お金がほしい

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2020年10月をもって更新をストップします。永らくのご愛読ありがとうございました。

木と林と森の諍い 葛藤篇

イヤなことを先延ばしにするのが人間の性だということは重々承知している。

現に僕もイヤなこと苦手なことから逃げて逃げて今こうして生きている。
そりゃ時に立ち向かわざるを得ない時だってあったけど、基本的には自分に都合の悪いことはしたくない。見たくない。聞きたくない。


でもそうやってこれまで何とかなってきたし、これからもきっとそうしてしまうだろう。
たとえそれが、解決に至らないと知っていたとしても。


とはいえ、これ。

ex-finprethe.hateblo.jp

なんだこれ、おい。

 

人間には立ち向かうべき現実とか忌避すべき事柄とか、そういうものが生きている上で必ず訪れる。
そうした中において、自らの意思によって「選択」することで己の道を切り拓けるものだと思っている。


だが、それにも限度があろう。
逃げるときは逃げていいし、立ち向かうときは死ぬまで戦い抜けばいいと思う。でもやっていいことと、やってはいけないことの分別くらいは、きちんと弁えておきたい。


ひるがえって上の記事はなんなんだ。
「大林」と「小森」がどちらのほうが強いか、なんて一体誰の興味をそそるだろう。


きっとこれを仮に解決したとて、誰の役にも立たなければ誰の得にもならない。
しいて言えば、全国の小森さんと大林さんの対立を助長してしまう恐れがあるという、なんたる地球に優しくない記事だろうか。


いっそ「みんなちがってみんないい」とか金子みすゞ風にしめてしまうのもアリな気もする。


だって苗字とか血族なんて自分で決められないうえに一生付きまとってくるし、それが原因となった抗争や論判も後を絶たないのが現状。
それに苗字って意外とデリケートだから、触れないでいるのが一番いいと思う。


イヤじゃん、こんなさ。
1日10人くらいしかアクセスしてくれないブログやっててさ、ちょっとネタに尽きたからボケに走ったら批判の的になって閉鎖とか。

批判されるだけならまだいいけど、この一見なんてことないブログを見て傷つく人とか出てきたらそれこそイヤだよね。
テキトーなことばっか言ってるのに、それを真に受けちゃって心に傷を負わせてしまったら、もうもはや太刀打ちできない。

そして本当に謝るしかできない。
誠心誠意「ごめんなさい」と、床に頭を強打するしか手は残されていない。

 

でももし仮にそうなったら、それは「なんでもかんでも批判する世の中の風潮」とか「ネットに踊らされてしまう無垢なコンシューマー」とかが悪いんじゃなくて、僕の問題。
「勝手にそう思うほうがバカ」ではなくて、「そう思わせてしまったほうがバカ」という考えのほうがきっと、今時の風潮に近い。

 

って結局何が言いたいのか自分でも分からないけども、結局コレも一種の逃げなのだ。

だって「小森」と「大林」のどちらが強いかなんて、マジで知ったこっちゃない。

もういいよ。
「大林」族に大林素子さんが生まれた時点で「大林」の勝ちでいいよ。大林素子と小森純が戦ったら絶対大林素子が圧勝するでしょマジに。

んでアレだよ。
「だったら「中森」と「大林」のどっちが強いか」とかいう疑問とかもう完全無視ね。

大林素子がテレビのオールスター芸能人歌がうまい王座決定戦とかで「北ウイング」を歌えば円満解決。
それでいいじゃない。

 

ホントはさ、「森」と「林」の定義を明確にして、そこから「大」「中」「小」っていう相対的尺度をうまく当てはめようかと思っていたんだよ。
そう考えていた時期が私にもありました。


でもさ。1日あけちゃうとね、「えっ?それってマジでチョーどうでもよくね?」って一昔前のギャルみたいな口調で僕の心が叫ぶわけだよ。
そしたらもう無理じゃん。

「クソくだらねぇ」ってなったら、そこから面白さを見出すのって結構至難の業だよ。


だからもういいや、と。
どうせ僕がここで途中放棄したところで誰も咎めないし、誰も損をしないし、誰も悲しまない。

むしろここで結論を出してしまったほうがいざこざの原因となりうる。


以前にも書いたかもしれないが、世の中には敢えて不安定なままにしておいたほうがいいモノだってたくさんある。
それこそ今の日韓問題とかアメリカとの国交とか、問題を先延ばしにしているうちはなんとなく「平和」な感じがするものだ。

もちろんそれがイイとは決して思わない。
きちんとすべきところは譲り合いもなし崩しも不要。ちゃんとするところはちゃんとすればいい。

でも、ちゃんとしなくてもいいものだってあるじゃない。
問題は問題にしなければ問題にならないとはよく言うが、なぁなぁの関係というのも気持ち悪いけど「不正解」ではないだろう。

不均衡であること自体が均衡を保っているというケースもままある。


かつて僕に「試合終盤に観客席からボンヤリとAチームが勝つなぁと感想を述べるのはもう必要ない」と言ってきた人がいるが、要するにありきたりの結論に導くために事象を問題としてピックアップするなということである。

1+1は絶対に2だし、エジソンは偉い人、そんなの常識。タッタタラリラなのだ。


もう、それでいいじゃない。

というわけで色々と理屈をつけてそれらしくまとめてみたが、つまるところいい結論が浮かびそうにないのでこの問題は一旦保留にします。

もしかしたら2年後とかに「木と林と森の諍い 解決篇」とかいうタイトルで記事を書くときがやってくるかもしれないけど、今回は一旦お預けで。

 

どうか御容赦ください。