お金がほしい

お金がほしい

2020年10月をもって更新をストップします。永らくのご愛読ありがとうございました。

童貞☆スパイラル

童貞を捨てたい。
もういいかげん、そろそろマジで、卒業したい。

10代の頃はまだ、「責任取れないから」とか「欲望に忠実ではなく、理性的に生きるべきだ」みたいな詭弁を弄じて誤魔化しが利く時代だった。
周りもみんな童貞だったから、将来への不安なんてひとかけらもなかった時代だった。

世はまさに童貞時代で、余もまさに童貞だった。
そんな時代もあったねと、いつか話せる日は来るのでしょうか。


しかし同士の中には、童貞を捨てることを諦め、「せっかくこれまで守ってきたから」などと戯言を抜かす者もいる。
かつて地球には、「童貞すら守れない奴に何を守れるというのか」という格言を残した人もいたそうだ。

けれども言いたい。それは大きな誤りである。
これまで守ってきたのではなく、誰も攻めてこなかっただけなのだ。

意図せずして、前衛がめちゃくちゃ強かったんだな、きっと。
前線から守備を仕掛けちゃっていたんだな。なんか全てを撥ね返すバリアとか張っていたんだろうな。

僕は大迫勇也ではなく田中マルクス闘莉王になりたかったのだよ。
ディフェンスなのに前線にあがったまま帰ってこないような、そんな人間になりたかった。

しかし、僕はなれなかった。ちなみに、もうじき魔法使いになれそうではある。
過去を憂いても仕方ないが、未来に絶望するよりは健全だろう。

 

と、ここで突然だが、童貞の何が悪いのかを明確にしておきたい。
こうして22にもなって清き身体を保っていると、最初のステップが非常に重くなるのだ。

つまり、この歳になっても遊びで身体を重ねた経験がない場合、本当に好きになった人にしか筆おろしを許容できなくなってしまう。
要するに、いまさらソープなんて行けないのである。

この歳で風俗に入店すると、嬢に「え?お兄さん童貞なの?」と本気で驚かれること間違いなし。
あまりにも安い店に入らなければ、彼女らも仕事だからバカにすることはおそらく無いにせよ、内心どう思われているのか気が気でないのである。

きっと「その歳で童貞とかwwww」とか「どうりで芋っぽい顔してると思ったわ」なんて思われたあげくにSNSの裏垢で足蹴にされるのだろうさ。
・・・なんて考えてしまってもう絶対無理。考えただけで死んじゃう。

おまけに最近彼女がほしいと思わなくなってしまったので、性欲なんて皆無に等しい。
だから今の僕は倉庫の中で眠っている錆びた自転車みたいなもので、走り出すにも不恰好で随分とぎこちない。

昔聞いた話によると、とある男優は仕事をやめてから明らかに竿が小さくなったそうだ。

自分のサイズなんて測ったことがないので分からないが、使わなければ小さくなるのは当然のこと。
そして小さくなれば自信がなくなるから余計に使わなくなる。そうして使わなくなるので、さらにサイズダウンしてゆく。それこそが童貞☆スパイラル。

 

たまに、10代のうちに捨てていたら人生は変わっていたのだろうか、と考えることがある。
まだ童貞として生存権のあるうちに無理やりにでも風俗に行っていれば、あるいは「風俗行ったら人生変わったwww」を書いていたのは僕だったのかもしれない。

でも僕はやっぱりそんなスレ立ててないし、彼女いないし、やっぱり童貞だし。

童貞というのは、言うなればコンプレックスである。
しばしばコンプレックスは武器になると言う者もいるが、武器にした瞬間男としての尊厳を失う気がする。というかその前に、僕のエクスカリバーは武器として機能してくれるのか。いや、機能不全ではないけどさ。

「自分、童貞です」とカミングアウトした男の末路なんて、せいぜい
①死にたくなるほど馬鹿にされる
②男として見られずに女性からガチな相談をされる
③三枚目として永遠に主役になれずに生涯を終える
のいずれかである。

 

嗚呼、いつになったら僕はこのループを脱却することができるのだろう。

イヤな予感だが、年を追うごとに出口が遠のいている気がするのだ。
形のないプライドだけが、どんどん成長しているおそろしい感覚が芽生えてきている。つまり、理想ばかりが高くなってゆく。

先述したとおり、卒業の日まで僕はおそらくソープは行けない。初めての相手は心を許しあった人でないと、自尊心が持たないからである。
しかし心を許すこととはプライドという邪魔者が介入する余地が無い状態、つまり全てをさらけ出せる状態。

