お金がほしい

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2020年10月をもって更新をストップします。永らくのご愛読ありがとうございました。

コンビニの成人向け雑誌

今日はいつも通りなんとなくネット記事を漁っていると、こんな記事が目に飛び込んできた。

headlines.yahoo.co.jp

なるほど、この問題。
たしかに我々日本人にとってはいつの間にか随分と馴染み深い光景になっていたが、

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おかしい。

 

生活必需品の中に堂々と不純物が混じっている。
一番端に置かれているのに異彩を放ちすぎて逆に目立っているものがある。

明らかに変だ。
レンタルDVDでは18禁コーナーに仕切りをつけて、更には防犯カメラを設置するほどの徹底ぶり。

なのに誰でも出入り可能なコンビニエンスストアにはなぜか普通に成人向け雑誌が置いてある。


ってかこんなの最近売れるのか?


そりゃ一昔前だったらネットなんて今みたいに発達していないから、勇気を振り絞って買いに来る人もそれなりにいたと思うけどさ。

んでその場合は「健全」な本と「不健全」のサンドイッチ購入が基本だから、一気に本が3冊売れてコンビニ側もさぞ儲かったことでしょう。


でも今はインターネットがあるじゃないか。

世はまさに大ネット時代。
ありったけの夢をかき集めて探し物を探しに行かなくてもいい時代。


今や勇気もお金も出さなくていい。出すものだけ出せればそれでいい、という考えが罷り通ってしまう時代。

本来ならば金を出すべきなのだろうが、無料で同様のものが手に入ってしまうならばエロ本もCDもDVDも売れなくなって当然である。

そういった時代の煽りを受けて昨今のAV業界はかなり厳しいらしいのだが、いやぁ救ってあげられなくて申し訳ない。ホントに。いやごめんって。

なんかそれっぽい記事あったので貼っておきます→AV業界低迷の背景と、AVの将来性について

 


というわけで個人的にアレは時代錯誤の象徴物だと思っている。
別にオリンピックで来日者数が増えたとき外国人から日本のモラルに疑問を抱かれたくないとかそういうのじゃなくて、単純にコンビニには要らないと思う。

まぁその中には「子供に悪影響」という意見もあるだろうが、しかしそれには賛同しかねる。アレを善なのか悪なのか判断するのは個々の問題であって、頭ごなしに否定するべき代物ではない。

当然子供にだっていつの日か性に目覚める時がやってくる。
その時までに親が子供に性知識一式をひた隠しにしていたら、それこそ悪影響だ。

無菌状態に晒された子が、自力で性知識を頑張って得ようとした結果、息子の息子がSMプレイでしか勃たなくなっていたみたいな事態になってもいいんですか?僕はイヤだ。もっとソフトがいい。

てか外国では性教育をそれなりにおこなうのが普通らしいのだが、どうして日本では保健体育とかいうつまらない授業だけに留めてしまうのだろう。実践とか筆おろしとかカリキュラムに入れてくれりゃいいのに、ってそりゃ無理か。

 

でも思う。やはりコンビニにアレは要らない。ゴムだけで充分。


あ、これだけは勘違いしてほしくないのだが、僕は「成人向け雑誌なんて要らないからコンビニから無くせ!」なんて一言も言っていない。ただ単に要らないなぁと思っているだけ。


性への知識欲ならばドラえもんのしずかちゃんやサザエさんのワカメちゃんなんかで目覚めるだろうし。多分。いや知らんけど。

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見るがよい。この煽情的なもみあげを!
あ、顔から下は18禁なのでお見せできません。悪しからず。

どうしても見たい方は来週のサザエさんをご覧ください。
って制作会社もワカメちゃんのパンツを使って視聴率とろうなんて小癪なものだ。

 

まぁ少なくとも僕はコンビニの成人向け雑誌コーナーで興奮した例がない。
いやむしろ、アレの存在のせいで色々と大変だった。

友達とコンビニに行ったとき、家族とコンビニに行ったとき、もちろん1人でコンビに行ったとき、どんなときでも成人向け雑誌はそこに存在している。

そしてその度に世間体がある手前「敢えてその売り場から目を逸らす」という行為をしなければならず、いつも興味のないマスクや軍手なんかが置いてある棚ばかりを見てあの通りを通過してきた。

ただ飲み物がほしいだけなのに。ちょっとトイレを借りようと思っただだけなのに。
どうして彼らはその行為さえ阻害しようとするのだろうか。


もう懲りごりだ。もうたくさんだ。

せめて聖人向け雑誌とかなら目を向けられたものの、未成年が普通に出入りするコンビニであんなテキトーな柵に「成人向けコーナー」とか書かれてても知ったこっちゃないよ。 


まぁでも、一番おかしいのはこの光景を「当たり前」だと思っている我々の脳みそのような気もしてならないのだが。