もしかして:変態
もしかしてだが、僕は変態なのではないだろうか。
いや、実はそんなこと随分昔から気付いていて、それを見て見ぬフリしてやり過ごしてきただけなのかもしれない。
僕という人間は臭いものに蓋をするどころか、臭くなりそうなものを予めチェックして臭くなる前に蓋をしてしまうような性格の持ち主なので、そこから溢れ出てこない限りは基本的にスルーできてしまう。
自分の愚かさも卑小さもふてぶてしさも、そんな感じでこれまで気に留めようと思う機会が無かった。
だから今になって、ふと気付いた時にはもう手遅れ。
名医もお手上げの末期症状。
僕は変態なんです。本当にごめんなさい。
こんな風にね、RADWINMPみたいに謝っても誰も許しちゃくれないんだけども、でも僕の尊厳を守るためにこれだけは言いたい。
どうしても言いたいからみんな聞いて。
人間ってみんな変態だと思うの。
毎日コンクリートのことを考えている人とか、毎朝通勤電車で女子高生の透けブラを楽しみしている人とか、朝日が昇るまでビール片手に恋人の悪口を言ってる人とか、例外なく全部変態。
ドラえもん全巻揃えている人も間違いなく変態。
全国民変態説とかそろそろ出てもいいレベル。
だから最近だと「変態」が褒め言葉に変わりつつあるのではないだろうかと僕は思う。
普段話さない女の子に「キミって変態だよね」って言うと、「はぁ?ちょっといきなり何言ってんの?」とか多分めちゃくちゃ怒られると思うけど、でもきっとその表情は笑顔に違いない。
あれあれ。
もしかしてだけど、絶対ありえないと思うけど、万に一つも可能性は無いと思うけど、ひょっとしてみんな変態が好きなんじゃないの?
ねぇ、そうなんでしょ。いや、そうに違いない。
誰しも心の中に自らの変態性を隠し持っていて、それに気付くか気付かないか、そしてそれに気付いた時誰かに言うか或いは秘めておくか、ただそれだけの違いだと思う。
というわけでね、僕も変態あなたも変態。そっちの君も、あちらの淑女も。
安倍総理も小池都知事も変態ということで、みなさん認めてしまいましょう。
そもそも僕が自分の変態性に気づいたのが、とある電車での出来事。
状況としては、僕が片手つり革で立っている目の前に腕にしみの多い50代前半あたりのおばさんが電車で座っていて、その人が降りるとき。
そのおばさんが立とうとして前かがみになった瞬間、それまで携帯を見ていた僕の目が気付いたらそのおばさんの胸元をガン見していたという事件が発生したのがきっかけ。
僕には熟女好きという趣味はないし、そのおばさんの面影が元カノに似ていたとか、全然そんな訳じゃない。
ていうか今となってはおばさんの顔がどんなだったかなんて1ミリも憶えてない。
それなのにね、僕という理性的な人間が本能的に視界を奪われてしまった現実を認めてしまったのですよ。
すると計算せずとも自ずと答えは出てくる。
僕=変態
本当はイヤだけど、こんな方程式が成立せざるを得なくなってしまうんだなこれが。
ホントにね、もう気分なんて最悪なのよ。おばさんの胸元なんてさ、見てもただただ悲しいだけ。
クラスで一番ブスのパンツ見ちゃったときみたいな、どうしようもないムカつきが込み上げてくる。マジで胃に悪い。
仮に「100円あげるから私の谷間を見て」とおばさんにせがまれても結構ためらうと思う。まぁそんな状況ありえないけど。
でもそれがさ、未然に防げるなら僕だってやりますとも。
電車に乗った時に「あ、このおばさん胸元広めな服着てるな」って思ったら絶対その人のことなんて見ないから。
否が応でもスマホに集中する。興味ないカリスマモデルの記事とか開いてでも阻止する。
しかし悲しくなるのが分かっているのに、わざわざ僕の本能とやらはその道を選んでしまう。
まったく何してくれんだよ本能。
たしかにこのままだと生物学的に死ぬかもしれないけど本能に従うだけの生活してたら今度は社会的に死んじまうだろ。
だからね。
おばさんの胸元とか、子供連れのお母さんが屈んだ時に僅かばかり見えるパンツとか、僕の住む田舎をハワイかどこかと勘違いしているような服装でうろつく外国人観光客とか、やっぱりね。
ごめんなさい。見たくないのに見てしまうんです。
この目はその引力に勝てないんです。こればかりはニュートンもびっくり。
本当だよ。マジで見たくない。てか見せんなよ。見ちゃうだろ。
こっちはもしかしなくても変態なのだ。
変態ならば変態らしく、これからも変態でいるために変態らしい所業を続けていくのが、変態なのだ。