外人にお金をせがまれた話
どうでもいいけど外人をひっくり返すと「人外」となり、かなりさもしい侮蔑用語になるようだ。ホントにどうでもいいけど。
さて、ちょうど一年前くらいだったか、僕は外国人からお金をせがまれたことがあった。
それは最寄駅で電車を降りて自転車置き場へ向かう途中の僅かな距離で起きたのだが、とはいえそんな些細な出来事なんてとっくの昔に忘れていたはずだった。
まぁ大したことではないのだが、最近起きたとあるきっかけが原因となって今回、いつの間にか風化するはずだったそんな記憶を呼び覚ますこととなったわけだが。
その原因というのはちょっと面倒臭いので今回は省略。
一先ず順を追って説明する。ちなみに最初に断っておくがこの話にオチはないので変な期待しないでほしい。
あれはよく晴れた平日の夕方、西に傾きはじめた斜陽が目に眩しく、若干肌寒いくらいの風が心地よく吹く時分のことであった。
いつものように最寄駅で電車を降り、定期券をかざして改札を抜けた僕はいつもなら若干駆け足気味になるところをその日はどうしてかゆっくりと階段を下りていった。
普段も特に急いでいるのではない。それに駆け足で降りようとゆっくり降りようとその違いは10秒あるかないかで、実際のところ然したる変化もないのだ。
だからその日はたまたま気分によって穏やかな歩行となっていただけであった。
ともかくそうして階段を下りていくと、その一番下、つまり階段を下りきったところに肌が若干黒めのアジア系外国人女性が手に何かをもってウロウロしているのが見えた。
あまり詳しくは憶えていないが、歳は10代後半から20代前半。黒く長い髪の毛を後ろで結わえて下ろしていて、手には何か白いメモ帳のようなものを持っていた。
それから胸の大きさは憶えてないです。男性の皆さんごめんなさい。
僕はその女性を見つけたとき階段の半ばあたりだったが、特に意図するわけではなくその女性の立っている付近(というか進路)を何となくボンヤリと見つめながら足を進めていた。
だがそうして僕が着実に彼女の近くへ進んでゆくと、彼女も僕に気付いてかこちらのほうに目を向けた。
今はもう顔は忘れてしまったが、何となくその顔を見たときの感覚は憶えている。
というのも、その顔を見た瞬間ピンときたのだ。
この人絶対タイ人だ!と。
言うまでもなく根拠はない。インド人といわれても納得する。イタリア人だといわれると反論したくなるが、とにかくもう僕の中での「THE タイ人女性」という感じの女性であった。
まぁでも特にタイ人と親しくなりたい理由も無かったのでこちらから話しかけることはせず、その女性のことも気にせずそのまま駐輪場へ向かおうとした。
のだが。
「オニサン、オニサン」
すると突如僕を呼び止める声が。おやおや、季節はずれのラッスンゴレライかな?
ともかく僕はその声が聞こえたほうに顔を向けた。すると、先ほどのタイ人らしき女性が僕の目を見て呼びかけていたのだ。
僕はその瞬間思った。うわ、やっちまったなと。
というのも実は、階段で女性と目が合ったときに何となく分かってしまったのだ。この人が今から自分に話しかけてくるぞと。
なんて言うと予知能力者っぽくなってしまうが、経験は皆さんもなかろうか。
例えば学生の頃、数学の先生が「ではこの問題を誰か前に出てやってもらおうかな」と言いながら生徒のほうを向き、そして偶然目が合ってしまったときの先生のあの「目」だ。
「おっ、コイツに今から当ててやろう」という悪意に満ちた目を、その時の僕は感じ取ってしまったのである。
「オニサン、オニサン。イマ、ダイジョウブデスカ?」
今まさに大丈夫じゃない状況になりつつあった僕だが、完全に僕の進路を妨害するように立ってきた女性に対して僕は為す術なく立ち止まってしまった。
「まぁ、少しだけなら...」
いかん、これは死亡フラグだ、と思いつつもそんな空返事が不意に口を突く。
例えば女性の皆さん、男性にせがまれて「さ、先っぽだけなら...」とか言うと当然のごとく全部入れられます。知ってると思うけど。
「オニサン、コレコレ」
まぁそんな僕の心中など関係なく話は進み、するとその女性は手に持っていた手帳らしきものを広げて僕に見せた。
中にはその女性と似た身なりの、だいたい10歳くらいの女の子が写っている写真があった。
「えっ...?」
正直意味が分からなかった。
だが女性は相も変わらず僕のほうをじっと見ている。いや、ちょっとそんな至近距離で見つめないでくれよ。うっかり惚れちゃうだろ。
ひとまず、僕はここで一旦冷静になろうと努めた。
この女性が僕に何を頼もうとしているのか、何を望んでいるのかを改めて考えることにした。
たとえば、この女の子が行方不明で僕に捜すのを手伝ってほしいとか?
いや、それならばチラシを配るほうが遥かに効率的だ。
もしやこの写真を買ってほしい...とか?
とはいえ残念ながら僕に少女嗜好はないしなぁ。しかも写真を見る限りあんまり将来有能ってわけでもなさそうだし。
いや待てよ。ひょっとしてだけど、これは新手の詐欺なのではないか?
実はこの写真には様々な怨霊が取り憑いていて、見た者を否応なく不幸にすると。そしてそれを取り除いてほしかったら金を払え。みたいな。
うわなにそれ怖い。
と、数秒の間にこのくらい頭に浮かんだ。
でもやはりいまいちピンと来ない。
すると僕の察しの悪さを見兼ねてか、その女性が再度口を開いた...のだが。
「แต่ผู้หญิงจะยังคงจ้องมองฉัน เฮ้ เคาะในระยะ」
マジでこんな感じだった。もう余計に意味分からん。
何を言っているのかさっぱり分からない。この女ついに本性を現しやがったな、と僕は恐怖に打ち震えそうになりながら身構えた。
でもそれはどうやら杞憂だったらしい。
直後に彼女が発した言葉で、愚鈍な僕は何もかもを全て察した。
「ครั้งเร็วที่สุดเงิน...カネ。オカネ、クダサイ」
そう言って彼女は封筒を僕に差し出したのだ。
「...あぁ、お金、か。お金ね!」
どうしてこんな単純な考えが浮かばなかったのか不思議なくらい、本当にど直球だった。
要するに、彼女は単にお金がほしかっただけなのだ。
それでちょっと貧乏そうな身なりの女の子の写真を見せて僕に同情を抱いてほしかったのであろうが、その、なんだ。気付けなくてごめんね。
女の人にお金をせがまれる経験とかまだちょっとしてなかったもので。ごめんなさいね、経験不足で。
僕が「あぁ!」と答えると、向こうの女性も僕が察したことを理解したようで笑顔を見せ、僕は小銭を探るべく財布を開けた。
しかし。
「なっ...残金30円...だと?」
なんと小銭が30円しかなかった。
別に500円もあげるつもりは無かったが、この女性もこんなに頑張って30円なんて実に報われない。ちょっと本当にごめんなさい。
その後僕が小銭がないということを謎の言語を駆使して必死にアピールすると、彼女はそれでも良いと頷いてくれた。
だから結局その30円を彼女の封筒に入れて財布を軽くしてもらったところで、僕はその場から逃げ去るように駐輪場へ向かったのだった。
次に同じような経験をした際には、せめて大福が一個買えるくらいは恵んであげようと、そう強く思ったのだった。
それから最後にもう一つ。
タイ人、愛しているよ。