果たして相手の女性が経験済みだった場合、僕の肥大化したプライドは平穏でいられるだろうか。
お互いに初めて同士ならば、きっと手探りでぎこちないながらも一緒に頑張ろうという心が生まれるはずだが、女性側が経験豊富だった場合、当然ながらリードしてもらう立場になるわけでして。

男というのは、アホな話であるが往々にして女性をリードしたがる生き物である。征服欲が強いのだ。
だから男にロリコンが多いのも、征服欲が満たされるという点においては理解できなくもない。違うって僕はロリコンじゃありません。

ロリコンではないけど巨根でもないから、経験済みの女性に自分の粗末なものを見せるとき、僕の精神は堪えられるのでしょうか。
元カレの長さと太さと早さと比較される冷酷な現実に、僕の精神は堪えられるのでしょうか。


・・・という考えをめぐらせると、彼女の条件のひとつに「処女であること」という項目が追加されるのも時間の問題。
そうやって25歳、30歳、35歳と歳を重ねるうちに、次々条件が増えてゆき、最終的に50歳くらいで

成人したばかりで処女で恋愛経験なくて顔が可愛くて性格が良くて胸が大きくて足が綺麗で感度が良くて親が既に他界していてドMの女の子

以外初めてを捧げられない人になってしまうかもしれない。

 

そんなのはイヤだ。誰か助けてくれ。

誰か、助けてくれ。

タクシー・イン・コリア

最近東京に出向く機会が多いのだが、東京の道路ではよくタクシーを目にする。
そりゃ田舎にだってタクシーの数台はお目にかかるが、東京、というより都会の台数はやはり一桁違う。

それに近年はタクシー業界のニュースがあとを絶たない。
位置情報サービスを活用し、スマホでタクシーを呼ぶことができる機能や、運賃を取らずに広告費用だけで試用しはじめた会社、そして話題のUberなど。

そういう世間的な関心も相まって、タクシーばかりがふと目に止まるのかもしれない。


けれども、そう。
こと僕に関して言えば、タクシーにあまり良い思い出がないのも事実。

黒いミニバンのタクシーを見るたび、僕はこんなことを思い出してしまうのだ。

 

あれは10年ほど前、韓国に旅行したときのことだった。

仕事の都合で韓国に移住することになった従兄弟の家族を様子見すべく、僕の家族は海を越えて韓国に向かった。
彼らが移り住んでから数ヵ月後ほどが過ぎた頃だったように思う。

空港で合流した両家族は、慣れない海外生活の様子や言語の障壁などについて語らいながら、ソウルタワーやら焼肉料理店やらに足を運び、それなりに楽しいひと時を過ごしていた。

意外にも日本語対応のホテルやお土産店が多く、観光地に関してはあまり言語に困らなかった記憶がある。
思えば冬のソナタを筆頭にいわゆる「韓流」が流行っていた頃だったかもしれない。

だからこそ日本人を対象にした詐欺のような事件も多く、旅行雑誌には「乗っていいタクシー」と「乗ってはいけないタクシー」の特徴なんかが記されているページもあるくらいだった。


そんな不安がありつつも楽しく旅行をしていた僕らは、次の観光地に向かうべくタクシー(もちろん安全とされている方)を呼び、7人全員が乗り込んだ。

ミニバンの大きなタクシーには、従兄弟の父が助手席に、それ以外はテキトーに後部座席を2列使って座った。
従兄弟の父は最も滞在歴が長いためか韓国にも慣れていて、次の目的地を運転士に現地語で伝えていたのは素直にカッコイイと感じた。


どうやら向かっている観光地は1時間おきにイベントがあるらしく、その時間に合わせてタクシーを呼んでいたらしかった。
到着予定時間の十数分後にそれがはじまるそうなので、とても良いタイミングだと思った。


けれども、そんな移動の最中。
助手席に座っていた従兄弟の父が、突如として運転手に何かを訴え始めた。

現地語なので何を言っているのかは分からないが、何となく少し怒っているように見えた。
運転手はそれをすげなくあしらい、何事もなかったかのように運転を続けた。

 

すると、次の瞬間。

ドスンッッッ!!

