マーフィーの法則
みなさんは嘉門達夫という方をご存知だろうか。
そう、ギター片手に替え歌やらコミックソングを歌うあの人。
最近ではフジテレビ系列で放送していたピカルの定理なんかにも出演していて、割とお子様世代にも認知度は低くないような気がする。
そうそうこの人。
そんな彼の代表曲としては「アホが見るブタのケツ」や「鼻から牛乳」が挙げられると思うのだが、今回当ブログで彼の名を出した理由は、これらとは別の曲を取り上げたいと思ったためである。
とはいえこれは代表曲でもなければ認知度も高くない曲なんだけれども、「マーフィーの法則」という歌があるのは...まぁ当然知らないよね。
あ、ちなみに嘉門達夫さんってタモリと同期だったりサザンの桑田佳祐さんと親交があったりする、実はスゴいお方なのですぞ。
そしてそんな彼が1994年に出したシングル曲「マーフィーの法則」
これは30年前くらいのテレビ番組のジングルを髣髴とさせるような曲調で、基本的に嘉門さんがただあるあるネタを語り続けるだけの曲。
ただし、今皆さんに注目していただきたいのは歌でも歌詞でもなく、この曲名である「マーフィーの法則」というもの。
「マーフィーの法則」といえば、なんとなく「あるあるネタ」みたいな印象を有している人も多くいるかもしれない。
まぁざっくりと説明すると「マーフィーの法則」とはフレミングとかパレートとかそういう堅苦しい類の法則ではなく、経験や認識による「ある種の法則」をユーモラスに書き記したものである。
具体例を挙げるとこんなの。
バターをぬった面を下にして食パンが着地する確率は、カーペットの値段に比例する。
切符を買う時、自分の並んだ列がいつも遅い。
機械が動かないことを誰かに証明して見せようとすると、動きはじめる。
どうです?「あぁ、これめっちゃ分かるわぁ」ってのが多いと思う。
どうやらそれらを記した本も出ているみたいだけど、別に買うほどのものでもない気がするが・・・
それはさておき。
うっかり忘れていたが嘉門達夫の「マーフィーの法則」
この歌詞についても「うわ、分かるわー」という事例がズラリと並んでいる。
http://j-lyric.net/artist/a00078f/l0113f4.html
ただ僕はこの歌詞に一言申したい。
もう20年以上前の曲だけど、とりあえずクレームをつけたい。
「いや、マーフィーの法則のこと、ちゃんと分かってる?」と言いたい。
「マーフィーの法則は「法則」であって、「あるあるネタ」じゃないのだよ?」と、とにかく言いたい。
まぁこの違いを説明するとなるとちょっと面倒臭いんだけども、でもせっかくここまでつまらない文章を読みすすめてきた読者様には、ぜひ最後まで読み進めていただき僕の意見を理解してほしい。
そして心の中で思いっきり「で?」と叫んでほしい。
まぁ説明するとね、マーフィーの法則をまずご覧くださいよ。
matome.naver.jpいや、この記事に思いっきり【あるある】とか書いちゃってあるけどもう気にしない。
そんなことには屈しない。
さて上のURLをクリックした皆様。
ブログの天敵NAVERまとめをクリックして作成者にチャリンとお賽銭を放り込んだ皆様方。
これって全部、理論としてちゃんと成り立っていると思いません?
つまり、数学で説明がつくものばかりだとは思いません?
まぁ正直なところあまり専門的なことはいえないんだけど、これは認知心理学と深く繋がっていると個人的には思うんです。
例えば3ページ目くらいに「傘を忘れたら雨が降る」みたいな法則があったと思うけど、「傘を忘れた」というのを自覚するのって雨が降り出してからだよね、大概の場合は。
逆に考えれば「雨が降らなければ傘を忘れたことにはならない」とでも言うのだろうか、とにかくこの法則は「雨が降っている」という状況のみで成り立つ。
よって「傘を忘れた」となるのは雨の日である確率が100%・・・でいいのか?
あれ、自分でも何を言っているのか分からなくなってきた。
でも実際のところ、雨の日に傘を忘れていないときもあると思うんです。
いやむしろちゃんと傘を持っていった日のほうが多いと思うんです。
ただ「しまった!傘を忘れた!」って、かなりショッキングな出来事じゃないですか。
「やだなぁ、この雨の中を走っていくのかよ...」とか「このままではピンクの下着が透けてしまう!これまで地味っ子で通してきた私のキャラがぁ!」とか、そういう「失敗」みたいなものって強烈に海馬に記憶されると思うんですよね。
いや、人間の脳ってリスクか危険に超敏感で、そういうことの記憶ってちゃんと忘れないようにできているらしいんです。
よく知らないけどそれを最適化って言うそうで。
だから「分かるわぁ」という感情は、それを思った人がそういった失敗を経験して引きずっているっていうことになるのだと考えられる。
でも嘉門達夫さんの歌詞には、そりゃこれに該当するものもあるけれども、まったく別のものも沢山入っているんだよね。
二人の出逢いは運命だったんだわと言っていたカップルが別れると運命はただの偶然に変わる
これとか。
「いい娘」とは性格のいい娘である
これとか。
確かにこれは「あるあるネタ」としては正解だけど、「法則」としては間違っている。
そんな気がしてならない。
うし、来世ではこれを卒論としよう。
・・・って、なんとなく分かりました?
まぁぶっちゃけ僕自身がよく分かっていないんだけど、もしこの文を読んでマーフィーの法則に興味が出てきたら適当にネットを漁るといいと思います。
きっと僕なんかより数千倍分かりやすく解説してくれている記事があることでしょう。
ただね、この現象って「晴れ男」や「晴れ女」とかも該当する気がしてならないんです。
ほら、よくいるじゃない。
「俺、晴れ音だからさ」って言う人。
いや誰とは言わないけど。
そういえば昔怒り新党で有吉が「お前の力だけではなく、全国の晴れ男が結集して晴れになったんだよ」って言っていた気がする。
「イギリスで晴れさせたらお前の実力を認めてやる」とも言っていたかな。
まぁ日本は1年で雨の日が平均50日くらいしかないので、晴れになる(=雨が降らない)確率は単純計算で6/7程度。
そりゃなかなか雨も降らんわな。
んでこの場合、自称晴れ男くんは「雨が降らなかった日」だけを無意識的に強く記憶しているのではないだろうか。
ちなみにここでいう無意識というのは別の表現で言うところの「思い込み」であり、ついでに雨が降った日のことは(無意識的に)「意識的に」除外している。
そして先に述べたように日本は梅雨を除いてほとんどの場合雨が降らないので、その「思い込み」は回数を重ねより強固な「確信」へと変わる。
それが厄介な「俺、晴れ男だから大丈夫だよ!」という人間の創生過程であると、僕はそう思う。
まぁ個人的には別に「俺、晴れ男だから」と言われるのはどうでもいいというか、面倒だなとは思えどウザったいなとまでは思わないのでそれほど気にしていないのだが、
「今日晴れたのは俺のおかげだから感謝してよ」←これ。
これだけはマジで許容できない。
分かったかい、晴れ男くん。