お金がほしい

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2020年10月をもって更新をストップします。永らくのご愛読ありがとうございました。

スカート、それは全男子の天敵

おそらくだが、健全な日本男児ならば一度は経験したことがあろうこの問題。
そしてその度に己の儚さと虚しさを噛み締めざるを得ないという、悲しき問題。


別に真正面から向き合わずとも時間の流れとやらがいつの間にか解決してくれるのだろうが、しかしこのことから目を背けた瞬間に僕の青春は終了してしまうのでこの際きちんと対峙することにする。

それが男としての、最低限のケジメであると信じて。

 

さて、僕が今回ブログを通じて論じていきたいのは、タイトルにもあるとおり「スカート」である。

もちろんスカートとは、最近メジャーデビューしたバンドのことでもドイツ発祥のカードゲームの名称でもなく、衣類としてのそれのこと。

一般的に女性用衣類として認知されており、ヨーロッパの兵隊以外ではあまり男性が穿く姿というのも見受けられないが、しかしこの問題。
たかがスカートごとき、と侮ってはいけない。


我ら男子は、このスカートとやらによって幾度となく理性崩壊の危機に晒されてきた。

そのため当然その中には、我慢の限界を迎え冷たい檻の向こう側へと旅立ってしまった同士も多いと思う。


だから我々は一度、この問題をきちんと考える必要があるような気がするのだ。
早々に「くだらない」と一蹴するのではなく、感情を理性で覆うのではなく、自らの愚かしさを受容し認めることで、その先のステップへと足を踏み入れる準備をせねばならない。

少なくとも僕は、そう思う。


ということで早速、スカートの今とこれからについて論じていく。

ただ、今回僕がテーマとするのは、階段ないしエスカレータの下から見えるスカートについてである。

 

昨今の世情では、どういったトレンドのいたずらか若い女性は比較的短いスカートを穿くことも多くなった。

特に女子高生がこぞってスカートの丈を短くしているのなんて、僕からすればまるで見てほしいと言わんばかりの風体だ。


だのにいざ見てしまうと、次の日からは女子生徒が君のことを「チラリズム」とかいうコードネームでうわさし合うようになってめでたく学生人生終了。
翌朝、女子に向かって「おはよう」と挨拶しただけでTwitterネタの肥やしにされること間違いなし。

これでは男子側も惨め、というか憐れである。


それこそ最近では、電車内における痴漢冤罪問題なども社会的に大きな問題として取り沙汰されているが、この問題についても我ら男子は加害者ではなく被害者であるような気もするのだ。

僕たちだって、別に見たくて見ているときと、見たくもないのに見てしまうときがある。

ふと気付けば無意識のうちに見てしまっているときもあるし、本当にどうしようもないのだ。


そう。
言うなればスカートの中は、視界のブラックホール

好むと好まざるにかかわらず、僕らの目は科学的に解明されていない某かの引力によってスカートの中へと引き寄せられてしまう。

だからこれに対抗する手段は一つ。「目を瞑る」という、元も子もない手に頼らざるを得ない。

 

ただ、ごめんなさい。「あっ、見えそうかも」というときは、きちんと拝見しちゃっているのかもしれない。

いや、マジで全然記憶にないんだけども、もしかしたらうっかりガン見してしまっていたのかもしれない。

その先に何があるわけでもないのに、一瞬の奇跡にかけて凝視してしまっていたのかもしれない。


でもね。開き直るようで悪いけど、今そこにある幸せを全力で掴もうと努力することが、一体どうして責められようか。


ほら、みんな最近いいことないでしょ?

年末ジャンボ当たりました?買ってすらねぇよって?

恋人と楽しくデートしました?あ、恋人という存在自体がいないって?

誕生日プレゼントでも買ってもらいました?そもそも友達がいないって?


ね?
どうせね。頑張って努力している人の元に不幸が訪れて、ボケーッとしている人の元にだけ幸運が舞い降りてくるんです。

人生なんてね、数年生きれば分かる。
総決算せずとも大赤字確定路線が通常運転。

そして終着駅は無人駅と来たもんだ。
ふざけんじゃねぇよ。人生なんてクソくらえだ。


だからさ、もういいじゃない。
スカートの中くらい見たって、いいじゃない。

ほら、よく言うでしょ?「いいじゃん、減るモンでもないし」って。


もしそれが嫌ならさ、だったら穿かないでおくれよ。
学生の規定制服なら仕方ないにしても、スカートの裾を押さえながら階段を上り下りしている大学生とかさ、そんなに気になるならやめればいいじゃない。

いや、これが男子側からの一方的な意見の押し付けであって、実際そうもいかない女性同士の暗黙の了解とかルールとかあるのは存じておりますけども、こっちだってね、つらいんです。

ペットの犬にとって、エサが目の前に出されたとき飼い主に「待て!」って指示されるのはとてつもないストレスだとどこかのテレビで言っていたけど、人間だって一緒よ。
理性というのは欲求を抑えるためにあるんだから、ましてや無意識の欲求なんて常に気を張り巡らせていないと防ぎようがないじゃないのよ。


僕たちはどうしたって、エスカレーターの上にスカート女子がいれば見てしまうし、上り階段では絶妙な角度を常に模索し続けている。

あ、ちなみに一番見える確率が高いのは45度の角度らしいですね。ヴィレヴァンの本に書いてあった。
ってどこだよ45度。


でもまぁ結局のところ、二律背反のようだがパンツなんて見たくないんです。

見えたら「うわっ」ってテンション急降下。
富士急ハイランドのジェットコースターもビックリの落差。

 

dic.pixiv.net
まぁここを見てくれれば分かるような分からないような、分かった気になるようなそうでないような感じになると思うが、僕らは別にパンツを見たいわけじゃないんだよ。

パンツが見えるかもしれないという状況下において、その希望が最後まで残されていることを条件にした一種のゲームみたいなもの。
いわば恣意的な未必の故意というか・・・って意味分かんねぇ。


ただ、僕は最近パソコンのやりすぎか視力が段々と落ちてきてしまった。
まぁ裸眼で自動車を運転できるレベルではあるのだが、しかしこれは上述の件においては致命的。

仮に絶妙な角度を見つけ出したとしても、その先のスカートがボヤけて見えないというのではもはや意味がない。

 

ちくしょう。
視力が7.0くらいあれば僕はきっとこのグローバルな問題の解決に大いに貢献できたかもしれないというのに。