という大きな物音がして、後部座席に座っていた僕らは何事かと驚いた。


「えっ、なに!?」という声が飛び交う。
けれども僕はその答えを知っている。従兄弟の父がダッシュボード下のグローブボックスを思いきり蹴った音だった。

僕の座っている位置からはそのモーションの一部始終を見てとることができた。そして驚きと同時に恐怖を覚えた。


いつもは温厚な男性である。
僕が小さい頃は「うんちくんの大冒険」という謎の自作物語を聞かせてくれたこともあった。


では、そんな彼がいったいなぜ怒ったのか。
答えは明白である。

運転手が遠回りをしたせいだ。


車内の僕らは当然ながら日本語で会話をしていたし、明らかに観光客だし、それに移動距離もあまり長くはない。

韓国のタクシーは日本と比較しても割安なので、少しでも多く稼ごうとして遠回りをしたのだろう。
そして日本人の観光客相手だから、遠回りをしてもバレはしないと、そう踏んでの行動だったに違いない。


けれどもそれを許せぬ者が1名いた。
彼は、日本人が海外で冷遇されていることを身をもって知っている。

日本人は「人の良さ」によって、世界中でただのカモにされているということ。
だから彼もそれまで同じような目に遭い、イヤな思いもたくさんしてきたそうだ。


もしかしたら当時の運転手は「日本人だから」ではなく「観光客だから」という理由で遠回りをしたのかもしれない。

けれども彼は頑として「日本人だからとナメられるのは許せない」と譲らず、運転手に現地語でひたすらに文句を言い続けた。

そしてその口と連動してドンッドンッとグローブボックスを地味に蹴り続けている。

海外赴任とは、かくも性格を豹変させてしまうものなのだろうか・・・。

 

そうして最悪な雰囲気のままどうにか目的地に到着した僕ら。
こうなれば、きっと運転手もさっさと降ろしたかったに違いない。

支払いのときもグローブボックスは地味に蹴られ続け、そして彼は降車の際、「おい、これ貰っていくからな!」と日本語で言った。


彼が指すのは、助手席前のガラス付近に挿してあった運転手の名刺。
「分かったからさっさと行ってくれ」みたいな目を彼に向けた運転手を後目に、彼は名刺を抜いたのだが、勢い余って3枚もゲットしてしまった。

一瞬「しまったー!」と顔を歪ませた彼だったが、いまから2枚を戻すのも面倒なので、そのまま3枚を手に持ったままタクシーを後にした。


身内だけになった後は「なんであんなコトしたの!」と妻の咎めやら「運転手が悪い」と非を認めない旦那やらで、空気の悪さは解消された。

だが疑問はひとつ残る。
名刺をもらって何をする気なのだろうか、と。


当時はまだTwitterInstagramなどのツールが浸透していなかったし、それに個人の特定が可能な状態でネット上のさらし者にするのはやりすぎでは?とも思う。
であれば、彼はその名刺をどうするつもりなのか。しかも3枚も。


僕らは構内案内図の描かれた看板の前に立っていたのだが、すると彼はおもむろに別の方向へと歩き出した。手には3枚の名刺。まるでウルヴァリン

僕は彼の姿を目で追う。彼はニヤニヤと笑っていた。まるで女学生を視姦する変態。


彼の向かった先には、小さなコルクボードのような小さい立て看があった。
どうやらイベントスケジュールの記載された紙が画鋲で留められているらしい。


と思った次の瞬間、彼は突然その画鋲を引っこ抜いた。

えっ?と呆気にとられる僕。そんな目線などお構いなしに、彼は手に持っていた名刺をその紙に充てがい、なんとそのままぶっ刺したのだ!


なんということだろうか。
イベントスケジュールを見ようとすると、演目ではなくまず名刺が目に入る。

しかしいけない。このままでは14時の演目タイトルが謎のタクシー運転手の名前になってしまうではないか。


相変わらず彼はニタニタと笑っている。
なんてヒドいお方。


するとさすがにこればかりは許してはおけないと、彼の妻が「ちょっと、何やってるの!」と走って詰め寄る。
変わらずに笑い続ける彼。「もう、しょうがないんだから...」と呆れる妻。いやはや平和ですね。


しかしこの時僕は、社会に出ても日本からは出ないと心に誓ったのであった。

今になってようやくスチューデントアパシーの原因が分かった

スチューデントアパシーって何でしょうね。語幹だけ見ればかっこいいですね。
ただの無気力症のことなのに。

どうしてこうも日本人というのは横文字を好むのかしら。
サマーオレンジじゃなくて普通に夏みかんでいいじゃないですか。と僕は思うのです。

 

なんてね。
このように変に冷めていて世間を斜に構えて見ている、まぁつまり僕のような人物。そういう人は往々にして20歳くらいでスチューデントアパシーになります。ようこそ。

・・・ようこそってなんだよWindowsかよ。


さて、スチューデントアパシーについて説明すると、まぁ上述したように簡潔に申せば「無気力症」のことで、要するに五月病です。
名前のごとく学生、とりわけ大学生が多く罹患し、一度この病魔に犯されてしまうとあら不思議。これまで優秀だった学生が、惰眠をむさぼりカップ麺生活と落単を繰り返すダメ人間へと変貌します。


