お金がほしい

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2020年10月をもって更新をストップします。永らくのご愛読ありがとうございました。

告げ口宣言という残酷なわらべ歌

あーあー
としや君がことみちゃん泣かせたー!

いーけないんだーいけないんだー
せーんせいにー言ってやろー


僕が小学生の頃、このような一連の流れは腐るほど味わってきた。


いっつもやんちゃなとしや君がクラスの女の子(主に打たれ弱いことみちゃん)を泣かせて、そのたびに誰かが唐突にメロディを奏で始める。


一体なぜ急に歌うのか。
お前は劇団四季かよ。


ともあれこのメロディ。
ピアノで弾いてみると分かりやすいかもしれないが、かなり童歌然としている。

メロの音はたったの4つしかないが、逆にそのことが「歌いやすさ」「馴染みやすさ」の観点から高ポイントなのだろう。

しかし、郷愁を誘うメロでコーティングされているとはいえ歌詞の内容は実に残酷且つ無慈悲なものである。


順々に見てゆくと、
「いけないんだ、いけないんだ」とリフレインすることによって対象の行為を一刀両断、社会的に許される行為ではないとして相手を貶めている。

まぁしかしこれは致し方あるまい。

例えば「女の子が告白をし、男子がこれを拒絶」というシチュエーションに耐え切れなくなった女の子が泣き出した、そんな場合においてこの歌を歌おうと考える輩はまずいないだろう。

いつもこの歌がクラスで聞こえるときには、男子側の女子に対する一方的な暴力やいたずら、辱めなどが原因だった。
客観的に見て「これはどう見ても○○君が悪い。非人道的だ」など男子側に悪気があると判断された場合のみ、副次結果としてこの歌がクラス放送で流れることになる。

つまりこの歌は「女の子を泣かせる」という行為そのものではなく、そこに至った経緯が重要なのだ。


そしてその次の歌詞。

「先生に言ってやろう」


これはちょいと議論の余地がなかろうか。

いや、当事者の彼だって悪いことをしたというのは分かっている。
現に目の前で女の子がすすり泣いているわけだし、クラス中からの突き刺すような視線を背中にヒリヒリと感じる。


でもさ、先生の召還って。

いやいやちょっと待ってくれよ。

 

それはもう最終奥義というか強行手段として大事に残していた手札じゃないのか、と。


「あーもう先生に言いつけてやる」
「次やったら先生に言うからね」
「ちょっと先生呼んでくる」


この言葉を突きつけられた側は、もうそれはそれは地獄なのですよ。

「やべぇ、怒られる。終わった。最悪だ。この世の終わりだ」
先生が来るまでこんな思考の無限ループ。

言われた経験がない人は分からないと思うけど、もはや死刑宣告と同義なんです。


いや、本当に悪いことをしたと思っているんだよ。
マジで。

でもみんな見たことあるでしょ?
「先生に言うからね」って言われた側の絶望的な表情、見覚えがあるでしょ?

これマジで怖いんです。

勢い余ってクラスメイトに淫行してしまった翌日の3者面談くらい辛いと思うんです。
いや、したことないけど。

まぁでも、彼も悪いことをしたのだからそのくらいの社会的制裁はあって然るべきだという意見もごもっとも。
そして先生や保護者からのキツい口添えの甲斐あって、彼がその後同じような行為を働かなくなるのならば先生を呼ぶべきだという意見にも同意する。


でもさ、歌わなくてよくないか?


歌というのはね、聴いているとつい口ずさんでしまうんです。
テスト中に知っている歌がどこからともなく聴こえてきたら絶対集中が途切れるし、分からない問題に直面するとゴリゴリのロックが脳内再生されて現実逃避に走るんです。

だから誰かが歌い始めるとね、伝播するんですよ、これが。
クラス一体となったシンガロングinホームルームが起きてしまうんですよ。


これは「帰れコール」とか「イッキ飲みコール」と同じで半ば強制的な空気感染が生じるから、つまり自分を除いた全ての取り巻きが敵になるということ。

たしかに彼は悪いことをした。
「いじめ」てしまったのかもしれない。
言うなれば彼は加害者。


でもこの歌がクラスで歌われたとき、彼は加害者であり、そして同時に集団いじめの「被害者」にもなると思う。

ならばこの歌がその助長をしているのではないのか、という問題提起をして今日のブログを締めくくる。

 

 

 

 

 

やべぇ、ちょっと硬派気取りでカッコいい。