すね気とは(哲学)
すね毛とは一体なんなのだろうか。
何のために存在していて、何を守っていて、何と戦っているのだろうか。
そもそもどうして奴らはすねに生えてきたのだろうか。どうして数ある表皮の中からわざわざすねを選り好んでそこに種を撒いたのだろうか。そして何故すねは彼らに生存権を与えたのか。
訳が分からぬ。教えてくれ、ベベベーベ・ベーベベよ。
いや、僕だって髪の毛ならばその存在理由くらい理解している。
紫外線から肌を守ってくれたり衝撃を吸収して脳を守ってくれたり、イケメン風に改造してイケてる雰囲気を出してくれたりとその恩恵は計り知れない。
それに理髪師や美容師なる職業があるのも絶対に髪の毛のおかげ。髪の毛が経済を動かしている。
ただ、髪の毛に対しても些か疑問点はあるのだ。
30歳近くで髪の毛とおさらばしても日本人の平均寿命くらいまで生きている人はたくさんいる事実。それからおそらく一番頭を守るべき幼少期、赤ちゃんの髪の毛はどう見てもその役割を果たせるだけの毛量があると思えないということ。
守るべきときにちゃんと守らず、しかもいつの間にかいなくなっている。
お前はレッズ時代の闘莉王かよ。
ともあれ、特に猛暑日や寒さが骨身に染みる真冬には髪の毛があって良かったな、とは思うのだ。
直に真夏の日光や凍てつく北風なんて食らった日にはきっと今よりもクレイジーな文章を書くことになるだろう。
そんなのはイヤだ。
だから髪の毛には感謝している。そしてできれば長生きもしてほしいと願っている。
しかしすね毛という存在、コイツらは一体どのように肯定してあげればいいのだろうか。
正直生えていても生えていなくても命に別状はないだろう。
すね毛を世界中から消してもすね毛愛好家団体からクレームを入れられることも恐らく無いだろうし、何だったらすね毛移植を待ち望んでいる人物だってこの世には存在しないだろう。
いや、知らないけど。
誰にも必要とされず、存在していても疎まれるだけの存在。なんて書くとちょっと同情しちゃうけども。
でもさ、マジで誰か教えてくれよ。すね毛のいいところ、企画書作るんで誰か教えてください。
すね毛はすねを守る?その毛量で?おいおい冗談は毛並みだけにしてくれよ。
だいたいすねの痛みって「弁慶の泣き所」とまで言われているのに、どうしてあの毛量で守れると思ったんだ?訳分からん。
えっ?あぁ、なるほど。すね毛は男らしさの象徴ね...。まぁ隠れてるけどね...。
いや、別にさ、本当はこんなこと言いたくないんだけどそれってどこに需要あるの?
女性陣がすね毛を指して「ムダ毛」とまで言っている傍ら、男性はそれをどうやってセックスアピールに変換すればいいのさ。
こっちだって別に生えてくれって神に祈ったわけでのないのに、勝手にニョキニョキと生えてきやがってお前は何だよタケノコかよ。
「夏なのに長ズボンで暑くないの?」って何度も訊かれたよ。「見てるコッチが暑いんだけど」って、そらどうもすいませんでしたね。
こちとら半ズボンになったらそれよりむさ苦しいすね毛見せちゃうからって気を遣ってんのに、じゃあどうすりゃいいんだよ。
マジで誰か、教えてください。