に挙げるとキリがないのだが、ざっと

①男と女
②三葉は田舎暮らしで、瀧くんは都会暮らし
③三葉は父親と疎遠。瀧くんは父と2人暮らしで、仲は悪くないと思われる
④瀧くんが(弱いくせに)喧嘩っ早いのに対し、三葉は温柔敦厚で誰にでも優しい

くらいはすぐに思いつく。

ちなみに②に関して、三葉が劇中にて「来世は東京のイケメン男子にしてください」と発言していたことも思い出した。
これも結構今考えれば意味深というか、フラグ的な役割がありそうな気もするけど今回はまぁいいや。


そしてこれらのことを踏まえ、映画「君の名は。」におけるメッセージを思い浮かべてみると、きっと誰しもがまず初めに「結び」というキーワードを想起するだろう。

宮水の御神体に向かう最中に一葉が話していた内容や、三葉が髪につけていた組み紐なんかがそれにあたる。
まぁこれはこじつけ理論っぽくなるが、三葉と瀧くんが「入れ替わり」を経て結ばれる未来を予期してしまうのも、あるいはそうかもしれない。


そしてこの「結び」だが、思い返せば主に三葉側からのアプローチが多かったように思う。

上に書いた「結び」の話も宮水家の場面であり、三葉の髪留めも、奥寺先輩の破れた制服を縫い直したのもまた然り。
それからちょっと強引だが、奥寺先輩と瀧くんの仲を取り持った(結ぼうとした)のも入れ替わり中の三葉による部分が大きかった。

対して滝くんはというと、三葉の陰口を言っていた相手に喧嘩を売るような態度をとったり、せっかくのデートが散々な結果に終わったりと、映画内ではあまり「結び」の印象がなかった。


だがしかし、これこそが「入れ替わり」の相手としてふさわしい理由だったのではないかと。

三葉に無いものを瀧くんが持っていて、瀧くんに無いものを三葉が持っている。
「結び」とはつまり離れていたものを繋ぎ合わせることを言うので、逆説的に考えれば「離れているもの」がなければ、結ぶことはできないのだ。

だから三葉と番になるのは、上に4つ挙げたような対照的な属性がある人物。いうなれば、映画内の1つのキーワードである「かたわれ」こそが瀧くんだったのではないかと考えた。


まぁ要するに、瀧くんには三葉に無い「分断」の力がある。
だから「三葉が死ぬ」というその運命そのものを分断するために、瀧くんという存在が必要だったのではないかと。

あんまり説得力が無い上にあまり自分でも納得していないんだけど、一応これで説明がついたと思う。

 

正直僕はまだ「君の名は。」を2回しか観ていないのであんまり深い考察はできない。
きっと気付いていないだけで考察できる部分はもっと沢山あるはずだが、自分が疑問に思った点はせいぜいこの程度であった。

まぁちょっとだけ注文をつけるとしたら、ことあるごとに三葉に突っかかっていた3人組がその後どうなったかというのが一切触れられていないのが気になる。
別にアイツらがのたれ死んでいようがちゃっかり生きていようが僕には関係の無いことだが、しかし三葉の性格上彼らを見殺しにするとは思えないので、そういった面も含めて3人のその後が気になった。

 

それから、この映画はやっぱり10代が観るべき映画だと思う。

・・・未だに後悔しているのが、この映画を成人男性2人で観てしまったというその1点に尽きる。