この症状の厄介な点は2つ。(出典:個人の経験による)
・そこまで深刻でない(と思ってしまう)こと
・原因と対処法が明文化されていないこと


「深刻でない」というのは、一般的にイメージされるところの鬱病のように死にたいと思うとか、食欲減退、疲労感みたいな「分かりやすく危ない」兆候が皆無な点。
スチューデントアパシーの症状では、せいぜい「大学に行く意味が分からん」「バイトやめようかな」「自炊ダルいからコンビニでいいや」と感じる程度。

これでは家族からも友人からもただのクズ人間として扱われるだけ。自分でも「なんかやる気起きないなぁ」とは感じつつも、大学やサークルでの不規則な生活が自分をダメにしているのだと決めつけ、解決しようなんて考えもしない。


「決まった原因と対処法がない」というのは、ある意味お約束というか。
人それぞれ歩んできた道のりも違えば、付き合いのある友人も悩みも違うわけですし、一概に「これが原因だ」とか「これを実行すれば治る!」なんて言えませんよねというお話。


つまるところ、手詰まりなんですわ。
この症状を症状として認識していないから対処しようなんて思わない、というか思えない。だってめんどくさいし。
仮に「この状況を打破せねば」と思えたとしても、何事にも気力が殺がれている現状ではどう動いてもマイナスに転じるだけ。


僕が今この記事を書いているのは、「今にして思えば数年前の僕はスチューデントアパシーだった」と後出しじゃんけんをしているようなもので、当時はそれが普通だと思っていたし、悪いことだとも思っていなかった。

ただ、友達と遊びに行ったときに撮った写真の目は死んでいたし、話しかけられても最低限の言葉しか返せない訥弁野郎だった僕はみるみる友達を失っていたし。
自分でも感じ悪いだろうな、とは思っていたものの、しかし人付き合いがないのも楽でいいな、なんて考える始末。

自分は内向的で排他的な人間なんだと、孤独と孤高を取り違えたまま生きていた。それが数年前の僕。


では、いかにして僕が立ち直ったのか。
・・・どうでもいいよね。でもまぁ聴いて。

 

立ち直るきっかけは意外と単純だった。
というか、当たり前すぎて「そんなこと?」と思う人もいるかもしれない。そう思える人は罹患率が低いから安心してほしい。

結論から言うと、僕がスチューデントアパシーを脱却したときに手にしていたのは「目的」であった。

簡単な話である。
物事を為すとき、人は普通「目的」というものを設定する。

例えば「リンゴを買う」という目的があり、スーパーに足を運ぶ。
「病気を治したい」という目的があり、薬を買う。
「野球選手になる」という目的のため、強豪校に入学する。

そういう目的意識が、まるで僕には欠けていたのだった。


思い返せば僕は、高校受験をしていない。
姉の後を追うように中高一貫校に入学したままエスカレータ方式で進学し、部活動も「誘われて」という形で入部した。

大学受験についても同様。「何をしたい」とか「何になりたい」という目的がない僕は受験勉強に身が入らず、冬休みなんて2時間程度しか勉強していなかった。


そして運よく受かった地元の大学に進学こそすれど、目的がないから何もやる気が起きない。目的がないから学友とも馴染めない。目的がないから勉強がただの苦痛に変わる。
こんな大変な思いをしていったい何になるのだと、一切を放棄したい気分だった。


僕は真っ白ではなく透明だったんだと、このときようやく悟った。
本来ならば誰もがいずれかのタイミングで悩むことだろう。高校受験、大学受験、就職活動、家庭の事情・・・。

たまたま僕はそれが大学2年生だった。
深い意味なんてなくて、単に来るべき時が来たというか、落とし前をつけるタイミングだった。


そこで僕は足掻いた。そして「目的」というものを手に入れた。
誰もが持っていて当たり前だと思う。僕はそれをいつか落っことして、それすら気付かずに進んでいたけど、ついぞそれなしでは生きられなくなっただけなのだ。


そこで受動的ではない、能動的な活動の面白さと喜びを僕は見つけた。

試合のスコアを憶えるようになった。
駅の広告に立ち止まるようになった。
旅行の思い出を忘れないようになった。

誰かに連れられてとか、誰かに促されてという受身の状態が当たり前になっていた僕は、とても視野が狭くなっていたのだ。


だから主体性を取り戻した途端、世界はこんなに様々なものがあるのだと、本当に感動したことを憶えている。
そこで僕はきっと、スチューデントアパシーを卒業したのだと思う。

 

こんな内容の記事は正直めちゃめちゃ恥ずかしいけど、まぁもし誰かのきっかけになれればと思い書きました。

久々のブログ更新でこの内容かよって、誰よりも僕がそう思っていますので。それではまた。