お金がほしい

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2020年10月をもって更新をストップします。永らくのご愛読ありがとうございました。

路線バスへのただの愚痴

本当にただの愚痴になってしまうが、僕は路線バスというものがそれはそれは大嫌いである。

それはもうね、Twitterが表示されるテレビ番組とかちんこがデカい人ぐらい嫌い。


と言いつつちゃっかり毎日利用している僕であるが、案の定毎日不満が鬱積している。
それならば、と自分でも「だったら使わなきゃいいだろ」って気もするけど、ところが彼此3年近く利用しているんだなこれが。


おいおいツンデレかよ。


でも本当に嫌いなのだ。
都会のバスはまだいいけど、田舎のバスは本当にクソ。

何がそんなにイヤかって言うと、それはもう「乗客」ですよねぇ。


もちろん運転手にムカつくことだってそりゃ多くある。
「いや、黄色で止まるんかい!」とか、乗客はスムーズに降車したのに運転者がのんびりドア閉めているせいで後続車両が大渋滞を起こしていたり、挙げていればキリがないくらい不満はある。


でもバスを遅延させている一番の原因は、やはり僕を含めた乗客だ。


以前にも当ブログ内で書いたような気もするが、僕は第三者に拘束される時間が死ぬほど嫌い。

それは例えば、ただその場に居合わせただけの事件で数時間身動きが取れなくなったとかコンビニのレジ待ち時間とか。
とはいえ基本的には「仕方がない」と割り切っているためどこかにクレームを入れるような真似こそしないものの、それでもやっぱり気分のいいものではない。

だから当然、電車の待ち時間やバスのノロノロ運転なんてそんな僕が容認できるはずがないのだ。


特に僕は基本的に急いでいる。


傍から見れば僕のほうが迷惑千万なヤツだということも何となく理解はしているのだが、所要時間20分ならできれば15分くらいで行きたいし、10時発の電車なら10時になった瞬間に扉を閉めてほしい。
休日ならいざ知らず、平日の僕はそういう考えの持ち主なのである。

そのうえバスからの乗り継ぎとして電車を利用しているため、もしバスが予定到着時刻よりも遅れて目的地に到着した場合には予定の電車に乗れないというケースもある。

都会ならばこういったケースが起きても別にいいのだ。
「あークソッ乗り遅れたか。でも5分後に来るから何とかなるか」
こうやってすぐに切り替えることができる。


でも田舎の電車は違う。
一本乗り遅れたら文字通りおしまいなのだ。


もし仮に急ぎの用ではなかったとしても、乗り遅れたばかりに何もない駅のホームで30分近く待たなければならないという苦痛。
都会人とは別の心労が絶えないのも田舎人の特徴だ。

だから家だろうと駅だろうと、早く到着するに越したことはない。
ホームで無為に時間を消費するくらいなら、せめて電車の中でボヤーッとしていたい。

 

しかしバスの乗客はそんな僕の思惑をことごとく潰してくれる。


混み合った車内でめちゃくちゃ急いでいる風を装った人がズカズカと一番前まで来て、そうかと思えば料金も確認しておらず財布も鞄から出していない始末。
「急いては事を仕損じる」という教訓を得たところで、じゃあ後ろで待っている他の乗客にどう落とし前をつけてくれるんですかね。

これはスーパーマーケットやコンビニのレジでも言えることなのだが、僕はどうしても「いくら払うのかは分からなくてもお金を出すことくらいは分かるのだからせめて財布は鞄から出しておけよ」と思ってしまう。

他にも車内アナウンスで再三再四「両替や現金チャージは信号の停車中などお早めにお願いします」と流れていたのにいざ料金を支払うときになって両替し始める人とか、本当に理解に苦しむ。


僕だってさ、そりゃ小銭を出すのがちょっと遅いとか「このバスは○○に行きますか?」って調べればすぐに分かりそうなことを運転者に訊くような人たちがいても、そのくらいは別に何とも思いませんよ。
常識の範囲内での行動なら誰も咎めないし、後ろ指差されることもないはず。


でも、周りの迷惑を考えないってのはちょっと違う気がする。
特にそれが未然に防げた迷惑だった、という場合。

もちろん人間なんて誰かに迷惑をかけずに生きていくことはできないので致し方ないが、かといって「しょうがない」と全てを容認するのはおかしい。
「迷惑をかけない」ことはできないかもしれないが、それでも「迷惑をかけないように努力する」ことは怠るべきではないと個人的に思う。


要するに何が言いたいかというと、ローカルの路線バスなんて大嫌いだと、そういうこと。

さっさと東京みたいにバスの運賃を一律にして乗車時に料金を支払うシステムを導入してほしいと、そう切に願うばかりの今日この頃である。