お金がほしい

お金がほしい

先に謝っておきます。ごめんなさい。

「イイ人」の末路

「これはあなたのプリントですか?」

まるで中一の英語翻訳定型文のような質問が僕に向けられたのは、ついさっきのことであった。

僕はそのとき座って机に頬杖をついていたのだが、すると突如見知らぬ男性が上の疑問文を僕に投げかけたのだった。

「いいえ、違います」
唐突な質問に思わず僕も教科書どおりの答えを返してしまった。不覚。


「分かりました。ありがとうございます」

僕の答えを聞いた男性はそう返すと、今度は視線を僕の横に向ける。

僕もその後の展開が少々気になったのでその男性と同様に自分の右隣を見ると、僕から少し離れたところに女性が一人、机に突っ伏して寝ている姿があった。


男性は見るからにうろたえていた。どうすべきか思案しているようであった。

というのも、そのプリントが女性のものである可能性も十分にありえる配置であったからだ。
・・・なんて言っても分かりづらいと思うのでちょっと図を。
図1.png
ざっとこんな感じ。

僕の絵のセンスはこの際触れないものとして、この図を見ていただければ分かるようにプリントは僕と彼女の間にあった。
そして今更説明は不要かもしれないが、この男性はきっとどこかにプリントを忘れてしまい、現在捜索中といったところだろう。

ここで彼女がもし起きていれば、男性は僕に訊ねたのと同じように彼女にもそうして、彼女が首を横に振った時点で捜索は終了できたはずだったのだが。

しかし彼女は現在夢の中。叩き起こしてでも確認すべきか、諦めるか、彼女が起きるのを待つか。
おそらくそんな葛藤が頭の中で繰り広げられていたに違いない。


ふとこのとき、僕ならどうするだろうかと思った。
もちろんそのプリントの重要度が極めて高い場合は、まぁそんな代物を置き忘れることもそうそう無かろうが、否が応でも確認するだろう。

もしかしたら、卑しい心が働いてその女性に確認しないまま持ち逃げしてしまうかもしれない。
プリントは位置的に若干僕寄りのところにある。それで僕が「違う」と言えば、この男性の立場になったときそんな考えが浮かんできても何らおかしい点は無いのだ。


とまぁそんな想像を膨らませていたため、僕はその後の男性の動向が余計に気になり始めてしまった。
いつもならば他人の厄介ごとなんてスルーするところだが、彼がその後どうするのか、何となく最後まで見届けたい気になった。

それに彼からは何だか同胞の匂いを感じた。断言できないけど、多分そうだと思う。うん。


というわけで僕は目の前で絶賛右往左往中の男性に目を向け、助け舟を出すでもなくただ観察をすることにした。

彼はその後20秒ぐらい、あたふたと手を伸ばしたり引っ込めたりを繰り返す。

多分心中はこんな感じ。

「どうしようか。今持っていってもバレないだろうけどそんなことしちゃダメだろうし、それに何かさっきの男の人がずっとこっちの様子窺っているし、下手なことはできないな。
でもだからといってプリントは欲しいし、あぁ、でも確認しようにも最近セクハラとか色々厳しいから下手に女の人に触ると問題になるかもしれないし。
肝心のプリントにも何か書かれた形跡が無いから誰のものかも確認するまでは分からないし。」


・・・なにこれ超めんどくせぇ。恋する乙女かよ。
ごめんなさい。勝手に想像して勝手に貶してすみません。

とはいえその時点での進展は正直見込み薄だった。個人的な考えとして、男性がこの先何かアクションを起こすようにも思えなかった。


のだが。

突如ついに吹っ切れたのか、彼は覚悟を決めた眼差しで一歩前進すると、寝ている女性の肩に手のひらを近づけたのだ。

そして一言。
「あの、あの、すいません」

男性は女性の肩を揺らし、声をかけて無理やりにでも起きてもらう作戦に出たようだ。

「あの、あの・・・」

あれ、起きない。

「・・・・・・」

こうなると男性の手が少し怯んだように見えた。
そりゃそうだろう。勇気をもって声をかけたらスルーされるなんて、まったく童貞殺しもいいところだ。

でも彼だって今更引くことはできない。ここで諦めたら僕が見ている手前超絶恥ずかしい。

そこで彼は今一度、緩めかけたその手に再度力を入れなおし、また女性の肩を揺らして声をかけた。

「あの、すいません!」

まるでドキュメンタリー番組でも見ているよう。というかそれって救命講座で習うヤツじゃないのか?


だがそんな考えをめぐらせているうち、するとここでようやく眠り姫が目覚めた。

彼女はスローモーションのようにのっそりと姿勢を正し、声をかけた男性を見るため少し首を上げる。

「あの、すみません。このプリントはあなたのものですか?」

またもや定型文。でも基本を押さえるのは大事だよね。

男性の目が少し変わった。何というか、祈りに近い雰囲気だった。
でも相変わらず女性は寝ぼけた目で周りを見渡すばかりで、どうやら現状把握に時間がかかっている模様。

だが男性の質問から数秒のタイムラグを経て、女性はようやく机上のプリントに目をやり手にとった。

寝起きだからなのか、はたまた単に目が悪いだけなのか、女性はそのプリントを手に取ると顔に近づけて舐めるように見つめる。

そして一言。

「あ、はい、私のです」

男性のあらゆる全てが泡沫と消えた瞬間であった。瞬間最高視聴率12.5%

男性はその後落胆を悟られぬよう「あれ、おかしいなぁ。どこやっちゃったのかなぁ」なんて一人ブツブツと呟きながら去っていったが、その悲壮感漂う背中に僕はえもいわれぬやるせなさを感じた。

ただ僕にはどうしようもない現実だった。そう思って諦めるしかなかった。
あの男性には同情するが、この先も頑張って書類捜しを続行してもらいたい。そしてなるべく早めに見つかるといいな、なんて心の底でそっと祈ってもいた。

 


だが、話はここで終わらない。

その女性は男性が立ち去ったあとにすぐ荷物をまとめて席を立ったのだが、なんと去ってゆく彼女の手には例のプリントが握られていなかったのだ。

僕は最初、単に忘れただけだと思い声をかけようとした。
だが思いとどまった。

いくら寝ぼけているとはいえ、あのやり取り直後でプリントを持ち忘れるはずが無い。

そう、つまり本当は彼女のプリントでも何でもなかったのではないかと。
寝ているところを起こされた腹いせとして男性に意地悪したのではないかと、僕は思った。

とはいえ実際彼女に確認したわけではないので未だ真相は闇の中だが、とにかく「イイ人」というのは何事においてもロクな結末を迎えられない。

恐らくだが彼の知り合いに印象を訊けば大抵の人は「イイ人」「優しい」なんて答えが返ってくることだろう。

でも例えばアイドルが「好きなタイプ」で挙げる「優しい人」は必ずしも世間一般で言われるような優しい人ではないし、女性が男性に向かって「あなたはイイ人だね」と言った場合は相当に特徴の無い人か、若しくはどうでも「いい人」ということである。


イイ人というだけでなく、それに勝る付加価値がほしいと、そう強く思った。